去る7月に訪れた軍艦島は、大きさは南北160m、東西480m、面積は6haあまり、周囲は1,200mの小さな島である。20分あれば島の周りを一回りできてしまう。かつてこの小さな島には最新の鉄筋コンクリートの高層ビルが立ち並び、一番多い時で5,000人を超える人が暮らしていたという。今から約40年前、1974年に閉山が決まりその後無人化、そして廃墟化して今日に至っている。
最近、この島に住んでいた住民たちを対象に当時の暮らしのアンケートが行われた。この驚異的な人口密度は非常に住民にとって苦痛ではなかったかと思いきや、意外なことに暮らしやすかった、生活は楽しかったという感想が大半を占めた。軍艦島の構造を居住空間という切り口で考察してみた。
ここは生活のメインストリート。奥に見えるのが地獄段。高層ビルを縫うようにして高台まで抜けていく。頂上まで上るとそこには神社がある。
空も鋭角に切り取られ窮屈そうである。
いたるところにビルとビルをつなぐ通路、階段が作られている。住民たちは外に出ることなくビル間を移動できた。これは島全体として一つの空中都市をなしている、とも言えるだろう。
まるで一つの有機体の内部の血管網のようにネットワークが張り巡らされている。この光景を眺めていていくつかの日本古来の文化との共通点を思い浮かべた。
一つは茶道である。利休の手によって茶室は無駄が排除され極限まで小型化、シンプル化してきた。この質素な世界の中でわび、さびの境地を追求するのである。
そして盆栽。
おそらく、この系統には、箱庭、水石などの世界も属すると思う。この凝縮という行為の中に日本人古来の美意識に通じるものが見え隠れする。限られた空間、大きさの中に山紫水明を見る、さらには宇宙までをも感じてしまうのである。貧乏くさいと言ってしまえばそれまでだが欧米文化であるひたすら大きく、多くを追求とする姿勢とは一線を画した日本人固有の美意識であるといえよう。
最後に貴重な発見を紹介する。
今回、軍艦島を訪問して最後に思い出したのが横浜有数の酒場エリアである野毛町のたたずまいであった。限られたエリアに300店ほどの小さな居酒屋が凝縮されひしめき合っている。
野毛エリアを黄色い線で囲ってみたが・・・
形も大きさもほぼ軍艦島と同じくらいであることを発見したのであった。いつしか、軍艦島が完全な更地化した時には野毛町をそのまま移転して酒場島として再生してみたい。