春の風が若葉を揺らして行きます
丘を駆ける君を包み込むように
君は長い髪をなびかせ
僕の名前呼ぶのです
そして夢の中へそして夢の中へそして夢の中へ
春の風が君の周りではしゃぎます
スカートのすそひらひら舞い踊るように
君はその瞳をうるませ
僕の肩にもたれます
そして夢の中へそして夢の中へそして夢の中へ
春の風に舞い散る花びらの中で
眠り込んだ僕は一人目覚めます
春の気まぐれないたずらに
僕は酔っているのです
そして夢の中へそして夢の中へそして夢の中へ
春の風が若葉を揺らして行きます
丘を駆ける君を包み込むように
君は長い髪をなびかせ
僕の名前呼ぶのです
そして夢の中へそして夢の中へそして夢の中へ
春の風が君の周りではしゃぎます
スカートのすそひらひら舞い踊るように
君はその瞳をうるませ
僕の肩にもたれます
そして夢の中へそして夢の中へそして夢の中へ
春の風に舞い散る花びらの中で
眠り込んだ僕は一人目覚めます
春の気まぐれないたずらに
僕は酔っているのです
そして夢の中へそして夢の中へそして夢の中へ
みなとみらい駅のある地下からクイーンズスクエアの地上階へと続く長いエスカレーターに乗られたことのある方ならば、きっとこの黒い石板に刻まれた詩のようなものをご覧になったことがあるはずです。この詩はドイツの詩人フリードリヒ・フォン・シラーの手によって18世紀に書かれたものです。シラーはベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の歌詞の作詞者としても有名です。
でもこの詩、タイトルがないですね。これは実は詩として書かれたものではありません。これは友人に宛てた手紙に書かれた一節なのです。
この場を借りて書き出してみます。
樹木は育成することのない
無数の芽を生み
根をはり、枝や葉を拡げて
個体と種の保存にはあまりあるほどの
養分を吸収する
樹木は、この溢れんばかりの過剰を
使うことも、享受することもなく自然に還すが
動物はこの溢れる養分を、自由で
嬉々としたみずからの運動に使用する。
このように自然は、その初源からの生命の
無限の展開にむけての秩序を奏でている。
物質としての束縛を少しずつ断ちきり
やがて自らの姿を自由に変えていくのである。
この少し難解な詩を私なりに解読してみます。
太古の昔、地球上に登場したころの樹木は自分たちの子孫だけに引き継ぐことを考えてそれを繰り返していました。勿論、それだけならば果実などは不要です。しかし、樹木はそれをよしとはせずにさらに繁栄することを考えました。そのためにはどうしたらいいか。その契機となったのは動物の登場です。樹木は動物と共に成長するという戦略を選びました。もしも動物に十分な養分を与えてその数を増やして自由活発に活動させれば、自分の子孫となる種を遠くまで運んでくれます。また、食物連鎖のシステムによって自分たちが育つための養分を地面の中に蓄えることができます。こうして長い歳月をかけて、自分のまわりに動物が集まってくるような魅力的な果実をつけるように少しずつ自分を変えていきました。つまり、樹木は自然界の中に大きなサイクルを作り出し、自分がそのサイクルの中心になるように自らを変えていったのです。シラーという詩人は単なる物質の組合せにしか見えない樹木の中に息づく生命という無限の力を感じとったのだと思います。
原稿用紙半分くらいの短文ではありますが、その中に自然と生命の神秘とそのダイナミズムに対する驚異と畏敬の念に満ちあふれています。実はこれが書かれた当時、進化論のダーウィンはまだ生まれてさえいません。あくまで詩人の直観によるものというのが信じがたいです。話は少し外れますが、最近11世紀のアラブの詩人の書いた詩の中に「星たちよ、お前たちはなぜ遠ざかっていくのか?」という一節を見つけました。宇宙が膨張して星たちが後退していることが科学的に証明されたのはそれから千年も経過したつい最近のことです。私はこうした真実を直観的に感じとる詩人の目の存在を信じます。
さて、シラーの詩に戻りますが彼の目線の先にあるものは人間です。つつましやかに見える樹木にできることが、万物の霊長である私たち人間にできないわけがあるのか?シラーはそう問いかけているのだと思います。
自然を構成する一部である私たち人間、そしてその集まりである企業の活動においてもそうした大きな自然のメカニズムに似たものが備わっていると思います。同じ行動をひたすら繰り返すことは簡単ですが、そこからは大きな成長は望めません。自らの意思で自分を変化させていくことでいろいろな人、いろいろなパートナーが自分の周りに集まってきて新しい集団が形成され、全体として成長していく仕組みができあがってきます。
さて、このモノリスのようなモニュメント、実はジョセフ・コスースという美術家による芸術作品です。モノリスと言えばスタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」にも登場します。
映画の中でモノリスは原始の猿たちに道具を使うことを教えて人類への進化を導き、ついには人類を遥か木星への旅へといざないました。作者ジョセフ・コスースはこの芸術作品の製作にあたっては、シラーの詩とこの映画のイメージを重ねていたに違いありません。
みなとみらいのビジネス拠点であるクイーンズスクエアの玄関口にはモノリスがあります。地下からの長いエスカレーターに乗ると広がりゆく視界の中にモノリスがそびえ立ち、私たちの眼前へと迫ってきます。そこには我々人類の無限の可能性をたたえるような啓示に満ちたシラーの詩が刻まれています。ほんの1分間という短い時間ですが、宇宙と生命の神秘を体感することができます。ぜひ、ご鑑賞してみてください。
2022年から『うる星やつら』がリメークされました。1981年から40年振りのことです。深夜放映なのでさほど話題にはなっていないような気がします。作画は現代風に変わったもののキャラ作りやストーリーは当時のままなので、一部の往年のファンは熱い視線を送っているような気がします。
見ていてちょっと気が付くことがありました。それは声優さんです。
当時のあたる君の声優だった方が、今はあたる君のお父さん役を担当されています。芸が細かく行き届いています。これをみてさらに思い出したのが『カードキャプターさくら』です。これも数年前に20年振りで新作が放映されました。こちらはリメークではなく続編です。
さくらさんはこの間、小学校4年生から中学校1年生に成長しました。この中でさくらさんが、台所で調理をするシーンをご覧ください。
小学生の時に必要だった踏み台が、中学生になったら不要になったのですが、まだこうして台所に置かれています。
作っているスタッフはきっと新しく若い人たちだと思うのですが、オリジナル作品をこよなく愛し、敬意を払いながら制作に取り組んでいるのだと思います。どちらの作品もコメディ、メルヘン調の明るい作品ではあるのですが、オリジナル作品を愛してくれた人を決してがっかりさせてはいけない、という現場の緊張感を垣間見たような気がしました。自分もこういう風に丁寧な仕事をしてみたい、と襟を正しました。
今年は「戦」の字に明け暮れた一年だった。かく言う私も予想だにしなかった病魔との戦いに明け暮れた。それでもクリスマスはやってきた。しかし世界のどこかではいまだに戦禍が続いている。ジョン・レノンのこの名曲は発表からすでに半世紀を経ているが、冷戦は終わってもいまだに世界中で戦火や争いはおさまる気配はない。
"Stop all the filght !"、"War is over, if you want it !"、ジョンの切々とした心の叫びが今年は特に大きく胸を揺さぶる。
今回、この曲をカバーするにあたって、祈りを込めて原曲の転調をすべて取り除いてみた。来年こそは平和で穏やかな年になることを切に期待する。
落ち葉のコンチェルト
澄んだ空とモズの声につい誘われて
秋の色にそまる街を歩いてみるの
気まぐれな風とすれ違ったら
おろしたての笑顔であいさつするの
心躍る落ち葉のコンチェルト
木立ち揺らす風の音に耳を澄ませば
遠いあの日聴いた歌が流れてくるの
レンガの小径に落ち葉が一つ
急ぎ足の私の肩にとまる
心躍る落ち葉のコンチェルト
心躍る落ち葉のコンチェルト
ー じゃあ、誰がベースやるんだよ!(ジョン・レノン)
高校時代に誰かが言う同じセリフを聞いた気がする。ビートルズが解散する直前の1969年のこと、幻のゲット・バック・セッションの模様が余すことなく明らかになった。これは7時間を超えるドキュメンタリーフィルムである。先のジョンの悲鳴もそこで発せられた。あくまでライブ録音にこだわり4人で担当楽器を入れ代わり立ち代わりした挙句のことである。
実はこれを観るのにはやや躊躇していた。というのも当時同じセッションをテーマにした映画『レット・イット・ビー』が公開されていてその陰鬱な印象が鮮烈だったからだ。あれと同じものを果たして7時間も見続けられるか、という不安だった。
しかし実際に観始めると完全に引き込まれた。とある日曜日の終日を2回みることに費やした。確かにトゥイッケナムの倉庫のような仮設スタジオでは音響の悪さもあってメンバー達のいらつきから口論に至るシーンも多かったが、アップルのスタジオに移動してからはムードは一変、音作りに熱中する四人の姿が描かれる。そこは映画『レット・イット・ビー』の沈滞感はない。
確かにその頃、バンドてしての活動は停滞していたのは事実。メンバーはそれぞれの世界を見つけ始めていた。音楽の志向もずれが見え始めていた。そう、彼らはもう大人だったのだ。それでもまだ何かやれるはず、バンドを結成したあの頃の原点に戻ろう、それがゲット・バック・セッションであった。
四人の協力で新たなアイディアが次々に生まれて曲が洗練されていく。そんなバンド活動の原点を見ることができる。例えば『ゲット・バック』。ポールの最初の小さな着想から生まれ、それが成長して名曲として完成する。スタジオのムードは明るくみんなも笑顔である。リンダとヨーコが談笑するシーンなどもあり、呆気にとられた。
そして圧巻のルーフ・トップ・コンサート。周辺の住民から苦情を受けて駆けつけた警察官にしなやかに対応する一階受付の女性には影の功労者として拍手を送りたい。また、屋上まで駆けつけたものの結局、ライブに聴き入っていた警察官も出演者として実名入りで紹介されている。
さて、カメラはコンサートを終えた四人のその後の行動も追いかけている。それから四人は何をしたのか。実は、またスタジオに戻って収録を続けたのである。なんともはや、素敵でご機嫌な人達だ。いつまでたっても。
灼熱の日差し浴びながら
真夏のビーチ降り立てば
みんなの視線を独り占め
海もお日様も手を振るの
天気予報がなんていったって
私の耳にとどかない
気温はあがりつづけるの
私はヒート・ウェイブ
砂の上ステップを踏めば
どよめきの輪が広がるの
渚のきらめきの真ん中で
私の夏は終わらない
天気予報がなんていったって
私がいれば大丈夫
低気圧だって逃げて行く
私はヒート・ウェイブ
渚のヒート・ウェイブ!
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