木枯し紋次郎
上州新田郡三日月の貧しい農家に生まれたという。十歳の時に故郷を捨てその後、一家は離散したと伝えられる。天涯孤独な紋次郎がなぜ無宿渡世の世界に入ったかは定かでない
秋の上州路、一面に広がる田、まもなく稲刈りのシーズンをむかえようとしている。私はそんな中を一路、三日月村を目指して歩いていた。頭の中には芥川隆行の名ナレーションと上条恒彦の力強い歌声がこだましていた。
雨が降り出しそうな中、険しい山道を進んで峠に差し掛かると三日月村への入り口があった。関所の形をしている。
『地蔵峠の雨に消える』
しばらく山道を進んでいくと立場(たてば)と呼ばれる休憩所があった。かつては篭屋や馬子、人足などが休憩した場所である。
『馬子唄に命を託した』
さらに進んでいくと、宿場町のたたずまいが見えてきた。
宿場の入り口には水車小屋。普通は精米のためのものだが、ここ三日月村ではそば粉の製造に使われている。構造的にこの水車には釘が一本も使われていない。
『夕映えに水車は軋んだ』
最後のシーンは横に倒れた着物の女性の帯が風に舞っているところで紋次郎は長楊枝を吹いてその帯を水車に突き刺す。水車は帯を巻き取っていき、女性はぐるぐる地面の上を廻り、着物がすこしづつ脱がされていくというものだった。当時、小学生だった私たちに与えた精神的な影響は計り知れない。
宿場に足を踏み入れると、まずは茶屋。
そしてその隣には蕎麦屋。
蕎麦屋の店内に入る。中央に囲炉裏、奥の壁には紋次郎の合羽と笠が無造作に掛けられている。
ところ天を注文、値段は3文。寛永通宝をテーブルの上に転がす。コトン、という低く鈍い音が心地いい。
三日月村では昔のお金しか使えない。関所の隣に両替商があってそこで交換してくれた。為替レートは1文=100円。
街はずれには居酒屋がある。まだ日は高い時間なので準備中であった。上州名物麦焼酎、名酒『赤城山』には心惹かれるものがある。
そして、旅籠、上州屋。今日はここに泊まろうかと思うが、実は今日中に訪ねねばならないところがあった。
『童歌を雨に流せ』
それは紋次郎の生家である。
いまにも風に吹き飛びそうなほど荒れ果てている。紋次郎は10歳の時にこの家を出て行ったのである。そして家の隣には墓と地蔵。
『無縁仏に明日をみた』
紋次郎の生家に別れを告げ、温泉郷を目指して先に進んだ。やがて国境の峠に出る。こちらにも関所が設けられている。
『見返り峠の落日』
こちらには紋次郎の記念碑があった。
三日月村に別れを告げ、赤城に抜ける街道に出て進むとそこには、
東武線の藪塚駅。浅草から特急で1時間版40分ほど。三日月村は実はテーマパークであり、この駅から徒歩で20分ほど。隣にはスネークセンターがある。土地の方にはむしろこちらを勧められたが今回は時間なく断念した。
今日はおりしも、藪塚かかしまつり、の日でもあった。