★Beat Angels

サル・パラダイスよ!誰もいないときは、窓から入れ。 レミ・ボンクール

気丈

もう40年以上昔の話である。当時、学生だったぼくは地方の温泉街にあるホテルで住み込みのアルバイトをした。夏休み期間だけである。昼間は館内の清掃と部屋の片付け、そして夜は9時から午前1時まで最上階のスカイラウンジにあるバーでバーテンダーだった。バーテンダーなど経験はなかったが実際にバーを見学させてもらうと、酒の品数も限られているのでなんとかなりそうだった

 バー スカイラウンジ | ANAクラウンプラザホテル松山

スカイラウンジから湾が一望できて、港街の灯りが美しく広い窓に広がる。客は温泉で一風呂浴びた後、浴衣姿でここに集まってくる。そんな気軽なバーであった。値段もそこそこ。とは言え酒飲み場の宿命でタチの悪い客もいるにはいたが。それよりも見知らぬお客さんとの会話は新鮮で楽しいものだった。

そしてぼくはここで生涯忘れることができないお客さんに出会うことになった。

彼はある晩、浴衣姿で一人ふらりと現れてぼくの前のカウンター席に座った。その晩はお客さんは少なくカウンター席には彼が一人、テーブル席にも3人組の一つだけだった。

彼は初老、小柄でいかにも物静かで人の良さそうな人物でメガネの奥こら優しい目がのぞいている。彼はビールとミックスナッツを注文した。注文品をカウンターにおくと彼はビールを一口飲むとグラスをおき、大きくため息をついた。「1人で来られてるんですか?」ぼくは声をかけてみた。「いや、家内と二人できているんだ。ここも誘ったけど疲れているからと断られたよ。こんなに景色がいいのになあ」そう言って彼は窓に広がる景色を遠い目で眺めた。

「先月、定年を迎えたんだ。それであいつの長年の苦労を労ってやろうと思ったんだけどね」ぼくは「ここは都心からならばかなり遠いですからね。来るだけで疲れるのも分かります」と答えた。彼はビールをぐいと飲み干して二杯目を注文した。そして「いや」と前おきすると、こういった。

「旅に疲れたというより、娘を亡くしてから元気がなくてね」そして彼は語り始めた。

彼の娘さんは20代の頃に体がだんだん硬くなって動けなくなる難病にかかったらしい。それにずっと付き添って看病したのが奥さんだった。よくなることはない、と医者に告げられ、事実弱っていく娘さんをみながらずっと覚悟はできていた、とはいっていた。娘さんがなくなった時、奥さんは「わたしは大丈夫ですよ。すぐに亡くなる人もいます。でもこの子はずっと生きていてくれましたから」と、しばらくは気丈に振る舞っていたらしい。しかし、火葬場の扉がしまろうとするその瞬間、奥さんは娘さんの名前を大声で呼びながらそこに駆け寄って、皆んなが急いで制止することになったらしい。

成人女性を看病するとはどれだけ大変なことだったろうか。その長年の緊張の糸が弾け切れた瞬間だったのだろう。「それからあいつは立ち直れないでいる。まだ、これからの人生の方が長いのにね。・・・あいつにもノリ子のいない人生で楽しみを見つけてもらわないと」

彼が店にいたのは1時間ほどだった。ぼくにはその1時間がかけがえのない時間に思えた。どこの馬の骨か分からない若造に話してくれたことが嬉しかったのだ。しかし、ぼくは彼の話に何も応えられずにいた。何か言わないといけない、何かしないといけない、と頭の中はパニック状態だった。

最後の客となっていた彼もそろそろ帰ろうとしていた。ぼくは結局何もいえないままだった。「いくら?」彼が聞いてきたとき、ぼくは伝票を見ながら「半額でいいです!」ぼくはとっさに口をすべらせた。当然のことだが彼はクビをかしげた。それはそうだろう。そして「どうして?」と聞いてきた。パニック状態のぼくはその状態のまま、また口から勝手に言葉が飛び出した。

「お客様が来る前、先にノリ子様が来て払っていかれました!」

彼は「へ?」という顔をした。ぼくはふざけるな、と怒鳴られることを覚悟した。もしくはちょっとイカレた奴だと呆れられるだろう、と。彼はゆっくりと目線を落とし、頭を下げたかと思うと「くっ!」と一声叫んだ。そしてメガネを外して堰を切ったように泣き始めた。流れ出る大粒の波をぬぐおうともせず、フロアに響き渡るような大きな声をだしてまるで子どものようだった。

そうなのだ。あえて気丈に振る舞っていたのは実は彼の方だったのだ。娘さんを亡くした悲しみは彼にも同じこと、しかし失意の奥さんの前で自分が崩れてはいけない、そうした緊張感がこの今までずっと途切れることなく続いていたのだろう。

それから数日たったある日、彼は奥さんと二人でバーに現れた。彼はぼくを見ると手を振って「やあ、嬉しくてまた来たよ」と明るく声をかけてきた。奥さんも穏やかな表情だった。ふたりは港の夜景が一望できる窓ぎわの席に通された。その日はたくさん客がいて二人と話すことはできなかったが遠くから見ても奥さんと楽しそうに語り合っているのがわかってホッと心をなでおろした。


ぼくはその日、だれもいなくなったフロアにいて窓から夜景を見下ろした。数限りない数の灯りが見える。そしてそこには灯りの数だけ人生がある。そしてここは、様々な人生模様が偶然にも集い合わせ、短い時間だけすれ違い、時には自分をさらけ出し、そしてそっと温め合う交差点のような場所なのだ。

それから40年の歳月が流れたが、ぼくはその地を再び訪れたことはなかった。ぼくもその後一人娘を授かったがすでに結婚して家庭を持っている。そして自分もまもなく定年を迎えようとしている。これを機に再び訪れてみよう。ぼくがこの40年の間、自分なりに身につけた人生の哀歓の数々を胸のポケットに入れて。