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サル・パラダイスよ!誰もいないときは、窓から入れ。 レミ・ボンクール

岡田とお玉と無縁坂

森鴎外の小説『雁』の主人公の大学生岡田の散歩のルートは2つありました。それを図解します。

まず最初は上野・湯島天神ルート。背景の航空写真は国土地理院所有の1936年のものです(これが最古)。小説の舞台から50年ほどの時代の差がありますが、これを見てもまだ東京本郷界隈は緑が沢山残っていて家並みもまばらなことが分かります。

 

無縁坂を下って不忍池に出て上野の山を散策して池を一周し、湯島天神を通って帰って来るルート。古本屋をのぞいていたそうです。そして、もう一つが神田明神ルート。

 

本郷通りを下って神田明神をぬけて神田川沿いを現在の秋葉原近くまで歩き、御成道を通って上野広小路に戻りってきます。

今回は特にルート1に着目しました。東大鉄門の前にあった上条という下宿屋から散歩は始まります。今の鉄門はこんな感じです。門の向こうに見えるのは東大付属病院です。

 

この写真の手前から右手に延びている道が無縁坂。今でもその名前で呼ばれています。下宿屋上条があった場所は今は薬局です。

 
岡田は上条を出てここから無縁坂を下っていきます。やがて右手には旧岩崎邸が見えてきます。今でも立派な石垣が残っています。

 
この坂の途中で、岡田はお玉と出会いました。「・・・右手に岩崎の屋敷の石垣が始まり、やがて爪先下りになった頃・・・」とありますのでちょうどこのあたりでしょう。坂はこのあたりからほんの心持、右に折れます。無縁坂という名前の由来が「本郷区史」の書かれていました。この坂の終わるあたりに、称迎寺という小さな寺がありました。

 

ここは無縁仏を弔うお寺で別名無縁寺とも呼ばれていたそうです。今現在はもうありません。これは江戸時代の地図ですが、この九番地の牧野氏の領地に明治時代に岩崎邸が建てられました。当時この坂の反対側には小さな家が並んでいました。荒物屋、仕立物師の家、煙草屋、などなど。その中に御影石でできた入り口にいつもきれいに打ち水のある家がありました。それがお玉が女中と二人で暮らしている家です。

岡田はある日、いつもの散歩の道すがらこの無縁坂で銭湯帰りのお玉に出会います。その後、散歩の度に格子戸越しに顔を合わせることになりお互いを意識するようになります。今でもこの旧岩崎邸はここに当時のまま残されています。石垣とそれに覆いかぶさるように茂った深い森は今でも健在です。岡田とお玉の仲を決定づけたのは「蛇」の一件でしたがそれは、岩崎邸に生息していたものが石垣を伝って降りてきた、という背景を納得できました。

このお玉という女性の素性とその後の二人の悲しい顛末は小説を読んでいただくとして、さらに図書館で「文京区史」を調べていたらこの坂の古い写真を見つけました。

 

そしてちょうど車があるあたりから下り坂になっているように見えるので、ちょうどその付近左手にお玉の家はあったのでしょう。右手、岩崎邸の前にある電柱は今でも同じ場所に建っていると思います。最近、こうした古い写真をよく調べているのですがそこで「電柱の立っている場所は意外に変わらない」という法則めいた事実を発見しました。勿論、電柱が埋設されたらそれまでですが。

明治文学を代表する小説である森鴎外の『雁』。そして日本の近代文学そのものが、この無縁坂での岡田とお玉の出会いから始まった、といっても過言ではないと個人的に考えています。