ルネサンス期の博物学者キルヒャーはバベルの塔、ノアの方舟に引き続いて、エジプトに関する歴史家の資料を基に空中庭園、地下迷宮の研究に着手した。
その一つが古代エジプトのマレオティス湖畔にあったと言われる巨大地下迷宮である。文献の記述でしか残っていないのでキルヒャーの研究は困難を極めたがそれをきちんと絵として仕上げるという偉業を成し遂げた。キルヒャーの描いた迷宮がこれである。
壮麗さという点ではピラミッドに負けていない。ちょうど町一つ分の大きさである。中央に霊廟、周りには12の守護神に従って区分されている。この迷宮には神官が一人住んでいる。なぜ、このような迷宮の形をとるかというとこれら神々の霊力を集めてそれを中央に集中させ、魔法の儀式を行うためだったとキルヒャーは分析する。そしてクレタ島の迷宮などもギリシャ人がこれを模したものであると考えた。
この図柄は密教の曼荼羅にどこか通じる。金剛界曼荼羅全図。
続いてキルヒャーは紀元前200年ごろの次の言い伝えに着目する。
アルキメデスの天日取り鏡
紀元前214年から212年にかけてローマの軍勢マルケロスがシラクサを包囲したとき、アルキメデスが招かれて力を貸した。彼はローマの軍船に対して陸上から太陽の光を集めて燃やしてしまう鏡を考案した。これによりローマの軍船を排斥したのである。
この言い伝えに対してデカルトなどは科学的にありえない、で一蹴した。
しかしキルヒャーはこれを信じた。そして実際にシラクサの地を訪れて船団と陸地との距離を算出した。そして幾何学的な考察から鏡は楕円の曲面を模して配置されたと推察した。彼の説明図はこれである。
彼はパリにある宮殿で公開実験を行い、100枚以上の鏡を使って木片に着火させることに成功した。これによりキルヒャーの推論の正しさとアルキメデスの伝説の信ぴょう性が15世紀という時間を超えて証明されたわけである。
その頃から近代科学の波が押し寄せ、実利が優先される時代となる。キルヒャーはデカルトの執拗な批判を浴びて歴史の表舞台から姿を消し、彼の貴重な研究成果は忘れ去られていった。残念なことである。