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★Beat Angels

君がすべきことはただ一つ、ニューヨークへ行くことだ -ジャック・ケルアック

盆踊りの夜

 それは僕がまだ幼稚園に入る前の話だから記憶も確かではない。僕たち一家は夏休み、父の実家のある小さな村に来ていた。父は仕事で来るのが遅くなったので母とまだ幼い弟と3人で先に到着していた。祖父は父が幼いころに他界していたので祖母と父の兄弟とその一家がそこで農業を営んで暮らしていた。その田舎町を夏休みに訪れるのが毎年の恒例行事となっていた。

 ある晩、夕食を終えてテレビを見ながらみんなでくつろいでいると、祖母が僕を村の盆踊りに連れて行きたいと言い出した。そう言えば、夕方位から近所からにぎやかな音が遠くから聞こえてきていた。祖母は農家の嫁にありがちな小柄で物静かなひとだった。父の兄にあたる叔父の嫁が対照的に大柄ではっきりと物をいう性格でほぼ一家の実権を掌握していた。今回もその叔母は言下に反対した。夜道が暗くて危ないというのだ。しかしその時だけは祖母はすぐに戻ってくるから、と頑強に主張して叔母を説得した。

 祖母は僕の手を取って真っ暗な夜道を歩きだした。祖母はすでに農家の仕事で腰が曲がり、前方を見ることができないので、確かに叔母の言っていた通り夜の砂利道は僕たちには危なっかしかった。街灯のない道を二人で何も話さずに歩いていくと、祭囃子の音が次第に大きくなってきた。幾つかの曲がり角を曲がると広場への続く道の向こうに大きなやぐらが組んであるのが見えた。やぐらの上の方では数人の男たちが太鼓をたたいていて、大勢の踊り手がやぐらの廻りを囲んで踊っていた。

 僕と祖母は踊っている人たちの近くまで来て、輪になって踊る人たちを眺めていた。広場は薄暗く、踊っている人たちはみんな花をつけた笠をかぶっているので顔はよく見えない。そしてしばらくすると、祖母が急に踊り手の一人を指さし、もう一方の手を僕の肩に置いた。そしてそっと、僕に耳打ちした。

「ほら、あれがお前のじいさんだべ。」

 時を同じくして指を差された踊り手が遠くこちらを見た。僕はその人を最初は父かと思った。年も背格好も同じくらいで顔も少し似ていた。彼は少し踊りの手を休めてすっくと立ちこちらを見た。笑っているような、でも泣いているような不思議な顔をして立っていた。彼の後ろから進んで来た人が彼にぶつかりそうになり、彼に文句を言っているのが見えた。その人はまた踊りに戻り歩みを進めて行き、やがて輪の向こう側に消えて行った。祖母は小さくため息をついた。

「さあ、終わった。帰るべ。」

 叔母はまた僕の手を取ってさきほど来た道を戻って行った。その途中、叔母は小さく嗚咽を漏らしていたようだった。家の近くまで来るとあたりは街灯で次第に明るくなった。そして玄関から家に足を踏み入れるとまぶしい団らんがそこにはあって、母は優しい笑顔で僕を迎えてくれた。祖母はまたいつもの静かな人に戻り、先に寝ると言って居間から自分の部屋に早々に立ち去った。

 その後、僕たちはまた町に戻り、その晩の記憶は次第におぼろになっていったが、一つだけ忘れられないことがある。それは年を経るに従って脳裏に深く刻み込まれていくようだ。あの晩、祖母が指さした人が立ち止ったときに、後ろから来た人とぶつかりそうなった時、後ろの人が一瞬だけ笠から顔をあげた。僕はその人の顔をその時ちらっとだけ見たのだ。


 彼の口は、まるで鳥の大きなくちばしのような形をしていたのだ。