★Beat Angels

サル・パラダイスよ!誰もいないときは、窓から入れ。 レミ・ボンクール

秋の転調

▮冬枯れて記憶舞い飛ぶ岸辺かな

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 汽車の中で私の前の席に静かに座っていたその人は小雪の舞う最上川を眺めながら涙を一筋流した。
 そして今日、その人のいた席に私が座っている。

 

▮永訣の予感、初雪予報聴き

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 急を知らせた病院へと向かうタクシーの中、ラジオで天気予報を聴く。季節は冬へと舞い戻る。

 

▮虚ろなる部屋に冬陽の所在なさ

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 少しばかりの荷物を運び出し終えて。主なき部屋は冬の訪れを静かに待つのみ。

 

 ▮歩を止めて木立侘しき秋時雨

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 斎場付近の河原の道を散策。懐かしい風景に立ち止まっていると不意に雨。
 遠くに鉄橋を渡る列車の警笛の音、上りの列車の時間が近づいている。

 

ノブヒコと口座振込

 ある日、ノブヒコは口座振込のために郵便局にいた。振込みの依頼書には次のように記されていた。

 ・振込額は10万円であるが、振込料金は振込先である相手の会社が負担する。
 ・振込額の10万円から振込料金差し引いた額を振込んでほしい。

 というものであった。ノブヒコは窓口の女性に尋ねた。

 -つかぬことをおたずねするが、振込料金は振込額によらず一定かな?
 -いいえ、振込額によって振込料金は少し異なります。こちらをご覧ください。

 

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 今回はこの表の「窓口」の場合になります。そして今回、振込額は10万円で、5万円を超えていますから、振込料金は864円となります。実際にはこれを振込額から差し引いて振り込んでいただくことになります。

ーこれは異なことを。振込額で振込料金が変わるとなるとこの話は簡単ではない。
ーいいえ、簡単だと思いますが。。。
ー今回の金額ならば問題はないが、例えば振込額が5万円だったとする。
ーはい。
ーその場合の振込料金はどうなるかな?
ーはい、この表のとおり864円です。
ーそうじゃな。じゃあ、それを差し引くとどうなるか。
ーはい、49,136円です。
ーうむ。じゃあ、その額を振込もうとしたら振込料金はどうなるかな?
ーはい、この表のとおり、安いほうの648円になりますね。
ーじゃ、私の支払いは振込料金を加えても、49,136 + 648 =49,784円となる。最初の50,000円よりも低くなるではないか。
ーはあ。そうかもしれませんが、今回は額が10万円ですので・・・
ーもう少し詳しく説明しよう。

 ノブヒコはそういうとスーパーの特売のチラシをガサガサと取り出し、その裏側にさらさらとグラフを書き始めた。

 

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ー振込料金を一度決めてから差し引いてしまうと、振込額が変わり振込料金そのものに影響を与えてしまう場合が出てくる。具体的にはこのグラフが示す通り、当初の振込額が50,000円から50,864円の間の場合である。
ーはい。ですが今回は・・・
ー念のため、相手先にこの点をどう考えているか聞いてみてもらえるかな?

 

 窓口の女性はしぶしぶと電話で相手先に問い合わせた。話が終わって電話を置くと、


ーはい、相手先の方はその通りで構わない。どちらかといえばどうでもいい問題だとおっしゃいました。
ーさようか。お手数をおかけした。それでは。

 ノブヒコは振込手続きを完了すると「正義」という言葉をかみしめながら立ち去っていった。窓口の女性店員はその後姿を見送ると小さくため息をついて、冬の淡い日差しを浴びた枯葉たちが煉瓦の歩道の上で小さく乱舞するのをぼんやり眺めていた。

 

九時半の男たち

 身内に不幸があり故郷に帰ったとき、昔の同級生たちが集まってくれた。彼らの誘いで地元の飲み屋で酒を酌み交わした。僕を入れて6人、懐かしい思い出話に花を咲かせた。

 

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 もう40年以上も前の話だ。どんな話が飛び出したかというと・・・

 

ー学校の休み時間でみんなでわいわい話をしていると、聞き耳を立ているわけではないんだけど、好きな子の声ってなぜか、耳に入ってくるんだよね。あの時もそうだった。その子は友達と何時に風呂に入るかを話していたと思う。その子は「九時半」と答えているのが耳に入ってきた。それから僕も毎晩九時半に風呂に入ってたなあ。今でもときどき意味もなく九時半に風呂に入ったりしてるよ。(56才、PC販売店勤務)

 

ー夏休みに同級生で集まってお寺の境内で花火をした。みんなで丸くなって花火をしてたんだけど、ふと後ろの暗がりをみたら白い影のようなものがぼーっと浮き上がるのが見えた。それは同級生の女の子Mだった。内またをに刺されたんだと思うけど、スカートの裾をたくし上げてポリポリ掻いてて、脚が白く見えてたんだ。しばらくそれを見ていたらその子に気が付かれてものすごい形相で睨まれた。それは女の子たち全員にすぐに伝わってそれ以来、誰も口をきいてくれなくなったなあ。(56才、牛乳販売店勤務)

 

ー俺、飼育係だったの覚えてる?今でいういきものがかりだね。ある日、クラスで飼ってた鳥の餌をやるのを忘れて朝来たら鳥が死んでた。それ以来、お前たちからはトリゴロシというあだ名で呼ばれてた。でもやっと最近、念願のペットショップを出したんだよ。こんな田舎だからそれほど繁盛はしていないけどなんとかやってるよ。見直してくれたかな?(56才、ペットショップ店長)

 

ーこないだ同級生の女の子Nに街角でばったり出会った。久しぶりだったから喫茶店でお茶を飲んで話をしてた。そしたら卒業式の話になって僕は聞いてみたんだ。「卒業式のあと、体育館で謝恩会があったのになんで来ないで帰っちゃったの?」Nは全然覚えてなかった。そして逆に聞かれた。「あ、ひょっとして私のこと好きだったんだ」って。「うん」て思わずうなずいちゃった。ちょうど日も暮れてきたから飲みに行こうと誘ったら「旦那がおなか空かせて待ってるから。それに私、お酒一滴も飲めないんだ」だってさ。ははは。(56才、学校教師)

 

ーなんだかふと急にある言葉が頭に浮かんでその意味が分からない、ってことないかな?俺の場合はそれが「イアン・ミッチェル」という名前らしきもの。そしてそれを思い出すとイヤーな気分になる。それが繰りかえされててずっと不思議に思ってた。本で調べても誰だかわからなかったから。最近になってやっとネットで検索してみたらその正体が分かった。'75年頃に活躍したイギリスのロック(?)バンド、ベイシティローラーズのギタリスト。でも半年しか在籍していなかったので全然有名じゃない。なぜその名前を憶えているか、そしてそれを思い出すとイヤーな気分になるかを推理してみると答えは一つしかない。『九時半』が言っていたようにやはり学校の休み時間の出来事だと思う。そのころ女の子たちは平凡とか明星とか芸能雑誌を学校にもってきてそれを見ながらアイドルたちの話をしていた。当時、ベイシティローラーズも同じくアイドルの一つとして見られていた。恐らくその子がこういうのを僕は聞いたんだと思う。「私、イアン・ミッチェルが好き!」それが深層心理として刻み込まれてたってわけさ。(56才、電気販売店勤務)

 

・・・・

 

 地球を乗っ取ろうとたくらむ異星や地域の方々がいたとしたら、手始めにテレビ・新聞で現在を理解し、過去の調査のために人類の歴史書の解読を始めるだろう。そこには偉大な人々、そしてその逆の極悪人たちの累々たる名前が並んでいる。さて、果たしてそれで地球の人類を理解したことになるのだろうか。

 人類の90%はこの夜の居酒屋に居合わせた九時半の男たちのようなフツーの人たちで構成されている。小さいこと、意味のないことにいつまでもこだわり続けたり、くよくよしたり、悩んだり笑ったりしている愛すべき小市民である。そして何よりも気落ちしているであろう僕のためにこうして集まってくれて精一杯いきがって元気づけようとしてくれる素晴らしい友たちでもある。

 異星や地域の方々が調査の結果、地球を宇宙にとって危険な存在と判断しそれを滅ぼそうと来襲してきたときには、僕はこの九時半の男たちの所業を明らかにすることで説得にあたり、彼らの誤解を解いてあげようと考えている。

 

アポロ月着陸船

 4時間かけて完成しました。

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 いろいろな種類があったのですが、メタルの質感からこのアポロ月着陸船を選びました。高さは約5cmとコンパクト、精密さが際立ちます。

 これが下部。ディテールにもこだわりがあります。

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 上から。

 どの方向から見ても精密です。本当は下の噴射口が素敵なのですがちょっと曲面がうまくできませんでした。

 

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 もともとはこんな感じ。工具はニッパーとラジオペンチだけ。曲面の成形の滑らかさと勘合部の仕上がりで完成度が決まります。

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 パーツの数で値段が異なります。詳しくはこちらから。

 

テンヨー|メタリック ナノパズル|オンラインカタログ

 

 次は、もっともパーツの数の多いこれにチャレンジしたいと思います。

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詩人としてのボブ・ディラン

 ボブ・ディランが2016年のノーベル文学賞を受賞して話題となっている。あまり知られていないがこれまでも候補として名前は上がっていたらしい。

 同じアメリカの詩人であるT・S・エリオット('88~'65)は、1922年に『荒地』という長編詩を発表し、戦争前後を通じてのアメリカ詩壇のリーダであった。そして1948年にやはりノーベル文学賞を受賞している。エリオットの詩は物語性を排除し、神話や古典文学を断片的に引用するもので、発表当時こそその手法は前衛的と評されていたが、戦争を経た頃になると、破壊よりもむしろ秩序、知的・緻密さが前面に出るものとみられるようになった。こうして戦後のアメリカ現代詩の状況は保守的で生気に欠けるものとなっていた。

 当然、こうした沈滞状況には革命が訪れる。それは1941年生まれのボブ・ディランが物心ついた50年代の後半を迎えてである。眠っていたアメリカ現代詩を過激な方向にもっていこうとする動きがいくつか起こった。そして、その急先鋒がビートであった。

 

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 当ブログのタイトルでもあるこの写真は実はビート派の代表者3人が移った珍しい写真である。右からW. バロウズ、A.ギンズバーグ、そしてJ.ケルアックの3人。ギンズバーグはビート最大の詩人である。ケルアックはご存知ビートの教祖、バイブル『路上』の作者、バロウズはクローネンバーグ監督作品にもなった代表作『裸のランチ』の作者、そしてなぜかバロウズ・コンピュータの創業者の孫でもある。

 ビート派は当時、急速にアメリカに広がっていた「若者文化」「ヒッピー文化」とも連動して社会現象となった。ディランはビート派に影響を受けながら、ビートにも影響を与える存在であった。

  

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 これは1975年、J.ケルアックの墓前に詣でるディランとギンズバーグの写真である。アメリカの戦後を代表する詩人はこの二人だといっても過言ではない。

 彼らの代表作を並べてみる。これら2つの詩はこのまま即興的に延々と書き連ねていくところも共通点である。

ぼくは見た

新生児のまわりに野生の

オオカミたちが群れをなすのを

ぼくはみた

ダイヤモンドの高速道路に

人っ子一人いないのを

ぼくは見た

黒い枝から

血が滴っているのを

 

ボブ・ディラン激しい雨が降る』

 

ぼくは見た

狂気によって破壊された

ぼくの世代の最良の精神たちを

飢え、苛立ち、裸で

夜明け前の黒人街を

腹立たしい一服のヤクを求めて

のろのろと歩いていくのを

 

アレン・ギンズバーグ『吠える』

 

 ディランというと「反戦」の用語でくくられることが多いが、有名な『風に吹かれて』も「答えは風の中で舞っている」というぼやかした表現をとっているし、実際に社会運動に参加したりすることはなかった。

 ビート詩人たちが糾弾したのは権威・支配階級だけではなかった。戦後の急成長によって急増した中産階級の順応的・画一的な保守性でもあり、それはそれまでアメリカの現代詩を支えてきた保守性、つまりは先のノーベル賞詩人エリオットに象徴されるものであった。

 さて、ディランの今後については授賞式に来るのか来ないのか話題となっているが私にとってはどうでもいいことである。エリオットがもらってディランがもらわない理由は全くない。でも、ディランがもらってなぜギンズバーグに授与されかったか('97没)、を考えるとシステムとしての不健全さばかりを考えてしまう今日この頃である。こと文学に至っては没後ある程度の年数を経過しないと真価を断ずることはできないのではないだろうか。

 

 最後にディランの言葉で締めくくりたい。

ほとんどが心に自然に浮かんできた曲だ。夜中、そろそろ寝ようかと思ったときに向こうからやってきたような曲ばかりだ。 

  これを信じて待つこと早40年、である。

柿の木のある家

 わが故郷の家の庭には一本の柿の木がある。私が3歳の時、父と訪れた縁日で苗木の形で買ってきたものである。それは当時玄関先に無造作に植えられた。それから桃栗三年柿八年。私が小学校高学年になる頃に柿の木は初めての実をつけた。そしてそれが残念なことに渋柿であったことも同時に判明した。

 そして今年も柿の実の季節である。現在、故郷の家は普段だれも住んでいない。このまま柿の実が熟して落ちてしまうのではないか、という不安の声がご近所の方々から聞かれたこともあり、先週末を利用して柿を取りに行ってきた。

 

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 柿の実をマジックハンドのような剪定はさみで切り落としていると周りで鳥たちが一斉に鳴きだした。そう言われて思い出してみると、鳥たちは実ったばかりの渋柿には眼もくれない。でも、柿の実がさらに熟して落ちる寸前になると甘く変わるのか、実をついばんでいるのを見かけた。

 鳥たちは今回私に柿の実を全部とられると思ったのだろう。そこで枝の頂上付近の柿の実20個ほどを、切らずに残してあげることにした。 
 

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 正確に数えてはいないが推定で250個。

 柿の渋を抜くためには焼酎が使われる。アルコールが酸化してできるアセトアルデヒドが渋の原因であるタンニンを不溶化させることとで渋みが取り除かれる。近所のスーパーに焼酎を買いに出かけた。その途中、麦がいいか、芋がいいかと考えながら歩いていたが、スーパーの酒コーナーを見ていてそんな迷いはすぐに吹き飛んだ。柿の渋を抜く専用の焼酎を見つけたのである。

 その名も・・・

 

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 原料用アルコール。濃度も47%と高い。ちょっと飲んでみたが薬品のようでだめだった。確かにこれが美味しいとしたら値段も手ごろだし、ヒット商品になるであろう。

 

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 ラベルに書かれた手順に従って、焼酎に浸した柿をビニール袋に詰め込む作業に追われた。このまま室温で放置すれば5日間ほどで渋が抜けるはずである。柿が色づいたことを知らせてくれた御近所の方々にはビニール袋のままおすそ分けした。

 あらためて柿の木を眺めてみる。幹の表皮も色あせてきて老木の雰囲気も漂う。それもそのはず樹齢は50年を超えているので寿命を迎えてもおかしくない年代である。

 

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 柿取りと渋抜きの作業一通り終えて庭を眺めながらタバコを一服していると、季節外れの黄色い蝶が庭に舞い込んできた。それは小さめの蝶で動きがとても素早い。蝶は柿の木の周りを何かを確かめるように飛んだかと思うと庭を一巡りし、最後に私の目の前を斜めに横切ったあと、青い空の向こう側に吸い込まれるようにして消えていった。

上州新田郡三日月村を訪ねて

 木枯し紋次郎

上州新田郡三日月の貧しい農家に生まれたという。十歳の時に故郷を捨てその後、一家は離散したと伝えられる。天涯孤独な紋次郎がなぜ無宿渡世の世界に入ったかは定かでない

  

 秋の上州路、一面に広がる田、まもなく稲刈りのシーズンをむかえようとしている。私はそんな中を一路、三日月村を目指して歩いていた。頭の中には芥川隆行の名ナレーションと上条恒彦の力強い歌声がこだましていた。

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 雨が降り出しそうな中、険しい山道を進んで峠に差し掛かると三日月村への入り口があった。関所の形をしている。

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 『地蔵峠の雨に消える』

 

 しばらく山道を進んでいくと立場(たてば)と呼ばれる休憩所があった。かつては篭屋や馬子、人足などが休憩した場所である。

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 『馬子唄に命を託した』

 

 さらに進んでいくと、宿場町のたたずまいが見えてきた。 

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 宿場の入り口には水車小屋。普通は精米のためのものだが、ここ三日月村ではそば粉の製造に使われている。構造的にこの水車には釘が一本も使われていない。

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 『夕映えに水車は軋んだ

 最後のシーンは横に倒れた着物の女性の帯が風に舞っているところで紋次郎は長楊枝を吹いてその帯を水車に突き刺す。水車は帯を巻き取っていき、女性はぐるぐる地面の上を廻り、着物がすこしづつ脱がされていくというものだった。当時、小学生だった私たちに与えた精神的な影響は計り知れない。
 

 宿場に足を踏み入れると、まずは茶屋

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 そしてその隣には蕎麦屋

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 蕎麦屋の店内に入る。中央に囲炉裏、奥の壁には紋次郎の合羽と笠が無造作に掛けられている。

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 ところ天を注文、値段は3文。寛永通宝をテーブルの上に転がす。コトン、という低く鈍い音が心地いい。

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 三日月村では昔のお金しか使えない。関所の隣に両替商があってそこで交換してくれた。為替レートは1文=100円。

 街はずれには居酒屋がある。まだ日は高い時間なので準備中であった。上州名物麦焼酎、名酒『赤城山』には心惹かれるものがある。

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 そして、旅籠、上州屋。今日はここに泊まろうかと思うが、実は今日中に訪ねねばならないところがあった。

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 『童歌を雨に流せ』

 

 それは紋次郎の生家である。

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 いまにも風に吹き飛びそうなほど荒れ果てている。紋次郎は10歳の時にこの家を出て行ったのである。そして家の隣には墓と地蔵。

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 『無縁仏に明日をみた』

 

 紋次郎の生家に別れを告げ、温泉郷を目指して先に進んだ。やがて国境の峠に出る。こちらにも関所が設けられている。

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 『見返り峠の落日』

 

こちらには紋次郎の記念碑があった。

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三日月村に別れを告げ、赤城に抜ける街道に出て進むとそこには、

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 東武線の藪塚駅。浅草から特急で1時間版40分ほど。三日月村は実はテーマパークであり、この駅から徒歩で20分ほど。隣にはスネークセンターがある。土地の方にはむしろこちらを勧められたが今回は時間なく断念した。

 

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今日はおりしも、藪塚かかしまつり、の日でもあった。

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