とある城下町。駅のホームから見渡せる町並みには会社帰りの乗客を待つ明かりがちらほらと灯り始めるころだった。家路へと向かう乗客で混雑している下りのホームとは裏腹に、人影まばらな上りのホームでは始発電車が刻々と迫る発車の時間を待っていた。
少年はたった一人で旅立ちの思いを胸に秘めてその始発電車にぽつんと座っていた。大きな荷物はすでに上の棚に乗せてある。古い城下町での日々のしがらみに辟易していた彼は、都会での一人暮らしをずっと夢見ていた。そして彼は今日とうとうそれを実行に移したのであった。しかし彼の気分は晴れない。新しい生活とかけがえのない夢のことを考えようとするのだが、どうしても家のテーブルの上に残してきた母親あての短い書置きのこと、そしてそれを読んだ時の母親の顔がどうしても頭に浮かんで離れない。少年は深い迷いの中で目を閉じてうつむいて座っていた。
やがてホームには無情にも電車の出発を告げるメロディが流れた。
するとどうであろう。それまでうつむいて座っていた少年はその顔をあげて立ち上がると大きな荷物を棚から降ろしてさっそうと電車を降りた。そして改札に向かう階段を駆け上っていった。やがて電車のドアは閉まり、電車は少年を乗せないまま、少年の旅立ちのくすぶった思いだけを社内に残したまま、まるで滑るようにホームを軽やかに走り去っていった。
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ちょうど同じころ、隣の車両では電車の出発を前にして若い男女が電車のドアを挟んで立っていた。男は電車の中、女はホームにいて黙って見つめあっていた。今日、男は煮え切らない彼女に対して賭けにでたのである。一緒に都会に行って暮らそう、そしてこれが最後のチャンスである、彼女がついてこなくても自分は一人で旅立つ、と。しかし女はまだ迷いの中にあった。昨日の晩、男の口から不意にこぼれた永遠という言葉に対してである。これまで知らずにいた永遠という言葉の重さ、冷たさがまるで呪縛のように彼女の心に重くのしかかって首を縦に振ることができずにいたのである。
やがてホームには無情にも電車の出発を告げるメロディが流れた。
するとどうであろう。女の硬い表情から緊張がふっと抜けたかと思うとそれは屈託のない笑顔へと変わった。女はゆっくりと男に手を差し出した。男はその手をとると女を電車の中に引き上げた。女は微笑んだままそれに応えた。そしてやや混雑し始めた乗客たちの中に吸い込まれるように消えていった。やがて電車のドアは閉まり、二人の男女を乗せた電車は黄昏の町を滑るように走り出したのである。
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ここはJR小田原駅のホーム。そして発車のメロディは「おさるのかごや」である。