★Beat Angels

サル・パラダイスよ!誰もいないときは、窓から入れ。 レミ・ボンクール

窓を開ければ

拝啓、

残暑厳しい中、如何お過ごしだろうか。先日は会津の田舎味噌を贈ってくれてありがとう。懐かしい味、焼酎に合わせて堪能させてもらった。

さて、こうして珍しく筆をとって神妙な書きっぷりで始めたのには理由がある。昔、お前から聞いた夢の話だ。酒の肴に聴いたのだけなのだが俺の心のどこかにずっと引っ掛かっていた。実は最近、その真相が明らかになった。なんと30年ぶりのことだ。少し長くなるが聞いてほしい。

あの晩、渋谷でお前と飲んだ時、俺は社会人だったがお前はまだ学生だった。お前は授業の単位もほとんど取り終えて卒業だけを待つ身分だった。だからバイトに明け暮れて飲み歩き、朝は遅くまで寝ているという生活をしていた。社会人になったばかりの俺からみるとうらやましい限りだった。その晩、お前はこんなことを話していた。 
 

先週の土曜日、いつものように昼近くまで寝ていたのだが、目が覚めて部屋の窓をあけてみると上空を巨大な物体が飛んでいるのを見た。それは30メートルほどの大きさでゆっくりと西の方に向かっているようだった。それはとても不思議な形をしていた。でもどこかで見たことがあるような気がしたが思い出せなかった。いや、実は思い出していたのかもしれない。でも、それはあり得ない、と理性が無意識に拒絶していたのだと思う。しばやくそれを眺めていたが物体がゆっくりと角度を変えたときにそれの名前が明確に頭に浮かんだ。もう否定することのできない限界まできたのだと思う。それは・・・金閣寺だった。巨大な金閣寺が大空を悠然と泳いでいたのだ。俺は夢を見ていることを確信してまた布団にもぐりこんで眠った。映像的には結構リアルな夢だった。

 

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その時はなんて荒唐無稽な夢だとは思ったものの、軽く聞き流しただけだった。それから30年近い歳月が流れたわけだが、最近、日本最初の熱気球である『イカロス5号』のことを調べていた。日本気球連盟というところがホームページに日本の気球の歴史を載せている。たしかに日本の気球の歴史は69年9月に洞爺湖で上げられたイカロス5号から始まっていた。その後の歴史をつらつらと眺めていたところ、偶然これを見つけたのだ。

 

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86年の7月に フォーブスという人が「金閣寺型熱気球」で来日親善旅行をした、とある。これを見て、俺はあの晩お前から聞いた夢の話を思い出した。86年はお前が東京に住んでいた最後の年であり、確かに時代的には合う。お前があの日みた金閣寺は夢の話ではなく、なんと現実世界の出来事だったのである。

さらに新聞などで調べてみると、この金閣寺型の熱気球の高さは25m。東京麻布にあったとある学園のグランドから出発して多摩川の河川敷に着陸した、とある。当時のお前のアパートがあった場所でこれを結んでみて、多摩川までそれを伸ばしてみたのが次の図である。

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金閣寺型熱気球は二子玉川近くに着陸したものと推定される。

マルコム・フォーブス氏とは世界的な経済誌フォーブスの当時の社長だった人だ。各国を訪れる機会があるとその国の代表的な建造物を模った熱気球に乗って遊覧するという優雅で人騒がせな趣味があったらしい。エジプトならばピラミッド、フランスならばエッフェル塔などである。

なぜ、日本ではそれが金閣寺なのか?、は依然として残る謎である。そしてこの気球が現実のものだと言われてもなかなかその形は想像がつかない。一度みてみたいと思い、写真を探したのだが残念ながら見つけることはできなかった。

さて、俺の話はここまでである。この話を肴にまた飲み明かしてみたい。金閣寺が現実のものとなった今、もう一度、お前の口からお前の目撃した金閣寺のことを詳しく聞いてみたい。

PS
なぜ、俺がイカロス5号のことを調べていたか不思議に思うかもしれない。ヒントだけを教えておこう。それは・・・風船おじさん、だ。仔細は会った時にでも。

(後日、海外のサイトで見つけた写真。縮尺注意)

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共同浴場巡礼の旅(飯坂温泉)

福島市飯坂温泉には9つの公営の共同浴場がある。

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これらを一日で一通り廻ってみることにした。表に示すように定休日はうまく振り分けられている。土日はすべて営業しているが、訪れたのが金曜日だったので2つは残念ながら定休日だった。9つ全部廻っても入浴料は総額で1,900円である。

これら9か所の巡礼ルートを下図のとおりに決めた。

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最初に飯坂温泉駅を起点として摺上川を上って第1の目的地である穴原温泉郷の穴原湯を目指す。その後、駅に付近に戻ってきて町内の8つの浴場をめぐる、というものである。

まず、出発地点の飯坂温泉駅で自転車を借りることにした。


普通の自転車は無料で借りられるのだが、飯坂は坂道が多いので電動サイクルの方がいい。料金は4時間で300円である。全行程は約5kmなので、食事他、多少の寄り道を含めても4時間あれば十分である。

ここでは2つの湯を紹介する。

 
◆大門の湯

この湯は、立綱坂という優雅な坂を上り詰めたところにある。

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昔、大鳥城の門があった場所にあるからこの名がついたようである。

 

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この湯は飯坂のはずれの高台に位置していて福島盆地を一望できる。

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◆鯖湖湯(さばこゆ)

飯坂温泉で一番古い湯で、芭蕉奥の細道の旅の途中でこの湯に入ったといわれている。

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天井は高く、内部は建築のヒバの香りに満ちていて心地いい。

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湯舟は当初は日本最古の木造であったが、平成5年にこの御影石の湯舟に改築された。この湯を出るとちょうど目の前に懐かしい佇まいのカキ氷屋がある。手動式である。

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迷うことなくイチゴ(ミルクなし)を注文。おやじさんはシャリシャリと気を付けないと聞き取れないほどの音で大きな氷を少しずつ削り取っていく。

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この氷の柔らかさ、滑らかさは職人の手によるもの。価格もリーズナブル、150円であった。


ミッション・インポッシブル(捕虜奪還作戦、続き)

イーサン・ハントによる捕虜奪還作戦の続きである。


イーサン機をA、他2機の支援機をB、Cとしてそれぞれの燃料がどれだけあるかの推移を下図に示す。

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2つの給油ポイントをもうけることがポイントである。

第1給油ポイントは敵地への1/4にあたる場所である。ここでC機は燃料の1/4をA機(イーサン機)、1/4をB機に給油した後、基地に引き返す。

第2給ポイントは敵地へ向かう中間地点である。ここでB機はA機に燃料の1/4を給油し後に基地に引き返す。A機は単独で敵地に向かう。これによりA機は敵地到着時において帰路の半分の燃料を確保できていることになる。

帰路においてもちょうど逆のやり方で給油を行う。B、C機は基地に戻って再度燃料を補充して再度A機の支援に向かうのでA機の他に2機あれば十分である。

時系列で見ると下図のようになる。基地から敵地までの飛行時間を12時間としている。

 

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午前0時にA、B、Cの3機は同時に出発する。

第1給油ポイントは午前3時、ここでC機は引き返し、午前6時に基地に戻ってくる。これと同時期に第2給油ポイントでB機は給油後、基地に引き返す。

正午に、A機は敵地、B機は基地にほぼ同時に到着する。

帰路についてもほぼ逆の流れとなる。B機、C機は帰路の給油ポイントに向けて時間をずらして出発する。

以上の作戦により午前0時、3機は敵地の捕虜を無事確保して同時に基地に戻ってくるのである。

新・富士見伝説


ここから見える富士山は

それはそれはいつも美しいです
近すぎず、遠すぎず
ちょうどほどよい絵のようで

あくせくと働いて
それでも心が暗いのだったら
あなたもここにいらっしゃい
枝を伸ばしすぎた雑木林と
波立つ風の湖と
アスレチックに興じる子供たちが
いきいきとなぐさめることでしょう

ほら、
ここからみえる富士山は
いつものように美しいですよね

え?
もっといいものをたくさん見たって?


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     <武蔵村山市・野山北公園>

『東京逍遥純情詩集』より

ミッション・インポッシブル(捕虜奪還作戦)

ある朝、イーサン・ハントは長官に呼ばれた。

-おはよう、イーサン。今回の君のミッションだが、この基地から敵の島まで飛行機で飛んでもらいたい。そして囚われの身となった者を救出して基地まで戻ってきてほしい。

-それだけ?簡単そうに思えるが。

-一つ、問題がある。飛行機の燃料だが満タンにしても敵の島までたどり着くのが精一杯なのだ。

-十分すぎるほど大きい問題だな。じゃあ、帰りの燃料は敵地で補給しろと?

-いや、それは不可能だ。ただ一つ可能性があるのは我々は同じタイプの飛行機は何機も十分にもっているということ、そして、空中で飛行機から飛行機へ給油することが可能なことだ。

-分かった。私の飛行機ともう1機で飛んでいって半分まで行ったところで1機は残った半分の燃料を私の飛行機に給油すれば島からの戻りの半分の燃料は確保できる。戻りの途中にももう1機を飛ばしてもらって中間地点でまた半分を給油すれば基地まで戻ってこれる。

-いや、それは私も考えた。それだと救援の飛行機は君の飛行機に給油した時点で燃料がなくなり墜落してしまう。他の犠牲者は出すことは許されない。

-じゃあ、どうしろと。

-イーサン、それをなんとかするのが君のミッションなのだ。

イーサンは椅子に座ったまましばらく思案してたが、やがてにやりと笑って立ち上がった。

-じゃあ、長官。私の乗る飛行機の他に2機を貸してくれ。なんとかする。

さて、イーサンはどうやって犠牲者を出すことなく捕虜を奪還しようとしているのか?

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ダークサイド・ショート・ストーリーズ(DS3)

人間の感情の中で何よりも古く、何よりも強烈なのは恐怖である(H・P・ラブクラフト
人はみんなできるだけ不安になるべきだと思うんですよ。世界というのは不安なものだから(エドワード・ゴーリー

 

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殺人事件、怪奇、恐怖、幻想、不安・・・これら負のイメージの言葉で語られる短編小説群を総称して「ダークサイド・ショート・ストーリーズ(DS3)」と名付けた。この分野には定評のある有名作家もたくさんいる。しかし今回はむしろ無名作家の個性豊かなDS3アンソロジーを探して読み漁った。範囲は古今東西にわたりその短編集の数は37、作品数としては508編に上った。一覧については下表を参照願いたい。今後、この500編を少しずつ紹介していきたいと思う。

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なぜ?

わが愛しい子よ
お前の輝くような言葉を聞くために
今日もまた哲学堂を訪れよう

なぜ、あれは三学亭というの?
なぜ、六賢台で、なぜ、妖怪門?
なぜなの?なぜ・・・?

わが愛しい子よ
お前の叫ぶ「なぜ」の洪水に
私の心は飲み込まれそうだ
お前の中に育つ大いなるものに
私の心は風のように震える

お前の輝くような言葉を聞くために
今日も早く散歩に出かけよう

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      <中野区・哲学堂公園

『東京逍遥純情詩集』より