★Beat Angels

サル・パラダイスよ!誰もいないときは、窓から入れ。 レミ・ボンクール

おーい、志村、聞こえてるかー?

あれ?

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志村が死んじゃったよ!

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あ、なーんだ。生きてるじゃねえか。

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あーあ、踊ったりして。驚かすなよ。

あれ?志村がまた死んじゃった?

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あ、やっぱりまた生きてる。

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志村は不死身だね。でも、ちゃんと借金は返せよ!

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あれ?これは?

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もうだまされねえぞ。どうせ生きてるんだろ?
 
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みんなもしんみりして芸達者だねえ。でも、もうすぐ写真を突き破って飛び出してくるんだよな。

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・・・あれ?志村どうした?もう時間がないぞ!

・・・あーあ。番組終わっちゃったよ。どうするんだ、志村!

・・・おーい、志村、聞こえてるかー?

・・・俺はいつまででも待ってるからなー!

見えざる敵(ボッカチオ『デカメロン』)

現在、世界中が見えない敵と戦っている。感染防止の外出禁止、自粛のムードの中で読み忘れたまま本箱に放置されていた本を再び手に取る機会も増えてきているのではないだろうか。
 

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100の物語からなる大著『デカメロン』。14世紀ルネッサンスの時代、イタリア・フィレンツェのボッカチオの手による古典的な名作だ。一編ずつ読み進めていたのだが、今回の自宅謹慎処分を機に全編を読み上げることができた。

1,000人を超える登場人物のなんと個性的なことか。誠実な人、敬虔な人、勇猛果敢な人、対極にある卑屈な人。厚顔無恥な人、高慢ちきな人。そして忘れてはいけない人間の本性とでもいうべき愚かで破廉恥ではあるがどこか憎めない人たち。彼らが織りなす古今東西100の壮大な人間賛歌である。

この本が書かれた14世紀はペスト(黒死病)が大流行していた時代である。当時、フィレンツェも壊滅の危機に瀕していた。そこでこの物語の語り部である男女10人は迫りくる死の影を怖れてフィレンツェ郊外へと逃げだし、そこで10日間にわたってこれらの悲喜劇を語り合ったのである。


冒頭で見えない敵、と書いた。当時も同じだったかというと実はまったく違う。現代で見えない、という時にはその原因であるウィルスが存在することを承知した上での話だからだ。当時から考えると顕微鏡が発明されて細菌が存在することが分かるまでまだ300年、そして病気がウィルスを介して感染することが発見されるまで、つまりコッホ、パスツールの時代までさらに200年が必要だった。

14世紀の当時、ペストの猛威におびえる市民は現代のわれわれからは想像を絶する恐怖の中にあったと思う。それを悪魔、魔女の仕業と結びつけることは自然な成り行きであった。そんな絶望的なムードの中で、ボッカチオは人間そのものを見つめ続け、その生そして性の輝きを追い求め文学の形で結晶化させていったのである。

さて、現代を生きる私たちは、その原因がウィルスという人類の敵であることを知っている。人類が協力し合ってこの共通の敵と戦い勝利をおさめる必要がある。でもどこかにその原因を何か別なものの悪意に落とし込もうという心理的作用が働いてはいまいか。そしてそれが人類にとって本当の敵であることは実は14世紀とあまり変わっていない。

コードネーム:E

Twitterポール・マッカートニーのこんなインタビュー記事があった。一番好きなコードは何か?という質問である。

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ポールの答えはこんなで
ある。

Paul:一番好きなコード・・・それは難しい問題だ。でも僕はEがかなりいいと思う。最初に覚えるコードだし。昔、バディー・ホリーの曲をたくさん演奏したんだけど、彼はEとかAを使ってた。Eはとてもピュアで基本的できれいに鳴るんだ。低音弦がオープンだしね。だから他のコードにはない響きがある。でもね、僕はコードは全部好きだよ。でもどうしても一つと言われたらそれはEだね!

記事は「ポールの曲でコード:Eを使っているものを探してみよう」で締めくくられていた。

ということでBeatlesの曲212曲の中でコード:Eが使われているものを数えてみることにした(すべてがポール作曲というわけではないが)。楽譜を全部読み通すのも大変なので調(キー)から調べる方法を考えた。

まずは長調の曲である。210曲中191曲が対象となる。

キーがE、つまりホ長調の曲には、All My Lovingとか、Day Tripperなどがあり、当然のようにコード:Eは登場する。これを探してみると34曲ある。

大抵の長調の曲は主要3和音という3つのコードで構成される。C:ハ長調の場合ならば、FGが追加される。この主要3和音の中にEが登場するのは、キーがEに加えて、Aイ長調)そしてBロ長調)の場合である。キー:Aの曲は、Get backA Hard Day's Nightなど
36曲、キー:Bの曲はGood Day Sunshineなど5曲。

長調の曲についてキーごとの曲数を下図に示す。

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長調でコード:Eが登場するのは合計で75曲である。

続いて短調(Minor)であるがこちらは全体で19曲しかない。

短調については、長調と同じ音を使う平行調を考える。平行調とは、例えばキー:Cハ長調)に対するキー:Amイ短調)のことである。この場合、短調の場合でも対応する平行調のコードが登場する確率は高い。

例えば、キー:Eに対する平行調はキー:C#m嬰ハ短調)であり、曲としてはAnd I Love herなどである。確かにコード:Eが登場する。短調についても主要3和音があるのでそれに対応するのは、F#m嬰ヘ短調)、G#m(嬰ト短調)である。キー:F#mの曲はA Taste of Honeyなど2曲。キー:G#mの曲は存在しない。

短調でもう一つ考えないといけないのが、主要3和音の中に長調のキーが含まれる場合があることである。キー:Amイ短調)の場合の主要3和音として、DmEmが加わるが、このEmEに変わる場合が多い。キー:Amの曲は、You Never Give Me Your MoneyYour Mother Should Know、など8曲と多い。

短調の曲についても同様に下のグラフに示す。コード:Eが登場するのは全部で13曲。
 

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以上より、コード:Eが登場するのは210曲中、88曲、つまり42%。かなり好んで使われている、と言っていいだろう。

ちなみにキーを探すのに困った曲が2曲あり、上記には含めていない。それは、Revolution 9Within You Without youである。

セールスマン勧誘問題とその応用

ある区域でセールスマンが営業活動を開始した。勧誘の結果、成約に至るとその契約した者もセールスマンとして同じように営業を開始する。これを繰り返すことでその区域の加入者数はどんどん増えていく。いわゆるねずみ講の原理である。

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 このときの加入者数の推移を数学的に解析する。 

【セールスマン勧誘問題】

(1) ある区域における全体の人口をNとする。

(2) 人口Nに対する加入者の割合、つまり加入率をSとする。
 (Sが100%となった時点が全員加入時つまり営業完了時となる)

(3) 加入者は区域内でランダムに人に接触し、一日に出会う人をm人とする。ランダムなのでm人の中には当然既加入者も含まれる。

(4) 接触した非加入者が成約に至る確率は一定でそれをαとする。

(5) 新規で加入してくれた人にはそのお礼として1泊の温泉ツアーが振る舞われる。

(6) 温泉ツアーは一日最大H人までというホテルの収容制限がある。

 まず、Sについての微分方程式は、

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となる。この微分方程式を解くと、

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となる。ここでSoはスタート時点(t=0)の契約率である。スタート時点においてセールスマンは全体の人口Nに対して非常にはこれは小さいとして近似式を用いた。

セールス開始直後の期間はさらに、

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という近似式となる。加入者は指数関数的に増加する。これがねずみ講と呼ばれるゆえんである。

契約率Sが増加してくるに従って元の微分方程式の(1-S)の項の影響が出てきて増加が抑制される。つまり、非加入者が減少してくるためである。こうして時間が経過するに従って下図のようにSは1に限りなく近づいていく。

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接触者数mそして、成約率αを上げることによって1に近づくまでの時間を短縮することが可能である。

ここで新規加入者に対する温泉ツアーにおけるホテルの収容制限(H人まで)の問題を考える。ホテルの収容能力を考慮すると、接触者数m、成約率αをコントロールして一日あたりの新規加入者数を押さえ込まないといけない

一日の新規加入者の推移はつまりSを微分することでえられる。

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さらにこれを微分すると、

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となり、これが0となる時が新規加入者数が最大となる時に対応する。そのtを求めると、

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が得られる。この時の新規加入率を計算すると、

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となる。この時のSを計算するとちょうど0.5となる。つまりこのタイミングで加入者、未加入者の大小関係が入れ替わることになり、この時を境に契約者数の伸びが鈍化するといいうのは直観とも一致する。

以上をグラフにて表すと下記となる。

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新規加入率の変化に人口Nを掛けたものが、その日一日の新規加入者数になる。これがホテルの収容能力H以下になればいい。

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これより、接触者数mと成約率αについての条件は、

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となる。これを満足するように営業活動を行うことでホテルの収容制限を守ることができる。つまり、一日の接触者数を抑えること、そして接触した場合の制約に至る確率を下げることである。

セールスマンの問題としては以上である。ご推察のとおり、本分析は昨今、世界中を騒がせている最大の関心事の分析を意図してなされたものである。Hとはホテルの部屋数(Hotel)でもあり、病院の病床数(Hospital)でもある。いずれにしても早期に沈静化することを願うばかりである。


ユメのまた夢

先日、取引先のベトナムの社員とベトナムのカラオケに行く機会があった。そこで彼にベトナム人が最も好んで歌う歌を教えてほしいとお願いすると、Chao Vietnamという曲を歌ってくれた。美しいメロディの望郷の歌である。歌詞の中にコッポラ監督の名前も登場するのでさほど古い歌ではない。最後のフレーズに、mo(モー)という単語が登場した。その意味を聞くと「夢」のことだという。その時の会話。

-夢って夜見る夢のこと?
-この歌ではそうじゃなくていつの日かベトナムに帰るという願望のこと。
-あ、そっちの夢か。じゃあ、夜眠っているときにみる夢はなんていうの?
-そちらも同じく、mo(モー)だよ。
 
「夢」を日本語辞書で調べてみると、 

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というように大きく分けて2つの意味がある。


2つの意味に共通するのは現実とは異なるという点である。しかし、夜眠っているときに見る夢は確かに2番目の意味に通じる愉快で楽しいものもあるが、誰かに追いかけられる怖い夢や意味不明な夢も多く、内容も支離滅裂である。一方で2番目の意味は願望に通じる高邁なものでいつの日か現実としたいという希望を秘めたものである。

この2つの異なる方向性のものを同じ言葉で表現するというのは如何なものか、とかねがねいぶかしく感じていた。これが日本語固有なのかと考えるとそうでもない。英語でもどちらもdreamという共通の単語をあてているし、ベトナムの例を見てもどうも事情は同じようだ。

そこで他の国をまとめて調べてみることにした。以降、2つの概念を区別するために、夜見るものをユメ、将来に対するものを夢と便宜的に表記する。

まず夢という言葉が使われる場合を考えてみる。現実性、希望性の2つの軸を使って表してみると、

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となる。ユメは非現実の最下段、楽しいユメから怖いユメまで幅広い。意味不明なユメはこの2つの中間あたりに存在するのであろう。一方、夢は楽しい方のユメと深く共鳴して今時点ではまだ現実的とは言えないがいつの日か現実になろうとしているものである。

ここでこの3通りのユメ・夢を世界30か国について調べてみた。それが次の表である。

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この表で共通の単語が登場するかを分析した。完全に一致したものを赤、同類と思われるものを青で塗っている。もともとが微妙なものなので幾通りも言い回しはあると思うが、区別する単語が存在するかどうか、という視点での分析である。

この一致性を整理したものが次の表である。

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こうしてみると4つのタイプが存在することが分かった。これら4つを図示する。

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3つに対して同じ単語が使われる。

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楽しいユメ、怖いユメを区別している。楽しいユメと将来の夢を同じ単語を当てている。

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見るユメは共通だが、将来の夢は別な単語、もしくは活用形で区別している。

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3つをすべて区別している。

これら4タイプのそれぞれに属する言語のリストを以下に示す。

まず、日本型。

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日本型は8言語。次が米国型。

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30言語がこれであり全体の6割を占める。次が中国型。

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3言語のみ。特に中国語はユメは夢という漢字をあてるが、将来の夢は「夢想=実現を願うユメ」という語法であり個人的には最もしっくりくる。最後がロシア型。

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10言語。東欧から中央アジアそしてロシアに向かう地域に集中しているのは興味深い。レヴィ・ストロースによれば言語の形成にはその地域の生活様式、文化、風習などが深く関わり合っている。このような地域性が生まれることは想像に難くない。
 

マー君と無重力マッサージ

先日、出張の折に空港のロビーでこんなものを見つけた。

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マッサージチェアが2台並んでいて「無重力マッサージ」と書かれた看板がおいてある。1回の時間は15分、料金は300円とのこと。長旅の前だったのでやっておこうかと思ったがあいにく2台とも使用中であった。二人がいつ始めたのかはわからない。最大15分待てば絶対に空くのはわかるのだが。二人が始めた時間がランダムだとして私は平均どれだけ待てばいい計算になるだろうか。

もしもマシンが1台だけならば、待ち時間は0分から15分までばらつくはずなので平均待ち時間は15分の半分の7.5分になるのはわかる。それが2台になるとどうなるかという問題である。

考えているうちに5分ほど経過したところで片方のマシンが終了して止まった。すかさず乗り込んで硬貨を投入するとマシンは音もたてずに動き出した。両足、両腕が包み込むように固定される。すぐに背中から心地よい振動が伝わってきた。やがてマシン全体の姿勢があおむけになるように傾いて無重力状態となった。15分という時間はマッサージとして短すぎると思ったのだが、肩、背中は勿論、足、足裏、腕を同時にマッサージするのでなかなか効率がいい。私は夢見心地になりながらさきほどの続きを考え始めた。

待ち時間については一般の場合を考慮して次の関数を定義する。

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待ち時間については下図のような絵で考える。

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本図で上部が私が待ち始めた時間を示し、マシンはこの円上を私に向かって進んできて到着した時点がマシンが終了したことを表す。一周はマシン1回分の時間を示している。今回の場合だと15分ということになるが計算を簡略化するためにこれを単位時間:1とする。15分の場合ならば結果を15倍すればいい。

このようにまずマシンが1台の場合の待ち時間の平均値は、さきほどの表記方法を用いて、

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となる。つまり半分の7.5分である。次にマシンが2台の今回の場合である。

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マシンに1,2という番号を付けているが本図ではマシン1が先に終わる場合を示しているが当然、逆の場合もありうる。この場合の待ち時間を計算すると、

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となる。2倍しているのが2台の中でどちらが早いかの通りに対応している。結果は3分の1、つまり5分となる。さてここではマシン2台だったが、一般にn台の場合についても計算してみると、

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が得られる。nが増えるに従って待ち時間は0に近づいていく。分母はマシンの台数+1である。この+1は邪魔でわかりにくい。この正体はなんなのだろう。

さてそうこう考えているうちにもう一方のマシンも終了した。気づかないうちに次に使いたい人たちが並んで待っていた。若い男女の二人連れだった。しかし一方が空いたのに乗ろうとしない。男性の方はマー君と呼ばれていたが、どうやらこの2人は2台で同時に始めたいので両方が空くまで待っているようだった。やがて私の方も15分が経過して終了し、二人は念願かなって2台のマシンに乗り込み仲良く並んで同時に動き出した。

マー君たちのやり方だと2台終わるまで待つ必要があるがこの時、平均待ち時間はどうなるだろう。私の場合は5分だったが当然それよりも長いことは確かだろう。それを計算してみると、

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結果は3分の2、つまり10分と私の2倍必要なことが分かった。マー君のやり方をさらに拡張して、n台のマシンでn人のグループが全台が終了するまで待つときの平均待ち時間は、

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となる。マシンが増えるに従って単位時間1、つまり15分にどんどん近づいていく。

さらに一般の場合を考える。稼働中のマシンがn台で、その中でm台が終了するまで待つ場合である。

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この場合の平均待ち時間の計算式は、

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となる。積分の前の項の意味は、

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である。まず、積分項である、

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の計算が必要となる。部分積分をひたすら繰り返してもいいのだが、ここでは被積分関数が2項定理に似た形をしていることに着目して、次の2項展開を利用する。ここで係数αを導入している。

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左辺を積分すると、

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と、αのn次多項式となる。同様に右辺は、

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となる。αの係数を比較することで、

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が得られ、これを用いて平均待ち時間は、

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という大変シンプルな式で表されることが分かった。

この式は直感的にどう理解すればいいだろうか。

そもそも本問題で登場するタイミングを考えてみると、マシンn台のn個は勿論であるが、それに加えて今回の私やマー君のように利用客のタイミングが存在し、待ち時間はこれらn+1のランダムなタイミングの相互関係で決定される。

平均値についてはこれらn+1のタイミングが最も均等に分散した場合の待ち時間時間であると考えられる。つまりn+1個が下図のこのように等間隔に並んだ場合と等しいと考えることができるのである。

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つまり分母に登場して邪魔だとばかり思っていた「+1」の正体は他ならぬ私自身であった。

それでもメーターは回る

先日、故郷の市外局番から不意に電話があった。地域の水道サービスセンターの人からであった。故郷の実家には現在、誰も住んでおらず水道についても基本料金だけをたんたんと毎月支払っているだけである。

センターの人が言うには家の中で微量だが水漏れが発生しているらしい。メーターがいつも回り続けているということだった。家が無人なのを知っているので確かめてもらえないか、という依頼だった。

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水漏れが続いていると聞いてとちょっと気分がよくないので、週末を利用して実家に帰って玄関横の水道のメーターのふたをあけて見た。どうも回っているようには見えない。家の中に入り、すべての蛇口をチェックしてみたが水漏れが発生しているように見えない。

センターの人に電話してみた。センターの人が言うにはメーターを見てもわからないほどでメーター横に水漏れ検知器があるのでそれを見てほしい、ということだった。早速、メーターをよく見るとさきほどは気が付かなかったが小さな金属の円形の傘があった。それが蛇腹のように細かく折り曲げられているので空の光を反射してゆっくりだがくるくると回転している。どうもそれが微量の水の漏れを検出していることを示しているらしいのである。

また家の中に入って蛇口を再点検してみた。すると、洗面所の蛇口から1分おきくらいに、水滴が滴っているのを見つけた。蛇口はしっかりとしまっていたが、これでもか、というくらいに締めなおした。数分間水滴が出ないのを確認して、家の外のメーターをー見ると、例の金属傘が完全に停止していた。


今は亡き父は水道管の工事の仕事をする人だった。家には水道管・ガス管の工事の専門書がたくさんあって休日となれば父はそれを丹念に読んでいた。子供ながらにそういう姿にあこがれを覚えていた。そしてなにより仕事にプライドを持っていた。水道のメーターはどんな微量な漏れでも検知できるのだと自慢していた。水はみんなの貴重な資源であり、それを大切に扱うことが自分の使命であるといつも言っていた。


小学生の国語の授業中のことである。教科書に風呂の水を入れるときに水があふれてしまうのを防ぐために水がいっぱいになったことを検知してブザーで知らせる発明の文章が載っていた。現代の風呂では考えられない悩みであるが、その授業中に女性の教師がこういった。

-風呂の水をこれでもかと細くして流すようにすると水道のメーターは上がりません。ただで風呂に入ることができます。

私は父の言を借りてそれに反論した。女性教師はむきになって怒った。胸ぐらをつかまれても私は主張を変えなかった。そして最後は口答えするな、と平手打ちが飛んできた。昔はこんなたわいのないことでも体罰は日常茶飯事だった。私は悔し泣きをしながら「それでもメーターは回る」と心の中でつぶやいた。


実家をあとにする玄関先で私は水道メーターの横に座ってタバコに火をつけた。手にはまだ固い蛇口の感触と軽い痛みが残っている。今回の件は父が呼んでくれたのかもしれない。そう思った。亡き父の水道マンとしての矜持、そしてその生涯にもう一度肌で触れることができたからである。