★Beat Angels

サル・パラダイスよ!誰もいないときは、窓から入れ。 レミ・ボンクール

ノブヒコと喫煙所での密かな愉しみ

ノブヒコの会社はいくつものテナントが入るビルの中にあり、そのビルの1階には共通の喫煙所があった。ノブヒコが仕事をさぼってタバコを吸っているといつものように彼女が現れる。

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制服を着た彼女は男たちの目線を避けるようにして部屋の隅まで進むとメンソール系のタバコに火をつけた。ノブヒコはそこで彼女に会うことが密かな愉しみとなっていて、毎日何回彼女と顔を合わせるかを手帳に記録していた。それを見るとほぼ3回の喫煙に1回の割合で出会うことが分かった。ノブヒコは一日に10本程度タバコを吸うので、平均して毎日3回程度は顔を合わせるのであった。多い日は5回、少ない日は1回のときもあったが、ここ数ヶ月の間一度も顔を合わせない日はなかった。

ところがある日のことである。ノブヒコはその日喫煙所に合計10回行ったのだが彼女を一度も見かけなかった。ノブヒコはひょっとしたら彼女は風邪でも引いて会社を休んでいるのではと心配になった。そして、彼女が会社を休んでいる確率を計算してみようと思い立った。

ノブヒコはすぐさまベイズ理論に基づいて分析を開始した。
 

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  C:彼女がその日休みである事象(原因)
  R:喫煙所でN回会わない事象(結果)

求めるP(C/R)は、喫煙所でN回会わなかったときに、その日彼女が休みである確率である。今回のケースではP(R/C)は、 

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となる。これは彼女がその日休みならばいくら待っても喫煙所で彼女に会うことはできないという事実に対応している。P(R)は会わない回数がNのとき彼女が休みをとる確率P(C)を用いて、

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と表されるので、求めるP(C/R)は、

 

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となる。右辺に出てくるP(C)は彼女が休みを取る平均的な確率のことであり、それを条件として入力しないと求める確率が出てこない。しかし、彼女が休みを取る確率はまたに求めようとしているものに他ならないように感じてしまう。しかし実は求めようとしている確率は平均的な休みの確率ではなく、まさしく「その日」に休んでいる確率である。ベイズ理論によると前者が事前確率、求めるべき後者が事後確率、と呼ばれているが、それで多少はニュアンスが伝わるに違いない。

平均的な休みの確率P(C)については他の会社の社員である彼女の情報を入手することは難しい。そこで一般的な例として0.3%から33%の間のいくつかのパターンで計算してみた結果を下図に示す。

 

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1回目だけでは、彼女がその日休んでいるかはまだ不確定なので、その確率は平均確率(事前確率)に等しいところからスタートする。会わない回数が増えていくに従って、彼女がその日休みである確率(つまり事後確率)は増加していく。増加の仕方は平均確率の大きさによって異なり、平均確率が比較的高い時(10%)は急激にその日の休みの確率は増加していき10回あたりで90%を超えてその日の休みが判断できるのに対して、平均確率が低い時(1%)では増加は緩慢で20回近くまで続かないと確証が得られない。

ノブヒコは、手帳の記録から彼女がここ50日間は出勤を続けていたことを知っていた。それで平均確率は1~2%程度であろうと推測した。よってこの解析結果から今日彼女が休みである確率は50%程度、つまりなんともいえない、と判断した。もう少しこの確率が高ければこの分析結果を彼女に披露してお近づきになろうと目論んでいたのだがそれは果たせずに終わった。それはノブヒコにとっても彼女にとっても幸いなことであった。

日本語、大丈夫?

先日、舗道を歩いていると電柱に青いタコの絵を見つけたので思わず近寄ってみた。


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「アオダコ運動」という小学校の挨拶運動のポスターであった。「オアシス運動」というのが一般的であろう。アオダコの「ダ」は「大丈夫」だそうである。怪我をしたひと、元気のない子がいたら「大丈夫?」と声をかけてあげよう、という思いやりの言葉である。ちなみに「コ」は「こんにちは」ではなく「ごめんなさい」である。

元来、オアシス運動というのは好きではなかった。どこがかというと、「ス」の「すみません」である。「すみません」は、謝罪のことばで使われているのであろうが、「ありがとう」という感謝の意の代用で使われることも多い。「すみません」は「ありがとう(感謝)」「ごめんなさい(謝罪)」のどちらにも使える都合のいい言葉であり、戦後急速に使われ始めた。とあるジャーナリストはこれが日本語の衰退を招くという論文も発表した。それを読んだ私は共感し、極力すみませんは使わず、ありがとう、ごめんなさいを区別して使うように注意してきた。しかし「ごめんなさい」には使い方に問題がある。目上の人に発するのが憚られる言葉だからである。「ありがとう」には「・・・ございます」とい敬語表現があるのでいいのだが、「ごめんなさい」にはそれがなく「御免つかまつる」というように時代劇化してしまう。これで悩んでいるうちに大人社会に入ると「申し訳ありません」というような免罪符的な言葉を使い始めるようになり現在に至っている。

最近、気になっているのは先に述べた「アオダコ運動」の「大丈夫」である。


これは2年ほど前の記事だが「大丈夫」の使い方の変質はその後も続いていると感じる。たとえばコンビニで買いものをするときの店員さんと会話。

-910円になります。
-(1,000円札を渡す、そして小銭の10円を探す、がなかなか見つからない)
-大丈夫ですか?

これが気になっている。この「大丈夫」は「アオダコ運動」が推奨しているものとは使い道はかけ離れている。しかし、いくどかこれを経験してくると、

-大丈夫です。

と返事をしている自分に気がつく。はいなのか、いいえないのかよくわからない状況で意思を正しく伝えるためには相手の言い回しを真似るのが一番だと自然に反応してしまうのである。さらに輪をかけたのが最近でくわしたレストランの会計の場面での会話。これは女子の高校生アルバイトである。会計で金額と割引のクーポン券を渡したのだが、クーポンは注文のときに渡してほしかったようで、

-今回は大丈夫です。次回は注文のときに券を渡していただければ大丈夫ですので。

これには思わず笑ってしまった。

言葉というのは常に変化し続けるものである。記号としての言葉にはその意味する内容(ラング)と実際に音として発せされる言葉(パロール)の2つ側面がある。ラングは崇高で言語全体を支配するパワーをもつ保守的な絶対君主のようなものである。これに対してパロールも黙って従うわけではない。変化することでラングに反乱をしかけ言語全体に対して揺さぶりをかけているのである。

「大丈夫」という言葉は大和言葉とは異なって強い語感を有し、相手に強い印象を与えることができる。それが現在、若者を中心にいろいろな形で使われ始めている理由のひとつであろう。千円札で支払う際には「小銭があればそのままでない」「小銭がなければそのままでいい」という肯定・否定がクロスしたいて「はい、いいえ」がどちらをさすのかが判然としなくなる。そこで「大丈夫」が切り札として登場する。「小銭がない+そのままでいい」ことを丸ごと表現させようとなるのである。

「大丈夫」がこの先どこに向かうのかはわからない。「ら抜き」と同じくしかつめらしく批判する人たちもたくさんいると思う。しかしそれが言葉の持つ進化という摂理だとしたらそれにあがなう事は如何ともしがたいかもしれない。もちろん、大切なものは守り続けていく必要があるだろう。深い関心を持ちながら見守っていくことである。

大切なもの、で思い出したのだが、日本語のあいさつのもう一つ「さようなら」についてのこんな逸話を紹介して締めくくりたい。

世界初のニューヨーク・パリ間の無着陸飛行で有名なリンドバーグは奥方と日本を訪れている。その旅も同じく北太平洋横断飛行の途上のことであった。1931年というから満州事変のかなりきな臭いころである。その当時、日本人と初めて交流した時の印象を夫人のアンが手記につづっているのだが、そこにこんな内容が書かれている。

『日本人は別れのあいさつに「さようなら(左様なら)」といいます。その意味は「本当はお引止めしたいところではありますが、そのような事情があるのなら仕方がありません」ということです。私は別れの場面でこのような細やかな哀惜の念を表現する人々を見たことがありません』

 

まるちゃんとおでん屋

そのニュースを聞いたとき、仕事で静岡県の清水を訪れたときのことを思い出した。清水は次郎長で有名な港町だが、てっきり清水市というのだとばかり思っていたのだが静岡市に合併されてその一部の清水区になっていた。JR清水駅の改札を抜けるとすぐそこにこんな看板がある。

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そう、昭和時代の清水市といえば、まる子の住んでいた町なのである。郊外にはちびまる子ちゃんランドなるテーマパークもあるらしい。いつか行ってみたいと思っていた。

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静岡名物といえば「おでん」であると勧められ、とあるおでん屋に入った。店先で大きな鍋でおでんを煮ていた。もれなく串がついているのが特徴である。

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有名な店らしいのだが店の名前を憶えていない。

 

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そういえば、ちびまる子ちゃんも父ヒロシと二人でおでん屋にいくエピソードがあった。たしかヒロシの小学校時代の同級生がやっているおでん屋である。

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やはり清水といえば次郎長である。

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まる子は卵、ちくわ、はんぺん。ヒロシはがんも、大根、すじを注文。でも絵をみるとすじではなくちくわぶのようだ。

ヒロシ曰く。「生まれは清水だってねぇ。おでんくいねぇ、酒のみねぇ。」

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そういえば、私の入ったおでん屋の全体の造りは、小学校の教室と廊下をイメージしていたような気がする。こんな感じである。

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そのニュースを聞いたとき「清水市」が「清水区」に一瞬で変貌したような錯覚を覚えるとともに、もうあの町に行ってもまる子たちに会うことはできない、たった今、それは永遠に封印されたのだと実感した。そして昭和もまた一つ遠くなる日も刻一刻と近づいている。

心よりご冥福をお祈りいたします。

なつやすみのえにっき

おきるとおかあさんから、あさのすずしいうちにしゅくだいをやるようにいわれました。えにっきをかこうとおもいましたが、一日がはじまったばかりでかくことがありません。しかたがないのでおとうさんのほんだなのいちばん上で手がとどかないところをみてたら、ぬりえというなまえのほんがありました。だいをつかってそれをとって、なかをみるとえがたくさんならんでいました。それでぼくはぬりえをすることにしました。いちばんすきなえをえらんでえのぐできれいにぬりました。

 

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できあがったのでおかあさんにみせるとおかあさんの目はさんかくになりました。よる、おかあさんとおとうさんはけんかしました。おわり。 

 

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窓を開ければ

拝啓、

残暑厳しい中、如何お過ごしだろうか。先日は会津の田舎味噌を贈ってくれてありがとう。懐かしい味、焼酎に合わせて堪能させてもらった。

さて、こうして珍しく筆をとって神妙な書きっぷりで始めたのには理由がある。昔、お前から聞いた夢の話だ。酒の肴に聴いたのだけなのだが俺の心のどこかにずっと引っ掛かっていた。実は最近、その真相が明らかになった。なんと30年ぶりのことだ。少し長くなるが聞いてほしい。

あの晩、渋谷でお前と飲んだ時、俺は社会人だったがお前はまだ学生だった。お前は授業の単位もほとんど取り終えて卒業だけを待つ身分だった。だからバイトに明け暮れて飲み歩き、朝は遅くまで寝ているという生活をしていた。社会人になったばかりの俺からみるとうらやましい限りだった。その晩、お前はこんなことを話していた。 
 

先週の土曜日、いつものように昼近くまで寝ていたのだが、目が覚めて部屋の窓をあけてみると上空を巨大な物体が飛んでいるのを見た。それは30メートルほどの大きさでゆっくりと西の方に向かっているようだった。それはとても不思議な形をしていた。でもどこかで見たことがあるような気がしたが思い出せなかった。いや、実は思い出していたのかもしれない。でも、それはあり得ない、と理性が無意識に拒絶していたのだと思う。しばやくそれを眺めていたが物体がゆっくりと角度を変えたときにそれの名前が明確に頭に浮かんだ。もう否定することのできない限界まできたのだと思う。それは・・・金閣寺だった。巨大な金閣寺が大空を悠然と泳いでいたのだ。俺は夢を見ていることを確信してまた布団にもぐりこんで眠った。映像的には結構リアルな夢だった。

 

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その時はなんて荒唐無稽な夢だとは思ったものの、軽く聞き流しただけだった。それから30年近い歳月が流れたわけだが、最近、日本最初の熱気球である『イカロス5号』のことを調べていた。日本気球連盟というところがホームページに日本の気球の歴史を載せている。たしかに日本の気球の歴史は69年9月に洞爺湖で上げられたイカロス5号から始まっていた。その後の歴史をつらつらと眺めていたところ、偶然これを見つけたのだ。

 

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86年の7月に フォーブスという人が「金閣寺型熱気球」で来日親善旅行をした、とある。これを見て、俺はあの晩お前から聞いた夢の話を思い出した。86年はお前が東京に住んでいた最後の年であり、確かに時代的には合う。お前があの日みた金閣寺は夢の話ではなく、なんと現実世界の出来事だったのである。

さらに新聞などで調べてみると、この金閣寺型の熱気球の高さは25m。東京麻布にあったとある学園のグランドから出発して多摩川の河川敷に着陸した、とある。当時のお前のアパートがあった場所でこれを結んでみて、多摩川までそれを伸ばしてみたのが次の図である。

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金閣寺型熱気球は二子玉川近くに着陸したものと推定される。

マルコム・フォーブス氏とは世界的な経済誌フォーブスの当時の社長だった人だ。各国を訪れる機会があるとその国の代表的な建造物を模った熱気球に乗って遊覧するという優雅で人騒がせな趣味があったらしい。エジプトならばピラミッド、フランスならばエッフェル塔などである。

なぜ、日本ではそれが金閣寺なのか?、は依然として残る謎である。そしてこの気球が現実のものだと言われてもなかなかその形は想像がつかない。一度みてみたいと思い、写真を探したのだが残念ながら見つけることはできなかった。

さて、俺の話はここまでである。この話を肴にまた飲み明かしてみたい。金閣寺が現実のものとなった今、もう一度、お前の口からお前の目撃した金閣寺のことを詳しく聞いてみたい。

PS
なぜ、俺がイカロス5号のことを調べていたか不思議に思うかもしれない。ヒントだけを教えておこう。それは・・・風船おじさん、だ。仔細は会った時にでも。

(後日、海外のサイトで見つけた写真。縮尺注意)

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共同浴場巡礼の旅(飯坂温泉)

福島市飯坂温泉には9つの公営の共同浴場がある。

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これらを一日で一通り廻ってみることにした。表に示すように定休日はうまく振り分けられている。土日はすべて営業しているが、訪れたのが金曜日だったので2つは残念ながら定休日だった。9つ全部廻っても入浴料は総額で1,900円である。

これら9か所の巡礼ルートを下図のとおりに決めた。

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最初に飯坂温泉駅を起点として摺上川を上って第1の目的地である穴原温泉郷の穴原湯を目指す。その後、駅に付近に戻ってきて町内の8つの浴場をめぐる、というものである。

まず、出発地点の飯坂温泉駅で自転車を借りることにした。


普通の自転車は無料で借りられるのだが、飯坂は坂道が多いので電動サイクルの方がいい。料金は4時間で300円である。全行程は約5kmなので、食事他、多少の寄り道を含めても4時間あれば十分である。

ここでは2つの湯を紹介する。

 
◆大門の湯

この湯は、立綱坂という優雅な坂を上り詰めたところにある。

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昔、大鳥城の門があった場所にあるからこの名がついたようである。

 

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この湯は飯坂のはずれの高台に位置していて福島盆地を一望できる。

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◆鯖湖湯(さばこゆ)

飯坂温泉で一番古い湯で、芭蕉奥の細道の旅の途中でこの湯に入ったといわれている。

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天井は高く、内部は建築のヒバの香りに満ちていて心地いい。

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湯舟は当初は日本最古の木造であったが、平成5年にこの御影石の湯舟に改築された。この湯を出るとちょうど目の前に懐かしい佇まいのカキ氷屋がある。手動式である。

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迷うことなくイチゴ(ミルクなし)を注文。おやじさんはシャリシャリと気を付けないと聞き取れないほどの音で大きな氷を少しずつ削り取っていく。

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この氷の柔らかさ、滑らかさは職人の手によるもの。価格もリーズナブル、150円であった。