★Beat Angels

サル・パラダイスよ!誰もいないときは、窓から入れ。 レミ・ボンクール

アーカム探訪記(第4回)

 ラブクラフトは、1930年の書簡の中で、こう言っている。

「ああ、1922年12月17日の午後4時にめくるめく夕陽を浴びて、雪におおわれるマーブルヘッドのうずくまるような古風な家並みを驚嘆の思いで初めて目にした時のことを終生忘れることはないでしょう。1922年12月17日の午後4時5分からの10分間、最も強烈な感情の高まりを覚えました。一瞬のうちにニューイングランドの過去の全てが私に押し寄せ、かつてなくこれからもないようなやり方であらゆるものからなる途轍もない全体との一体感を与えてくれたのです。」

 これと「魔宴」という小説がいつでも頭の中でつながっていた。「魔宴」の中で、主人公の一族の家についての描写は次の通り。

・街の名前はキングズポート。
・街の中心部の丘の上に巨大な白亜の教会がある。
 街の中には古風な風見鳥、尖塔、通風管、岸壁、橋、柳、墓地。
 急こう配の曲がりくねる道が生み出す果てしない迷路。
バック・ストリートを抜けて、サークル・コートに入り、街で唯一敷石舗装された道を抜けて、グリーンレーンマーケットハウス裏手から始める場所に向かった。
・グリーンレーンの左手7番目の家が一族の家である。
・1650年に完成し、とがった屋根と張り出しの2階がある。

 さて、私はこのキングズポートのモデルはマーブルヘッドだと推測した。そして、マーブルヘッドでこの一族の家を探すことがこの旅の最大の目的であると確信した。小説の中でその街は海に囲まれ岸壁が多数あるはずなのだ。(最後に主人公は岸壁に漂着しているところを保護される)

 ホテルでタクシーを呼んでもらった。
運転手に行き先を聞かれると、私は迷わず「キングズポート」と言ってしまい、怪訝そうな顔をする運転手に「マーブルヘッド」と告げ直したのだった。

 

 f:id:taamori1229:20141207124507j:plain

セイラムからマーブルヘッドを望む。

こちらからみても海岸には瀟洒な豪邸が建ち並んでいるのが見えて少し違和感を覚えた。ラブクラフトの時代からすでに時は流れ過ぎているかも、と不安がよぎった。

 さて、キングスポートについては、ラブクラフトの「霧の高みの不思議の家」の中にその場所を示す記述がある。

「(キングスポートの)東と北では何千フィートの崖が海からそそり立っているのであと残っているのは、アーカムのある内陸部に面した西側だけだった。」

 アーカムとはセイラム市のこと。これから、キングスポートとは実際のマーブルヘッドがそれであることは確実である。ただ、このマーブルヘッドは全体としてなだらかな山からなる半島であり、崖は存在しない。

 f:id:taamori1229:20141207125117j:plain

 まずはマーブルヘッドのダウンタウンでタクシーを降りた。

 f:id:taamori1229:20141207125258j:plain

予想にたがわず、ちょっとしたレストラン、商店街だけで何もないところである。
そこで地図を広げてみて、「エルム街」がすぐに目に入った。これが映画の
エルム街の悪夢」の舞台かどうかは分からなかったが、まず、そこを目指して
歩いてみることにした。エルム街の様子は次回報告する。

 ここまで半島の内部まで来てみると、小高い丘になっていてラブクラフトの言う急こう配の坂道が沢山あることが分かった。あたりを歩き始めていてみると、沢山の教会の尖塔が見えてきた。まさにこれだろうと駆け寄ったりしたがどうもピンとこない。ラブクラフトの言うまがまがしさが足りないのである。

 そんな時、マーケット街という名前を目にした。マグフォード街の商店街である。
ここが、ラブクラフトの言う、マーケットハウスではないかと仮定してみた。というのもここだけが唯一敷石舗装されていると書かれている。この一帯で一番の繁華街に違いないことも理由である。

 

 f:id:taamori1229:20141207125618j:plain

ここを起点に道は放射状に延びている。その一本が先程のエルム街につながっているのだ。その先がマグフォード街である。そして地図を見ると、エルム街から、マグフォードに抜けるハリス街という迂回の道がある。これがラブクラフトの言うサークルコートだと直感した。

 f:id:taamori1229:20141207125930j:plain

さて、これらのことから、ラブクラフトの記述と実際の街の対応関係として、

 ・バック・ストリート⇔エルムストリート
 ・サークル・コート⇔ハリスストリート
 ・グリーンレーン⇔マグフォードストリート

であることが分かった。

さて、ここまで来ると「一族の家」ももうすぐである。

 もう一度、エルムストリートと、マグフォードストリートの交差点まで来て、ラブクラフトの言う7番目の家を数えて探した。数えて7番目まで来た。しかし、そこは似ても似つかない、現代風の家だった。もう一度、交差点まで戻り数え直した。やはり同じ家の前にたどり着いた。その家の前でしばし考え込んだ。その家の人はなんだと思ったろうか。

 ラブクラフトがここを訪れたのは、1922年である。当時はここは村だった。
今ではれっきとした街である。ということは当時は現在ほど家は多くなかったのだ。それに気がついて、僕はさらに数えて歩き続けた。8番、9番・・・、そして13番。

ここに張り出しの2階の家を見つけた!

 

 f:id:taamori1229:20141207130102j:plain

確かに古めかしくイメージにぴったりだ。
玄関に建築時の年が書かれたプレートを発見した。

 

 f:id:taamori1229:20141207130130j:plain

 写真は読みにくいが、1695年Warters家として建築、1725年にBowen家に渡された、とある。僕はここで、小躍りして喜んでしまった。ラブクラフトは1650年以前と書いているが、1695年の間違いであろう。それにしても『13番目』とは。

 そして次に教会を探す。ラブクラフトが訪れた1920年にすでに存在ていたものでなければならない。そしてそれは古い歴史をもったものだろう。中心街から放射状に延びた道を歩き教会を探す、見つけると建設年時を調査した。その結果、3つ目の教会が1714年建設であった。それはサマーストリートという急こう配の曲がりくねった道沿いにあった。日本語でいうと聖ミカエル監督教会。

 

 f:id:taamori1229:20141207130254j:plain

 この教会の地下には、巨大な空間が広がり、秘密の儀式が催されていたらしい。それを教会の人に尋ねる勇気はなかった。今日は、土曜日、敬虔なクリスチャンの家族連れが平和を謳歌していたからである。それを邪魔する気分には決してなれなかった。

 f:id:taamori1229:20141207130433j:plain 

 私は近代文学史上においても貴重な発見を胸にしてキングスポートを後にした。