温かい雨の降る春の日、ぼくは傘の列がすれ違う町の通りを当てもなく歩いていた。そこで不意に呼び止める声を聞いた。大学時代の友人Kであった。振り向いた僕には赤い傘がすっとKの傘の後ろにすっと隠れるように動くのが見えた。そこには楚々とした長い髪の女性が立っていた。
Kとは大学は違ったがサークルで知り合い、時々飲みにいった仲だった。それから僕たちは就職してもう5年になるが、この間は疎遠となっていた。当時、渋谷のセンター街の小さな居酒屋で二人で飲んだ時のことを思い出した。その夜、Kはなぜかひどく怒っていた。
-なにが腹が立つというと、清少納言の梨の花の話だ。彼女に言わせれば梨の花は愛嬌がなくて不愛想で風情がないそうだ。まったく価値がない、とまで言っている。本当に梨の花を見たことがあるんだろうか。梨の花は恥じらいの花だ。確かに花の色は淡くて一見味気なく見えるかもしれない。でも花をよく見てみると花びらの端には薄い紅色が見える。それはまるで自分の魅力に気づいていない奥ゆかしさだ。それが本当の美しさというものだ。他の花の傲慢さとは比べ物にならない。
彼は気色ばんでまくし立てた。僕はなぜそんなにむきになるのか理解ができないままその晩は別れた。
そしてたった今、再会したKは陰に隠れた女性を僕に紹介した。間もなく結婚するとのことだった。
-リカといいます。
-リカとはどういう字を書きますか?
-果物の梨に花、です。
-ひょっとしてKと知り合ったのは学生時代ではないですか?
ーはい。でもどうして?
僕はKが思い出すかとの顔色を覗き込んでみたが、Kは学生時代の会話など完全に忘れているようだった。
僕は彼らに提案した。
-雨も上がったようだし、お祝いを兼ねて3人で一杯飲んで行きませんか?今日は僕がおごります。ぜひ梨花さんに聞いてもらいたい話があるんです。