★Beat Angels

サル・パラダイスよ!誰もいないときは、窓から入れ。 レミ・ボンクール

賢者の石

人はここを悪魔の島と呼んでいました。

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当時少年だった私が先生と二人で暮らしていた孤島には週に一度町から少女を乗せた船が着きます。島は岩塊に囲まれて草一本も生えていません。私は生まれてこの方、島から外に出たことがありませんでしたがその島が不気味であろうことは承知していました。連れてこられる少女たちが絶望的に切り立った島の岸壁を見て覚えたであろう恐怖を考えると今でも胸が痛みます。

船着場に少女を向かえに行くことから私の仕事が始まります。私がすることはまず先生に到着を伝えることでした。

-先生、材料が届けられました。
-では今夜のうちに材料の不純物を取り除く作業に入りなさい。
-はい。

私は生まれてからずっと先生と二人きりでこの建物のなかで作業を続けてきました。私は少女を連れて先生の部屋から伸びる廊下を抜けて建物中央の螺旋階段を二段上がると私の仕事場があり、さらに隣には分解室と呼ばれる部屋があります。そこで私の仕事が始まります。

私はそこで少女の服を脱がせて少女の体を隅々までお湯で洗います。今にして思えば不思議なのですが抵抗する少女はまったくいませんでした。おそらく当たり前のように手際よく作業が進むので疑問を持つ隙がなかったのだと思います。

少女の体を洗い終えると少女の原質を抽出する作業に入ります。私は少女をベッドに寝かせて頭に装置を装着し、口元に管のついたマスクをつけます。少女は心細そうに私の目をのぞきこみますが、私は、笑顔で、怖くないからね、と伝えます。やがて少女は静かに目を閉じます。

この工程を注意深く行わないと大いなる作業は成功しないのです。不純物が一切含まれてはいけないからです。つまり少女から記憶や認識の一切を取り除き第一原質にしなければなりません。私は少女の胸に手を当てて鼓動が安定するのを待ちます。安定を確認すると瞼を持ち上げて瞳孔の動きを確認します。それまで眠っていた脳細胞が全て活動を開始するので瞳孔が凄まじい速度で動くので分かります。その後、少女を一晩寝かせます。

翌朝、少女を抱えて螺旋階段を上り先生の部屋に行きます。

-先生、準備ができました。

先生はうなずくと少女を受け取り台座に寝かせていろいろな器具を使って入念に仕上がりを確認します。それが終わると自ら少女を抱き抱えて哲学者の卵と呼ばれている場所に移動します。下には大きな透明な容器があってそれが細くなって天井まで伸びています。透明な容器の下に椅子が置かれてあって先生はそこに少女を安置します。先生は振り返って私を見ました。先生の緊張が私にも伝わってきてこの空間に亀裂が入りそうな錯覚を思わず覚えます。

哲学者の卵に外部から熱した空気を送るのが私の仕事でした。私は火をつけ一心不乱にふいごを踏み付けます。強さ加減は先生が細かく指示します。

しばらくしてその時が訪れます。太陽が真上に来て天井から眩い光が降り注ぎ哲学者の卵に横たわる少女を照らします。先生はその一瞬を捉えて世界霊魂を哲学の卵に吹き込ませるのです。

少女の胸から孔雀の羽を広げたような鮮やかな虹色が出現して次第に赤い光に収斂します。こうして作業は完了して賢者の石が生成されます。これが錬金術、真の秘儀を極めた錬金術師の姿です。私はいつものようにぼうっと見とれてしまいました。先生が言います。

-この霊石を月の部屋に。
-はい

私は畏敬の念を持って答えます。先生はたいそうお疲れのご様子でした。それはそうでしょう。神のみわざ技を再現しているのですから。

月の部屋はこの哲学者の卵を中心にして巨大な球形のように広がっていました。中央を突き抜ける螺旋階段は100階ほどあったでしょうか。まるで夜空に浮かぶ月のような形をしているのでそのような名前で呼ばれていたのだと勝手に考えていました。

私は赤い光を胸から放つ少女を抱き抱えて薄暗い螺旋階段を降りて行きました。この建物は約1000年前に造られたと聞いていました。入り口の扉は開いていて、そこから赤い光が差し込んでいます。中に入ると目が眩むようでした。それもそのはず、ここには数万もの少女が眠っているからです。

私は導かれるように進みます。透明なふたが空いている場所に目的の椅子が置かれています。私は少女を椅子にそっと座らせました。少女は静かに寝息を立てています。賢者の石を胸に宿した少女は永遠にその姿を留め光は弱まることはありません。石を取り出すと少女から世界霊魂が抜けて単なる物質、つまり死体になってしまいます。そして器を失った賢者の石も輝きを失うそうです。つまり共存関係にあるということです。

私はこの月の部屋でどこまでも並ぶ容器を眺めながら歩き回るので好きでした。ふと歩みを止めて覗き込んでみると20番というかなり古い霊石の少女を見つけました。ほとんど1000年前の少女ということです。一体どんな夢を見ているのだろうかと不思議な気持ちになりました。この部屋全体には数万の鼓動が微かに響きあっています。なぜか私はここでとても安らかな気持ちになるのです。

錬金術とは人間がミクロコスモスの中で神になる術と言っても過言ではありません。世界霊魂に共鳴し世界霊魂を具体的な形で捉え直し利用すること、これが錬金術師の究極の目的です。つまりこれが賢者の石なのです。あらゆる元素の完全な本質であり、いかなる元素によっても破壊できない第五元素である賢者の石の利用方法は無限です。石を金や銀に変化させることは勿論、不老不死の霊薬にもなります。賢者の石の取得は富と永遠の若さ、健康を約束するのです。

昔から錬金術師は世界霊魂を吹き込むための器、真に純粋な物質を探し求めて来ました。大人になる前の女性、つまり生理が来る前の少女があらゆる経験や認識から解放されて眠りにつくと世界霊魂を吸収する触媒となり胸に賢者の石を宿す、私の先生はその秘儀をそのまた先生から伝授されました。先生で29代目、約1000年あまりもこの島で作業が繰り返し行われ数万体に及ぶ霊石を生成しこの月の部屋に集められたのです。

なぜこんなにも多くの、しかも取り出すことが出来ない賢者の石が必要なのかその頃の私は考えもしませんでした。ただただ早く先生のような立派な錬金術師になりたい、そればかり考えていたのです。

先生と私がいる部屋の窓から海の向こうに城のある町が見えていました。私たちに1000年もの間資金と材料を提供して来た国です。最近、この国は大きな戦争をしていました。時折、ドーンという大砲の音が響いて来ました。先生はそれについて何も話さないので私も対岸の火事のように眺めていました。

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城のある町からは毎週、連絡船がやってきます。それも最近は遅れがちになっていました。窓から連絡船を見つけました。三日遅れでした。船員が申し訳なさそうに言うには材料が海に飛び込んで逃げたということでした。船は材料のほかに食料や薬品を運んできました。戦争の影響か、この頃物資が極端に減っていました。

連絡船の他に年に一度大きな船がやってきます。先生は丁重に降りて来た人を奥の部屋に連れていきます。国の最高権力者がこの島に出向いて来るのです。大きな扉の向こうでどんな話がされているのか私にはわかりませんが先生は国から重大な仕事を任されているのだということだけわかっていました。

錬金術師は毎日、地味な仕事の繰り返しです。月の部屋から差し込む赤い光の中で原料の鉱物を砕いて粉末にしたり、薬品を調合したりです。先生はかなりの高齢にも関わらず私の数倍の仕事をこなしていました。食事の準備と後片付けが私の仕事でした。

その晩も夕食の後片付けをしていると暗い窓から遠くの方で何かがちらりと光るのを見た気がしました。私はなんだろうと窓からその方角を見下ろしましたが何も見えません。私は気になったので外に出てその場所に向かいました。島の端まで降りていって暗い海を眺めましたが何もいる気配はありません。私が引き返そうとしたちょうどそのとき、小さなくしゃみを聞いた気がしました。私は岸壁に沿って岩場を注意深く歩いていきました。すると岩影に白い脚が見えたかと思うとそれが暗闇の中に隠れるのを見ました。

-そこに誰かいるのですか?

返事はありません。さらに足場の悪い岩肌を進んでいくとそこには小さな洞窟のようなところにでました。

-きゃあ!

細い叫び声が上がり、少女が身を縮めました。

-おねがい。私、やっぱり嫌だ!

少女は海の水を浴びたまま小さく震えていました。私はとっさに船から逃げた子だと分かりました。

-怖がらないで、何もしないから。
-うそだ!私はいやだ。悪魔に食われるのはごめんだ。

少女はおびえて叫びました。

-ここには悪魔なんていないよ。
-じゃあなんでみんなこの島に入ったきり出てこないんだ?

後から知ったことですが、当時人々はここを悪魔の島と呼んで恐れていました。国の繁栄を願った国王が悪魔と契約してこの島に悪魔を住まわせ生贄を捧げていると囁きあっていたのです。

私は建物に引き返して毛布とパンを手にして戻り、それを少女に渡しました。次の日も、パンとミルクを与えました。少女はあっというまに平げました。私は

-もう一つどう?
-え?いいの?

少女は微かですがうれしそうな笑顔を見せました。私は先生に隠し事をしたことはありませんでしたが、このことだけは黙っていようと思いました。

彼女の顔は少女らしくふっくらしていましたが手や足は痩せ細っていました。貧しい暮らしをしているようです。少女は胸に飾りをつけていました。昨日の夜窓から見えた光はこれだと分かりました。少女はそれを手にして額につけると祈りを捧げました。

-お母さんがくれた。神様がずっと守ってくれるようにって。

お母さん、私はこの子を産んだ女性のことだと理解しました。その夜は城の町から聞こえる大砲の音はひときわ大きく時折砲火が海面を照らしました。少女は、とっさに耳をふさいで、

-父さん・・・

と呟きました。それから毎晩私は食事を届けて少女と話をするのが日課となりました。少女は少しずつですがポツリポツリと自分の話を始めました。戦争で父親が死んだこと、母親が働きすぎで病気になったこと、弟が三人いること。それで生活のためにこの島に行くことを決めたこと。

-でも途中で怖くなっちゃった。

私は戦争のことは書物で知識はありましたが体験した人の話は数十倍以上の重さがあることを知りました。そして私たちの国の戦況はかなり悪化していることも。

-やっぱり大砲の音を聴くと痛くなるんだ。ここが。

少女は胸に手を起きました。

少女は私にも質問を投げかけましたが、生まれてから島の外に出たことがなく毎日同じ仕事をしていたので、私が少女に語れる話はすぐに尽きてしまいました。少女は笑って、

-ほんとうに何も知らないんだね。

とあきれているようでした。私はそれからも洞窟に食事を届けました。そして少女と話をしたり石を放り合って遊んだりすることが楽しくて仕方がありませんでした。

少女が洞窟に住みついてからも材料となる少女達は連絡船で送られてきました。いつものように少女を眠らせながらも、私はこの子も親と離れて胸が痛むのだろうか、そして賢者の石はなぜ胸の位置に生成されるのか、と考えるようになりました。そしてなぜ自分は胸が痛まないのか、とも。

私はホムンクルスであることで何か欠陥があるのでは、と疑うようになりました。私は先生の精子から創造されました。代々、純粋な錬金術師の血を引き継いできました。

-今日は時が悪い。中止だ。

その日の儀式は雨のために中止となりました。最近、先生は考え込むことが多くなって来ました。私は仕事のし過ぎか、程度にしか考えていませんでした。しかしその頃から先生は書斎にこもってでてこないことが多くなりました。

ある嵐の晩、いつものように洞窟の少女に食事を運んでいくと少女は毛布にくるまって横になっていました。少女はすごい熱があり肌は紫色になっていました。私は本で読んだ伝染病だと分かりました。嫌な予感が頭をよぎりました。

-今日は風も強いし海も荒れている。ここを離れて建物の中に入ろう。
-いやだ。私はうちに帰るんだ!

夜になっても風は治らず、私は一晩中彼女の看病をしました。といっても風や波しぶきがあたらないようにするだけでした。くるしそうな彼女をみて私は自分の無力さにあきれていました。私は一体これまで何を勉強してきたのでしょうか?

-神よ!どうか神よ。彼女の体から悪魔を取り除いてください!

私は風と波に向かって叫んでいました。そして私は祈り続けました。これまで材料の少女たちの失敗した死体を幾体も見てきた私がたった一人の少女の生を必死で祈っていたのです。

やがて嵐はおさまり洞窟にも朝日が差し込んでいました。少女のそばによるとうっすらと目をあけました。顔色から紫色が抜けてやや赤みがさしていました。少女は僕に気が付くと、

-ありがとう。

と小さな声で言いました。私は奇跡がおきたのだ、と有頂天になりました。それを先生に伝えようと思って建物に戻ってみると先生は窓から町の方を眺めていました。そしてゆっくりと右手を持ち上げて窓の向こうの町を指さしました。私は窓越しにその指さす方を見ると・・・町は凄まじい炎に包まれていました。

それと同時に地底から轟音が鳴り響き、島全体が大きく揺れはじめました。まっすぐに立っていられないほどでした。先生はというと体全体から気力が抜け落ちたようにして隣の部屋に向かって歩き出していました。私は先生も気になりましたがそれ以上に心配になったのは洞窟の少女のことでした。私はあわてて建物を飛び出し洞窟へと向かい少女を連れて建物に戻ってきました。そして先生を探して歩き回りました。月の部屋にいくと先生は哲学者の卵の椅子に腰をかけていました。目は開いたままでしたが動きません。床には薬の瓶が転がっていて中の液状の薬が流れていました。私は先生に何がおきたのか理解できませんでした。

-・・・先生、これはどういうことですか?

先生の手元には私宛の手紙がありました。

我が弟子、我が息子よ。これは偽りのない真実である。
太古の昔、人びとは世界霊魂を自在に操れる術を知っていた。世界完成の原理を求めた人々は上なるものと下なるものの力をとり集め、完璧にして巨大、神の仕事に極めて近い賢者の石を生成し、これを地球の周囲を回るよう天空に浮かべた。これはあらゆるもののなかで最強の力である。太古の人々がなぜこのような仕事をしたのか、そしてどのような術でこの偉大な仕事を成し遂げたのかはすべて謎である。
この真実を知った我ら錬金術師の偉大な祖はこの大いなる石を取り込み、謎を解明すべく絶え間ない地道な努力と忍耐を持ってこの孤島で小宇宙を作り上げてきた。少女達の宿す霊石は全体で一つの力となり、その霊力は地上から天上へと上り天空の大いなる賢者の石はこの霊力に引かれ必ずや地上に降りて大いなる壺におさまったことだろう。

我ら錬金術師の祖の知的探究心はこの国の王の政治的な野心は利害が完全に一致した。あれを手に入れたなら全世界を手に入れることに等しいからだ。

私たちの目標は月を手中に収めることであり、その月さえ太古の錬金術師が創造したものだったとは。神をも怖れぬ錬金術師の探求心の深さ、業の深さに鳥肌が立ちました。

我が錬金術師の祖と時の王はある契約を交わした。もしも国が滅ぶようなことがあれば城の落城とともに連動して地下深く城へと続く装置がこの秘術の全てを海の底に沈めるような作動する。仕事部屋から16周下ったところに生命の扉がある。そこから外界へ延びる道がある。

私は少女を連れて無我夢中で走り始めました。そして螺旋階段を下りていきました。生命の扉は開いていてそこから険しい岩に囲まれて暗い道がどこまでも続いているのが見えました。私は驚きのあまり声も出ない少女の手を引いて道を降りていきました。地響きは続いていました。やがて岸壁が途切れて視界が広がるとそこは小さな船着き場がありました。

-船だ!

私は少女を船にのせると炎に包まれた町を目指して夢中で漕ぎ出しました。地響きはさらに大きさを増して波も荒れて逆巻いていました。やがて私は我に返ると島全体を見渡せる沖合にまで来ていました。相変わらず海底から轟音は鳴り響いていました。

我が息子よ、行きなさい。あの少女とともに。
お前には外界で生きる術を何一つ教えてこなかった。
これから先、お前の人生は苦難に満ちているだろうか、生きなさい。そして生の喜びをその手の中に。

私が生まれて初めて涙を流した瞬間、最期の時が訪れました。始めに周囲の岩が崩れ、次に建物の壁面が崩れ落ちるとそこには巨大な球体が出現して細かい亀裂から少女達の赤い光がもれだしていて、それはまさしく月でした。

やがてその月は静かに海の底に沈んでいきました。


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これが偉大な錬金術師の父の最期でした。私は生まれて初めて胸の痛みを感じていました。そして小舟の中で恐怖に震えている少女を思い切り抱きしめました。

こうして数万の少女達は永遠に少女の姿のまま、この先、何万年も何億年もこの海の底で静かに赤く光続けることでしょう。
空に浮かぶ月と向き合いながら。