福島駅からJR奥羽本線(米沢線)で30分ほどで板谷駅に到着した。そこで下車して隣の駅である峠駅まで歩いてみることにした。行程を下図に示す。
板谷駅を降りて歩き出すとすぐに急な登りの山道が続く。道路は一応舗装はされているものの車一台ががやっと通れる道幅である。車がすれ違うときはどうするのだろうと心配になったが歩いてみて大丈夫な理由がわかった。一時間半位の行程ですれ違った車はたったの1台だけだったからである。図の通り途中の三叉路は2カ所だけ、それ以外に他の交差する道、脇道、抜け道などは一切ない。道を踏み外すことはすなわち遭難を意味する。
スタートポイントである板谷駅の道標。
峠駅まで5.8kmと書かれている。地図で見たときには直線距離は2km足らずであると思っていたので驚かされた。確かに途中には険しい板谷峠があり、山肌を縫うようなくねくねした山道が続いているためである。
まもなく5月だというのに山肌には根雪が残っている。
いたるところでコトコトという雪解け水のせせらぎの音が聞こえる。辺りには人家もなく、車も通らず静まりかえっているのでその音ははっきりと聞こてくる。遠くからウグイスの声も響いて山間の遅い春の訪れを告げていた。
道ばたではふきのとうが冬の凍土を突き破って顔を出している。淡い緑色が新鮮だ。
板谷峠に近づくにつれて標高が上がってきた。自然と根雪も多い。板谷峠は標高が755m。板谷駅から200mほど上ったことになる。少し息が上がってきた。
ちょうどこの峠にさしかかったあたりで後ろから車が一台やってきて隣に停車した。窓が開いて、若い男性が親切にも乗っていきませんかと声をかけてきた。ここから下り坂となり楽になるはずなのでお礼を言ってお断りした。よほど山道がしんどそうに見えたのか。
板谷峠を越えると道は下り坂に変わり、息が整ったあたりで第1の三叉路に到着。
まっすぐ行けば大沢を経由して米沢に抜けられる。
ところが、そのルートは積雪で全面通止めとなっていた。この付近の住民はどうするのだろうかと心配になったがよく考えればこの山中、住民はほとんどいないのであった。
さて、予定通りこの三叉路を左折して峠駅の方に向かう。
道幅はさらに狭くなり、道の両側にうっそうとした林が立ち並ぶ。
林の間から遠く隣の山々の尾根が見え隠れする。まさに木枯らし紋次郎の世界である。歩きながら頭の中には上条恒彦の「誰かが風の中で」の歌声がこだましていた。あたりは静かで誰もそれを邪魔をするものはいなかった。
このあたりは地名もついていない場所で目印もないので解説が難しい。
そうこうしているうちに第2の三叉路に到着。
ここを右折して600mいけば目指す峠駅である。名物らしい「力餅」という看板がある。左の道をいくと姥湯温泉という温泉に向かう。そちらの道を見てみると、
またもやこちらも通行止めであった。結果的にただの一本道であったことになる。
ここからはやや平坦な林道が続き、まもなくJR峠駅が見えてきた。板谷駅から一時間半ほどの道のりであった。
これが駅?山間の小さな集落にしか見えない。細長く続く三角屋根は養鶏場か、それとも養豚場か?それにしては眠ったように静かである。
今回、峠駅を訪れようと思った動機は「力餅」ではない。この駅はかつて「スイッチバック方式」で有名な駅であった。小学生の頃、この路線を利用した時にこのスイッチバックを体験した。そしてその不思議さ、神秘さに憧れを抱いて、いつかその秘密を解き明かしたいと思っていた。しかし一度もこの駅で途中下車する機会がないまま時は流れ、1990年にそれが終了したことをニュースを知ってとても悔しい気分を味わった。それから20年以上が経過した今、スイッチバックの遺構は残っているのか、それを確かめに来たのである。次回、それをレポートする。