当時は素朴な田舎町の印象だったが、最近のニュース映像を見る限り中国の他の町の例にもれずここ10年間で急速に近代的な発展を遂げたと思われる。
武漢を訪れた目的はただ一つ。黄鶴楼である。
勇壮な門の向こうにはるか遠く黄鶴楼の影が浮かび上がる。期待はいやがおうにも高まる。
これが黄鶴楼である。5階建てで8角形の形をしている。
屋根の先端はまるで飛び立たんとする鶴のようにするどく宙を指す。最上階の展望台に上って遠く西方の市街地を望む。
長江はすぐそばに見えるかと思ったがかなり距離がある。
鋭くとがった屋根の先端は鶴かと思いきや、
魚であった。東方には東湖がかすんで見える。
さて、展望フロアのロビーには黄鶴楼の歴史が展示されている。まずは唐代の詩人たち。
向かって一番右の白衣の詩人は孟浩然。「春眠暁を覚えず」で有名である。その左が李白。この二人は師弟関係だった。その隣は崔顥。日本ではあまり有名ではないが夕暮れ時の黄鶴楼で憂いの中で故郷を探し求める詩で有名。
黄鶴楼の変遷の模型が並んでいる。まずは唐代。
そして宋代。
元代。
明代。
こちらは絵にも残っている。
そして清代。
3階建て。ここから8角形になった。写真も残っている。
古い絵にも描かれている。
清の時代まで黄鶴楼は長江のすぐ河岸に立っていた。
そして現代。
清代の黄鶴楼をベースにして5階建てに拡張された。
さて、李白は揚州へと船で旅立つ孟浩然を黄鶴楼から見送る詩が有名である。
故 人 西 辞 黄 鶴 楼
煙 花 三 月 下 揚 州
孤 帆 遠 影 碧 空 尽
惟 見 長 江 天 際 流
後半の部分を訳すと、船の帆が遠く小さくなっていく、そして最後は長江が天との境界に流れ込むのが見えるだけだった、である。
決してオーバーな表現でないことはこうして長江を見ればよくわかる。河なのに水平線が見えるのである。最初に載せた地図を見ると最近、2本の橋が架けられたようだ。このような壮大な長江を見られたのは幸運であったと言える。
それにつけても、武漢、加油!