★Beat Angels

"Don't use the phone, People are never ready to answer it. Use Poetry." - Jack Kerouac

修学旅行のバスから観音様は見えたのか?

先日、中学時代の同級生と話をしていて、話題は当時の修学旅行の思い出話に及んだ。その修学旅行はすでに40年も前のことであるが、その日、僕たちは東京の水道橋あたりにあった宿泊施設からバスで鎌倉八幡宮に向かった。僕は八幡宮を詣でた記憶はほとんどなくなっていたのだが、ひとつだけ明確に覚えていることがあった。それは八幡宮に向かうバスの車中での出来事である。

①鎌倉八幡宮に向かう途中、バスガイドが、
『右手をご覧ください。山すそに観音様のお姿が見えます。大船観音といいます』
と言った。窓の外をみてみると、道沿いの山すその緑を背景に半身の純白の観音像があって、窓ガラス越にあでやかな横顔が見えた。その巨大さに不気味を禁じえなかった。

②そのすぐ後、バスガイドは、
『今から、踏み切りに差しかかります。すごく揺れますのでしっかりつかまっててください。』
そう言い終わらないうちにどこからともなくガタンと大きな音がしたかと思うと、バスはまず上下、そしてすぐ左右に大きく揺れた。それは座席から浮きあがるほどの揺れ方だったので、バスの車内は男子の歓声と女子の嬌声に包まれた。


さて、その同級生はこれらをさっぱり覚えていなかった。

僕はその後、偶然にも観音像がある場所の近くに引っ越してきたのでいくども観音様をみることになった。観音様のすぐそばを電車が走っていたので、その車内からも観音様は間近に見ることができたのである。

しかし、あの修学旅行当時、僕たちはいったいどこから観音様を見たのかについてはずっと謎として残っていた。この付近の地図を眺めてみる。

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 おそらく僕たちが当時通ったのは県道21号線、つまり鎌倉街道であろう。この赤いライン上のどこかから観音様を見たに違いない。この通りの先にはJR横須賀線との踏み切りがある。バスが大きく揺れたのはきっとこの踏み切りに違いないと確信した。

ということでそれを確かめるべく、このあたりを実際に歩いてみることにした。

 

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当時の記憶では、道沿いには何もなかったような気がするのだが。

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結構、ビルや民家が立ち並んでいる。
 

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観音様が見える気配はまったくない。この40年間に駅前から開発の波がここまで押し寄せてきたということなのだろうか。この通り沿いの一番大きな建物に向かうと、通りの反対側に非常階段があったので無断で登らせてもらうことにした。

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最上段まで上ってみるとそこから見えたのは、まさしく観音様であった。しかし、

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 実際の大きさはこの程度であった。米粒ほどである。言われなければ気がつかなかったであろう。

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記憶では観音様の表情まで見えたことになっているのだが。記憶の中の観音像はその後付近に移り住んでから見慣れた像にすっかり置き換えられていたのである。この距離からみた像の大きさを不気味とは感じないはずである。ということは記憶の中で感情まで置き換えられたということである。

複雑な思いを胸に、続いてバスが大きく揺れたと記憶している踏み切りまで歩いていった。

 

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線路は道路と直角に交わり、見通しもよいわかりやすい踏み切りである。まわりの地形も平坦である。40年前とは地形が大きく変わったのであろうか。線路という事情からそれは考えにくいと思う。踏み切り近くのバス停の名前にあった成福寺という寺を訪れて住職に尋ねてみた。


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住職はずっとここに住まわれていて、物心ついたときにはすでに線路も踏み切りはそこにあった。ただ、遮断機はなくそれができたのは住職が高校生のころだったそうである。住職が当時を思い出して言うには、確かに道幅は今よりも狭かったかもしれないが、周りの風景はいまとそう変わらない。車が大きく揺れるようなことは記憶にない、とのことである。そういわれて自分でも不安になってきた。それは、そもそも踏み切りに入った途端に急に起伏が激しくなる、というようなあえて危険な設計がありえるだろうか、という素朴な疑問で沸いたのである。

あらためて付近の地図を眺めてみる。

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この踏み切りを渡った後、バスは左折して電車の線路と平行した道を鎌倉に向かって進む。北鎌倉の円覚寺を通り過ぎてしばらく進むと再び電車の踏切が現れる。道路と線路は平行して走っているのに交差するというのはどういうことだろうか。道路はまっすぐに八幡宮に向かって走るのだが、線路はここから大きく右に曲がって、鎌倉駅に向かっていく。そして角度的には苦しい交差点が出現したのである。斜めに交差するので自然と踏み切りの幅は道路の幅よりも広くなっている。


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この踏み切り近くにあった土産物屋の女性に尋ねてみた。彼女はここで生まれ育ったらしく結構昔のことを覚えていてくれた。当時の道路は線路ときちんと直角に交差するようにするために急な角度で曲がりくねっていてた。そして踏み切りの幅はもっと狭かった。遮断機の長さに制限があったためである。そして車がそれをきちんと曲がりきれるように道には急な高低差が作られていた。それで車がここを通り抜けるとき大きく揺れた、というのである。

僕の記憶の踏み切りはやはりこれであった。しかし僕の記憶の中では観音様をみた直後にバスは大きく揺れたのであった。しかし地図で見るとゆうに2km以上は離れていて、バスでは5分以上はかかったであろう。記憶の中で途中のこの時間がきれいに切り取られたしまったのである。


記憶は時間の経過とともに補正されていく。記憶の中で、観音様の像はその後間近で見たリアルな姿に置き換えられ、意味をもたない時間は切り取られた。記憶は自分がそれを知識として活用しやすいようにあるものは増幅、脚色され、あるものは削除、省略されて都合よい形に整理されていったということなのであろう。

実は冒頭で敢えて書かなかった記憶がもう一つだけある。それは、バスが踏切で大きく揺れたときにあがった女子生徒たちの数限りない嬌声の中に、僕はあるひとつの声だけをちゃんと聞き分けられたと確信している。それが果たして事実だったのか、単なる補正のいたずらだったのか、これについては今では確かめるすべもない。