★Beat Angels

サル・パラダイスよ!誰もいないときは、窓から入れ。 レミ・ボンクール

とんでもおじさんの装置

学生時代の文化祭で僕たちはいきなり見知らぬおじさんに声をかけられた。紺色のブレザーを着て大きなカバンを抱えた初老のおじさんであった。黒縁のメガネと茶色のベレー帽という風貌は学者風にも見えないこともない。「ちょっといいですか?」と彼は言うとこちらの返事も待たずにカバンから書類の束を取り出して僕たちに渡した。

-実は相対論は嘘なんですよ。これにその証明が書かれています。

渡された書類というのは新聞のちらしを集めてひもで閉じたもので、ちらしの裏側にびっしりと数式やら図やらが並んでいる。僕は友人と三人で小一時間、キャンパスのベンチで彼の講義を受けたのだがさっぱり理解できなかった。

-だって、この世界があんなにわかりにくくできているはずはないじゃないですか。相対論を実は誰も内容を分かっちゃいません。それがアインシュタインの陰謀なんです。

結局言いたいのはそれがすべてらしかった。

今にして思えば、彼などがいわゆるとんでも系の人だったのだろう。自分がある理論を理解できないときに、それは実は誰も理解していない、本当は自分の理論が正しいのだがそれが認められないのは陰謀があるからだ、と信じこむ面倒な一団である。おそらく当時は学会や実社会ではだれにも相手されないので学生を相手にすることに決めて文化祭などを廻って説得工作を展開していたのだと思う。

さて、そのとんでもおじさんが相対論を嘘だという説明を紹介する。

一本のどこまでも続く長い棒を考える。そこにもう一本の長い棒を斜めにして落下速度vで落とす。


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斜めなので二本の棒は一点で交わる。交わった点ではその瞬間だけ光を発するような仕掛けになっている。すると、棒のすれ違いに応じてその光の位置は時間とともに移動していく。


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そしてこの角度θの値を極限まで0に近づけることは現実的に可能であるので、θの値によっては光の速度Vを光速を超えるようにすることが可能である。一方で相対論は何物も高速を超えて運動させることは不可能である、と言っているので相対論は嘘である、という論理であった。

これはおじさんの初歩的な誤りである。相対論が言っているのは運動する物体を加速させて光速を超えることはできない、ということだけである。おじさんの装置では光の点はみかけ上移動しているように見えるが、実はなにも移動していない。光も棒と棒の交差点における独立の現象が、みかけ上あたかも時間的に連続して動いているように見えるだけなのであり、相対論とはまったく関連性のない事象である。


おじさんとの相対論の話はここまでとして、このおじさんの装置のだけのことについて考えてみる。

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となるので、おじさんの言う通り、この光の列のみかけの運動は角度θをうまく制御すれば光の速度を超えることが可能になる。つまり、

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 とすれば、

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である。これはこれで正しく、みかけだけの事象だとしても非常に興味深い。おじさんの装置の光の動きが光速を超えたときにこれを観測する人の目から見てどのように映るだろうか。

棒の上に立っている人を考える。光は遠方からやってきて通り過ぎ、遠方へと消え去る。棒の上の人の時間をtとして、すれ違う瞬間をt=0とする。彼が観測する光が実際に発せられた時間をt’とすると、tとt’には、

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という関係式が成り立つ。t=0を境界に見え方は大きく変化する。またVの比で見え方は決定される。次の代表的な4つのケースを考える。

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これらをグラフとして表すと、下記となる。

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各ケースでの観測者からの見え方を概説する。便宜的に観測者に光が近づく方向を後方、光が遠ざかる方向を前方と名付ける。t=0は前方、後方の境界である。

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速度が光速に比べて小さい場合は、光は特に違和感なく観測者を通り過ぎていく。

 

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速度が光速に近づくにつれて、後方は速度が速くなっていく。逆に前方はゆっくりとなっていく。実際には光源自体はどんどん速くなっているのだが、 ここでいう速い、ゆっくりというのは実際の光源の速度に比べてそう見える、という意味である。

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やがて光速に等しくなると、後方はすれ違う瞬間まで何も見えず、すれ違う瞬間、後方の棒のすべての点が一斉に光る現象が観測される。きっとまぶしいに違いない。これは下図のように説明される。


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さらに速度を上げる。

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速度が光速を超えると、さらに不思議な現象が観測される。すれ違った瞬間から前方だけでなく、後方にも光は逆行して進んでいく。


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従って後方を見ると、過去をさかのぼっていく映像をみている錯覚に陥る。これはタイムマシンなのか。

これはあくまで見かけ上の話である。繰り返しとなるが、おじさんの装置における光の列は決して移動していない。個々の独立事象の偶然の羅列に過ぎず、因果関係はなんら存在しないのである。