夏の昼下がりに鳴った電話は故郷の市外局番で、実家が残る福島市の水道局から。故郷なまりの担当の人が言うには、誰も住んでいないはずの家からわずかだが水漏れが起きている、原因を確かめてくれないか、と。
水漏れがいまこの瞬間にも発生中とは気分がよくない。さっそく週末に帰省して玄関先にある水道のメーターを開けてみる。メーターの数字はピタリと止まったままだ。家の中ですべての蛇口を確認する。しかし水漏れが発生している様子はない。
途方に暮れて再び水道局に問い合わせてみる。すると、メーターではなく水漏れ検知器を見てほしいとのこと。あらためてメーターをよく見ると、数字の下に金属製の小さな傘があってゆっくりとだが確かに廻っている。光を四方に反射させて分かりやすくしているやさしい仕組みだ。

再び家の蛇口を総点検する。使わなくなっていた洗面所の蛇口から数分おきに水が滴っているのを発見。これでもか、と満身の力を込めて蛇口を締めなおす。それからメーターを見に行ってみると例の金属性の傘はおだやかに静止していた。
亡き父は水道管工事の仕事をする人。休日も昼夜もなく働いた。深夜も専門書をひたすら読む姿に、幼心にもあこがれていたのを覚えている。水は人々の生活を支える大切な資源、それを守るのが務めだ、というのが口癖。そしてこうも言っていた、だからどんなに水量が微量でもメーターは検知できるのだ、と。
不意に小学校の国語の授業を思い出す。担任の女性教師は雑談の時間、真顔でこう言い放った。
ーお風呂にできるだけ水を細くして流すと水道のメーターは上がりません。ただで風呂に入ることができます
父の水道メーターは一滴の水も見逃さない。父の言を借りてそれに反論。教師は目をむいて怒った。私が主張を変えないでいるとしまいには口答えするな、と平手打ちが飛んできた。その手の体罰は当たり前の時代だ。私は悔し泣きをしながら心の中でつぶやいた。
ーそれでもメーターは廻る、と
実家での一仕事を終えるとすでに夕暮れ時。水道メーターの横の縁石に腰を掛けてタバコに火をつける。そしてふと手のひらを見る。そこには、蛇口を思い切り締めたときの鈍い痛みが残る。これこそが昭和の水道マンの誇りと心意気なのだ、そして今日、それにじかに触れたのだ。
玄関先には大きな一本の柿の木。私が幼い日、父が縁日で私にと苗を買って植えてくれたものだ。うっそうと茂った葉が夕日に照らされている。今年の秋もたくさんの大きな実をつけるに違いない。そしてつぶやいた。
ー今日、私をここに呼んだのはあなたですね
