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サル・パラダイスよ!誰もいないときは、窓から入れ。 レミ・ボンクール

『墨東綺譚(永井荷風)』に見る昭和初期の向島界隈の風景

向島寺島町に在る遊里の見聞記をつくって、わたくしは之を墨東綺譚と命名した。」


 荷風の代表作はこんな一節ではじまる。この作品は昭和12年に大阪朝日新聞の夕刊に連載され、夕刊が売り切れるほど大好評を博したらしい。昭和12年と言えば時局柄、太平洋戦争の開戦真近だというのに、玉の井の娼婦の小説が掲載されたとはにわかに信じがたいことである。この小説が掲載期間中に満州事変が勃発していることになるからだ。片や、戦時中の新聞記事の軍事色一辺倒を鑑みるにこの当時、時代は未だ「正気」を失っていなかったと言えるかもしれない。

 この小説が人気を博した背景には、木村壮八の手による挿絵も忘れてはならない。いまでも、新潮文庫に収録された同名の文庫本の表紙にその雰囲気を垣間見ることができる。下宿屋の二階の四畳半の部屋が娼婦の仕事部屋のスケッチである。夕暮れ時、女が意味ありげに浴衣を押し入れの前に掛ける仕草を、恐らく主人公の作家がぼんやりと眺めている、というもの。何故部屋の中のスケッチだけから二階であることが判るか、それは、娼婦の仕事部屋というものが二階でなければならないからである。三階でも、秘密の地下室でもない。そして下の通りを窓辺から漫然と眺めていなければならないからである。

 そしてその部屋は仕事場であるだけでなく、娼婦の生活空間の全てでもある。だからありとあらゆる生活の道具がおかれている。たんす、食器棚、柱時計、ちゃぶ台、火鉢、そして神棚。当然湧いて来る疑問、「狭いのでは?」。そう、確かに狭い。でも物事には狭い方がよいこともある。なぜ狭い方がよいこともあるのかは、この作品を読んでもらうとして、この小説は手短に言うと、作家である主人公と娼婦「お雪」の短い交情と別離までを描いた作品である。それは随筆風でありながら抒情的でもある。そして、なんと読者は詩人・荷風にも出会うことができる。玉の井を称して「ラビリント(迷宮、フランス語)」・・・などという通り一遍の読み方は高校生の方々にお願いするとして、この小説のもう一つの魅力である「滅びゆく江戸・東京への愛惜の情をこれでもか!というほど描ききった町の風景描写」を取り上げ、文献として読んで見た結果をご紹介したい。

 以下に向島界隈の風景を描写したと思われる記述を列挙する。

 

【風景1・夜の彷徨】

「古本屋の店は山谷堀の流れが地下の暗渠に接続するあたりから、大門前日本堤橋の袂へ出ようとする薄暗い裏通りにある。裏通りは山谷堀の水に沿うた片側町で、対岸は石垣の上に立て続く人家の背面に限られ、此方は土管、地瓦、川土、材木などの問屋が人家の間にやや広い店口を示しているが、堀の幅の狭くなるにつれて次第貧しげな小家がちになって夜は堀にかけられた正法寺橋、山谷橋、地方橋、髪洗橋などという橋の灯がわずかに道を照らすばかり。」

【風景2・老境の邂逅】

「其処はもう玉の井の盛り場をななめに貫く繁華な横町の半程で、ごたごた建て連なった商店の間の路地口には「ぬけられます」とか、「安全通路」とか、「京成バス近道」とか、「オトメ街」或いは「賑本通」などを書いた灯がついている。」

【風景3・必須の実験】

「私の忍んで通う溝際の家が寺島町七丁目六十何番地に在ることは既に記した。この番地のあたりはこの盛り場では西北の隅によったところで目抜きの場所ではない。仮りにこれを北里に譬えてみたら京町一丁目も西河岸にちかいはずれとでも言うべきものであろう。」

【風景4・都市化の波1】

「昭和五年の春都市復興祭の執行せられた頃、吾妻橋から寺島町に至る一直線の道路が開かれ市内電車は秋葉神社前まで市営バスの往復はさらに延長して寺島町七丁目のはずれに車庫を設けるようになった。それと共に東部鉄道会社が盛り場の西南に玉の井駅を設け、夜も十二時まで雷門から6銭で人を載せて来るに及び、町の形勢は裏と表と、全く一変するようになった。」

【風景5・都市化の波2】

「・・・活動写真舘、玉の井稲荷の如きはいずれも以前のまま大正道路に残っていて俚俗広小路、または改正道路と呼ばれる新しい道には円タクのふくそうと、夜店の賑わいとを見せるばかりで・・・」

【風景6・中島湯】
「私は・・・別の路地を抜けて、もと来た大正道路に出た。・・・後戻りして角に酒屋と水菓子屋のある道に曲がった。この道の片側に並んだ商店の後一帯の路地は所謂第一部と名付けられたラビリントで。お雪の家のある第二部の貫くかの溝は突然第一部のはずれの道端に現われて中島湯という暖簾を下げた銭湯のまえを流れ、許可地外のまっ暗な裏長屋の間に行き先を没している。・・・」

【風景7・伏見稲荷1】

「この路地の中にはすぐ伏見稲荷の汚れた幟がみえるが素見ぞめきの客は気がつかないらしく人の出入りは他の路地口に比べると至って少ない。これを幸いに私はいつもこの路地口から忍びいり、表通りの家の裏手にイチジクの茂っているのと、溝際の柵に葡萄のからんでいるのを、辺りに似合わぬ風景と見返りながら、お雪の家の窓口を覗くことにしているのである。」

【風景8・伏見稲荷2】

伏見稲荷の前まで来ると風は路地の奥とは違って表通りから真向に突き入りいきなりわたくしの髪を吹き乱した。・・・表通りに出ると・・・・人家の後を走り過ぎる電車の音と警笛の響きとが強烈にかすれて更にこの寂しさを深くさせる。わたくしは帰りの道筋を白鬚橋の方にとる時にはいつも墨田郵便局のある辺りか、または向島劇場という活動小屋のあたりから勝手に横道に入り、迂曲する小道をめぐりめぐって結局白鬚明神の裏手へでるのである。」

【風景9・北から南】

「古ズボンに古下駄をはきそれに古手拭をさがし出して鉢巻きの巻方も至極不意気にすれば南は砂町、北は千住から葛西金町辺りまで行こうとも道行く人から振り返って顔を見られる気遣いはない。」 

【風景10・交番から】

「道路は交番の前かで斜めにふた筋に分かれその一筋は南千住、一筋は白鬚橋の方へ走り、それと交差して浅草公園裏の大通りが言問橋を渡るので交通は夜になっても頻繁であるが・・・」

【風景11・線路に沿って】

「線路に沿って売貸地の札を立てた広い草原が鉄橋のかかった土手際に達している。去年頃まで京成電車の往復していた線路の跡で崩れかかった石段の上には取り払われた玉の井停車場の跡が雑草に覆われて此方から見ると城跡のような趣をなしている。」

【風景12・花電車】

「今年昭和十一年の秋、私は寺島町へ行く道すがら、浅草橋辺で花電車を見ようとする人たちが道端に垣をなしているのに出会った。」

 以上、作品の中から向島界隈の描写を集めてみた。土地カンがないので全く無縁の描写まで引き抜いてしまったかもしれないが。夕暮れ時にふと馴染の遊女の顔を思いだし、隅田川を渡る、なんていうのは風流でいい。荷風が昭和初期に「滅びゆく東京」といっていたくらいなので現代では、「とっくに絶滅した東京」ということになるのだろうか、東京の現在をじっくり見据えてみたいと思う。意外に「どっこい生きている東京」をふと見つけたりするのも味わいがある。

 最後になるが、この小説で燦然と輝いているのはなんといっても女。女関係の描写で燦然と輝く一文を見つけたので付録でつけておく。こんなことが言えるようになるまで女遊びが出来たら本物であろう。

「・・・この娘がこの場合の様子や言葉使いのみを見て、奔放娘だと断定してはならない。深窓の女も意中を打ち明ける場合には芸者も及ばぬ艶めかしい様子になることがある。また、既に里馴れた遊女が偶然幼馴染みの男に巡り会うところを写した時には、商売人でもこういう時には娘のようにもじもじするもので・・・」