先日、取引先のベトナムの社員とベトナムのカラオケに行く機会があった。そこで彼にベトナム人が最も好んで歌う歌を教えてほしいとお願いすると、Chao Vietnamという曲を歌ってくれた。美しいメロディの望郷の歌である。歌詞の中にコッポラ監督の名前も登場するのでさほど古い歌ではない。最後のフレーズに、mo(モー)という単語が登場した。その意味を聞くと「夢」のことだという。その時の会話。
-夢って夜見る夢のこと?
-この歌ではそうじゃなくていつの日かベトナムに帰るという願望のこと。
-あ、そっちの夢か。じゃあ、夜眠っているときにみる夢はなんていうの?
-そちらも同じく、mo(モー)だよ。
「夢」を日本語辞書で調べてみると、
というように大きく分けて2つの意味がある。
2つの意味に共通するのは現実とは異なるという点である。しかし、夜眠っているときに見る夢は確かに2番目の意味に通じる愉快で楽しいものもあるが、誰かに追いかけられる怖い夢や意味不明な夢も多く、内容も支離滅裂である。一方で2番目の意味は願望に通じる高邁なものでいつの日か現実としたいという希望を秘めたものである。
この2つの異なる方向性のものを同じ言葉で表現するというのは如何なものか、とかねがねいぶかしく感じていた。これが日本語固有なのかと考えるとそうでもない。英語でもどちらもdreamという共通の単語をあてているし、ベトナムの例を見てもどうも事情は同じようだ。
そこで他の国をまとめて調べてみることにした。以降、2つの概念を区別するために、夜見るものをユメ、将来に対するものを夢と便宜的に表記する。
まず夢という言葉が使われる場合を考えてみる。現実性、希望性の2つの軸を使って表してみると、
となる。ユメは非現実の最下段、楽しいユメから怖いユメまで幅広い。意味不明なユメはこの2つの中間あたりに存在するのであろう。一方、夢は楽しい方のユメと深く共鳴して今時点ではまだ現実的とは言えないがいつの日か現実になろうとしているものである。
ここでこの3通りのユメ・夢を世界30か国について調べてみた。それが次の表である。
この表で共通の単語が登場するかを分析した。完全に一致したものを赤、同類と思われるものを青で塗っている。もともとが微妙なものなので幾通りも言い回しはあると思うが、区別する単語が存在するかどうか、という視点での分析である。
この一致性を整理したものが次の表である。
こうしてみると4つのタイプが存在することが分かった。これら4つを図示する。
3つに対して同じ単語が使われる。
楽しいユメ、怖いユメを区別している。楽しいユメと将来の夢を同じ単語を当てている。
見るユメは共通だが、将来の夢は別な単語、もしくは活用形で区別している。
3つをすべて区別している。
これら4タイプのそれぞれに属する言語のリストを以下に示す。
まず、日本型。
日本型は8言語。次が米国型。
30言語がこれであり全体の6割を占める。次が中国型。
3言語のみ。特に中国語はユメは夢という漢字をあてるが、将来の夢は「夢想=実現を願うユメ」という語法であり個人的には最もしっくりくる。最後がロシア型。
10言語。東欧から中央アジアそしてロシアに向かう地域に集中しているのは興味深い。レヴィ・ストロースによれば言語の形成にはその地域の生活様式、文化、風習などが深く関わり合っている。このような地域性が生まれることは想像に難くない。