「降る雪や明治は遠くなりにけり」俳人中村草田男がこの句を詠んだのは、明治から大正を過ぎた昭和の初頭、昭和6年のことでした。今、令和の初頭にあってちょうど昭和を振り返る時期に相当しています。
先日、神田神保町の古本屋街を歩いていてなんだか懐かしい気分になる本を見つけて思わず購入してしまいました。
何か、この表紙の絵、気になるところがありませんか?
これは『なぜなに学習図鑑シリーズ(小学館)』の1冊です。
小学校の時のある日、読書の時間というのがあって図書室からなんでも好きな本を選んで読むという時間でした。
男子はほぼ全員がこのシリーズを選んで読んでいました。野口英世とかナイチンゲールの伝記を選ぶ人はいませんでした。
なぜ、これが人気だったか。その秘密は先ほどの表紙の扉絵に隠れています。一見まじめな絵に見えますがよく見るとUFOが飛んでいるではありませんか。これがこのシリーズを象徴しています。
本のページをめくってみると、迫真力ある挿絵が並んでいます。
いきなり、UFO起源説。
そうでなくともUFOは古代人を襲撃してきます。
神話、宗教説。北欧の人間が木から作られたという説をしっかり絵に描いでいるのは、絵にすると面白いからというだけの理由でしょう。
ここまではまだいいとしても、
人間を襲う猿人?いいえ、これはもしも古代人が今も生きていたらどんな職業についているか、という勝手な問いかけに答えた絵です。余計なお世話という気もします。
そして、極めつけは、
ヘビ、ワニの顔をもった金星人の襲来。インパクトがあります。
これらの絵の迫力には圧倒されます。描いた大人は子供相手だとかで、決して手を抜いていません。子供たちと真っ向勝負しているような気迫を感じます。それはどういう種類の情熱だったのか描かれた画伯たちに会って聞いてみたい気がします。
今でいうとれっきとしたトンデモ本です。想像ですが、学校の先生方もこの「学習図鑑シリーズ」という名前でだまされて購入したのでしょう。小学館発行といえばだれも疑いません。男子が読書の時間に全員これを読んでいても注意一つしませんでしたから。
さて、振り返ってみると、昭和という時代は、UFO、ユリ・ゲラー、ノストラダムス、そして矢追純一、と胡散臭いもののオンパレードでした。現代のようにどんなことにも微に入り細に入り白黒をはっきりつけようとする時代と違って、昭和はもっと大らかだったように思います。白と黒の間にグレーの領域がきちんとポジションをとっていて、そのグレーな部分で空想を自由に楽しむという人たちがいました。勿論、それに無関心な人たちもいましたが決して関心を持つ人たちに干渉することもありませんでした。
昭和は遠くなりにけり、です。昭和と令和、どちらが正しいのかはわかりません。でも現代において完全に失くなっているのはこの無関心だと思います。無関心、この現代では全否定されるであろう言葉が、昭和という時代に醸し出していたやさしさ、そして安らぎを思い出さずにいられない今日この頃です。