★Beat Angels

サル・パラダイスよ!誰もいないときは、窓から入れ。 レミ・ボンクール

ルリさん

静かな夜のことだった。その年老いた教授は湖畔の洋館の2階にある書斎でひとり本を読んでいた。教授はその日、窓を閉め切ったままで古い書物の整理をしたので、古ぼけた部屋の中にはほこりが舞っている。それでろうそくの炎はちりちりと小さな音をたてていた。教授はいつものように窓辺に行って窓を開けた。深い闇の中に森が広がっていた。教授は机に戻るとろうそくだけの灯りを頼りに静かに本のページをめくっていた。
 

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ページを照らす明かりが少し揺れたかと思うとルリさんが窓から部屋に入ってきた。教授が壁の掛け時計をみると夜の10時を少し回ったところだった。いつもの時間か、教授は独りごちた。部屋に舞い込んだルリさんはいつもと同じ鮮やかな瑠璃色のワンピース姿だった。スカートのすそには水色の淡い刺繍があつらえてありいつもながらに清楚で愛らしい。

ルリさんは教授の隣に立つと言った。

-今日は一日、口笛の練習をしていたんですよ。

ルリさんの会話はいつでもとりとめがない。教授は立ち上がって窓を閉めた。ルリさんと二人だけの部屋は一段と静けさを増した。

-今夜は何をして遊びますか?私はかくれんぼがいいな。

ルリさんは教授に目をつぶるようにお願いすると壁に近づいて、体を器用に折り曲げるようにしてそっと身を隠した。ワンピースの鮮やかな色は見えなくなった。教授はやがて目を開けて部屋を見回したが、ほどなくルリさんを見つけた。それは教授の仕事柄なんでもないことだった。

-見つかってしまいました。私、かくれんぼはあまり得意でないみたいです。

それからルリさんは黙ってろうそくの炎を眺めていた。教授は本に視線を落としたが、時折ルリさんの愛らしい横顔を見つめた。ルリさんはそれに気がつくとやさしく微笑んだ。老境に差しかかった教授は、ルリさんと会うといつでもみずみずしい甘い果実をほおばっているような気持ちになるのだった。

窓をコツコツと叩く音がした。ルリさんは少し驚いて窓のほうを見つめた。

-あら、誰かいらしゃいましたか?

教授は嫌な予感がした。ルリさんとの時間を誰にも邪魔されたくなかったのだ。教授が窓を開けてみるとその予感が現実となった。突然、するりと何者かが部屋に侵入してきたのだ。

それは薄緑色のタキシードをまとった青年だった。襟には茶色のふちがあり、見事な色合いだった。まるで宝石のヒスイのようだ、と教授は思った。端正な顔立ちと落ち着いた身のこなしは高貴な生まれであることを物語っていた。貴公子とはまさにこれか、と美しいタキシード姿に呆然と見とれていた。

ふと我に返って教授がルリさんを見ると、彼女の視線もヒスイの青年のタキシード姿に釘付けになっていた。感動の余り、声も出せない様子だった。教授はこのヒスイの青年の正体をすぐに見抜いた。教授はそれをルリさんに告げた。

-よく見てごらん。ルリさんは休んでいるとき、きれいなワンピースは見えないように隠すだろう。でもこの青年は同じ休んでいるときにこんな風にきれいなタキシードを見せびらかしているじゃないか。その違いをよく考えるんだ。

ルリさんの耳に教授の声はすでに届かないようだった。ヒスイの青年の美しいタキシードに夢心地の表情で見入っていた。やがて青年が部屋の中をくるくると舞い始めると、ルリさんも同じように舞って青年を追いかけた。若く美しい二人はまるで夢の世界を楽しく浮遊しているようだった。やがてヒスイの青年が窓から闇の中に飛び出すとルリさんもそれを追って部屋からいなくなった。

一人残された教授はためいきをつくと窓によって暗闇を見つめた。二人の姿は見えなかった。そしてルリさんにはもう二度と会えないような気がした。そしてこの道ならぬ恋の行方を案じるだけであった。教授は机に座ると黒縁の眼鏡をはずして手元に置いた。そして開いたままだった図鑑のページを静かに閉じた。


ルリタテハ

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オオミズアオ

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