ベネフィット144。とうとう、忌まわしいこの家の前に立つ日が来た。とは言っても、ホイットマン夫人宅とは通りを挟んで斜め向かいの御近所同士である。ベネフィット通りを斜めに横切れば徒歩で10秒の距離である。
・・・家は、なおも現存しており、好奇の目をひくたぐいのものである。当初は農場ないしは農業を営む家族の住まいだったので18世紀はんばの平均的なニューイングランドの植民地時代風のものになっている。裕福そうな尖り屋根で、2階の家屋に屋根窓のない屋根裏部屋が備わり、ジョージ王朝風の玄関と内部の鏡張りは当時の好みの進展を物語っている。家は南に面し、一方の妻壁は一階の窓に至るまで、東にそびえる丘によって日差しをさえぎられ、もう一方は通りに面する土台まで吹きさらしになっている。150年以上も前の家はそのあたり道が工事されるのに合わせて建設されたのだ。
(『忌み嫌われる家』から引用)
ニューイングランド一帯には、18世紀末からフランス人の移住者がたくさん住みついていた。この忌み嫌われる家の斜め向かい(つまり、ホイットマン夫人邸の隣の隣)には当時、Dr. Batesの電気療養所があった。記録では1880年から1930年。今ではそこは空き地になっている。
ラヴクラフトも一時期その患者だったらしい。そこを訪れた折に、この家の伝説に触れて、それが小説のモデルとなったのであろう。1875年に、スタフォード老婦人、1845年にエイザリーという老婦人がなくなったとされている。二人とも、共通に2階の部屋に閉じこもった際に、呼びかける医師に、学んだこともないはずのフランス語で悪態をついたらしい。そして、今回、訪れたときには表札には偶然かどうか、フランス人の名前が書かれていた。