-テツオ!そんなに急ぐなよ。
-だめだよ。コウちゃん、裏山の沢でたくさん魚をみたんだ。急がないと。
麦わら帽子をかぶったテツオ君は山へと続く道をまるで滑るように走っていきます。コウちゃんはそれに追いつこうと頑張りますが体が重くてそんなに速くは走れません。
-お、コウちゃん。
道のから魚を突き刺して採るモリを持ったゲンジ君が急に現れました。あまりに突然だったのでコウちゃんにはそれはまるで空から降ってきたように思えました。
-先に行くよ。
ゲンジ君はそういってテツオ君を追いかけて走っていきました。ゲンジ君もテツオ君と同じようにがむしゃらに急ぐ様子でもないのですが、まるでスケートをしているような速さで進んでいきます。コウちゃんは二人が足音も立てずに走っているのを不思議に思いました。
コウちゃんがゼイゼイと息を吐きながらのろのろと走っていくと、山道に入る手前の道祖神の前でテツオ君とゲンジ君が二人で何やら楽しそうに話をしています。二人はコウちゃんに気が付きました。コウちゃんは息を切らしながら二人に尋ねました。
-なんでお前たちはそんなに速く走れるんだ?まるで空を飛んでるみたいじゃないか。それなのに僕はなんでだめなんだろう。
二人は急に真面目な顔をしていいました。
-コウちゃん、君だってもうすぐ飛べるようになるよ。でも、今はまだだめなんだ。ゆっくりでもいいからついて来な。
二人は山道を登り始めました。コウちゃんは悔しさで涙がこぼれました。それでも息を切らせながら後を追いました。
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-お父さん!
静かな病室でサエコは心配そうな顔で父親の手を握っていた。父はゆっくりと目をあけた。
-サエコか。
サエコと呼ばれた娘は少し安心したのか父親の手に両手を添えた。父親は明るい日差しが差し込む窓の外に広がる山の稜線を眺めながら独り言のように言った。
-どうして涙を流しているの?
-夢を見ていた。遠い遠い昔いのことのような気がする。
父親はか細い消え入るような声でそう話した。サエコが言った。
-もう少ししたら、マリコも来ますからもう少し休んでいてください。
父親は何も言わずに再び目を閉じた。
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-今日はお祭りだ!
3人が山頂まで来るとテツオ君が叫びました。
山の頂上にある神社の境内には提灯がともり、にぎやかな太鼓と笛の音が響いていました。参道には屋台が立ち並んでいてたくさんの浴衣姿の人たちが歩いていました。
そこにハットリくんのお面をかぶった男の子がコウちゃんたちの前にでて両手を広げて通せんぼのしぐさをしました。男の子がお面をはずすと愛嬌のある顔が出てきました。タケオ君でした。
そのとき、コウちゃんはあることに気が付きました。お祭りに集まっている人たちには顔がなかったのです。テツオ、ゲンジ、タケオの3人には確かに顔がありました。コウちゃんは急に不安になって尋ねました。
-ねえ、僕にはちゃんと顔があるかなあ。
テツオ君が言った。
-そんなことはどうでもいいんだよ。僕たちはのんびりしていられないよ。早く沢に下らないと。
3人は境内を回って神社の裏手にでて下りの坂道を降りていきました。
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扉ががちゃりと音を立てた。
-おじいちゃん。
病室に入ってきた孫娘のマリコが声をかけると男は再び目を覚ました。すでに窓の外は暗くなっていた。マリコの隣には娘のサエコと医師が並んで立っていた。
-おお、マリコ。大きくなったな。元気か?
かすれた声で男は答えた。
-うん、元気だよ。おじいちゃんも早く元気になってね。
-ああ、よく来てくれたね。学校は大丈夫か?
マリコはその日学校であったことを楽しそうに話し始めた。男は黙ってうなづきながらそれを聞いていた。
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3人は音もたてずに坂道を降りていきます。コウちゃんは体が重く、急な下りの山道はときどき樹にしがみつかないと転げ落ちそうでした。しばらく進んでいくと老木が倒れていて道をふさいでいました。テツオ君たち3人はそこでふわりと宙に舞うと軽々と老木に飛び乗りました。コウちゃんにはそんなことはできそうにありません。倒れた老木の幹はコウちゃんの身長よりも高かったからです。
3人は顔を見合わせた。そして声を合わせるようにして言った。
-コウちゃん、ここまでよく頑張ったね。でももう頑張らなくていいんだよ。
その瞬間、コウちゃんは体のすみずみに力がみなぎり、自分の重さがなくなったのを感じました。そして歩き出そうとすると、体が自然にふわりと舞い上がりました。木の上に立つ3人のさらに上に飛びあがりました。コウちゃんの目には遠い沢の水しぶきとそこに悠々と泳ぐ魚たちが見えました。コウちゃんは大きな声でいいました。
-みんな、沢はもうすぐだ!魚たちが飛び上がって僕たちを待ってる。早く行こう!
-おう!
今度はコウちゃんが先頭になり、3人を従えるようにして山道を下っていきました。
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医師は白衣の袖をまくって腕時計を見た。そして言った。
-只今、息を引き取られました。
ベッドの横でマリコがポツリといいました。
-あ、おじいちゃん、笑ってる。