掛け算の「九九」はなぜ「九九」というか。それは最後が9x9で終わるから。そうかもしれない。でも、そうでないかも知れない、と思いついて昔の子供向けの算数の教科書を調べてみた。すると、これが見つかった。
時は平安時代、源為憲による『口遊(くちすさび)』という児童向けの教科書である。千年前以上に書かれたものであるが、これを見て驚いた。
まず、九の段から始まっている。それも「九一」ではなく「九九」から始まって順に下がっていく。そして、次の八の段の最初は「八八」である。七の段は「七七」から始まる。交換の法則を使って段数が増えるたびに数が減っていくので合理的である。掛け算の順番が違うだけで間違いとだする型にはまった現代の先生たちを、平安装束の為憲が千年の時を超えて嘲笑しているように思える。
それにしてもなぜ「九九」から開始しているのだろう。こんな大きな数字で難しいほうから。しかし、本当に9の段は難しいのだろうか。為憲の九九と同じ順番で数字を並べてみる。
確かに数字は他の段よりも大きい。しかしよく見ると並びに規則がある。10の位と1の位の数を足し算するとすべて9で同じだ。またそれぞれの桁の数字はきれいに1づつ増えたり減ったりしている。結局ちょうど真ん中から数字は鏡のように対称に並ぶ。
他の段を眺めてみてもこんなきれいな規則は見当たらない。
確かに7の段は覚えにくくて子供のころから嫌いだった。他の段についても全体を決定づけるような規則は見当たらない。結局、9の段が最も整然としているのである。
他の段にこのような規則がないのは、7とか8の数字に問題があるからだろうか。7,8のプライドのために言うが決してそうではない。これは10進法を採用していることからくる問題である。その証拠に8の段を9進法で、7の段を8進法で書いてみる。
このように10進法の場合の9とほぼ同じ規則で数字が並んでいる。
ここで現れる「71」は「七十一」と読んではいけない。9進法なので「七九一」とでも読むべきものである。これをこんな風に書いてみる。
これを10進法に直すことになるが、9の段から開始すればこの「七九」が63であることはすでにわかっている。それに「一」を加えるので64、これが「八八」の答えになるのである。その過程を下図に示す。
この一連の手続きを下図に示す。
9の段は整然としたルールで求められ、8の段はその結果を使って求められる。この手続きを繰り返すことによって7の段以下も決定して九九全体が完成する。
10進法の場合を説明してきたが、もっと上の進法だとどうなるだろうか。例としてコンピュータサイエンスではおなじみの16進法について考えてみる。16進法だと「九九八十一」に相当するのは「FFE1」である。
この場合のF(=15)の段は、
となる。ここでも10進法の9の段で見たルールがそのまま適用されていることがわかる。16進法においても、同じ手続きで15の段から下の段を順次並べていくことができる。
以上述べてきたように、日本の九九は平安の時代から9の段の数字の並びの持つ秩序を利用して次の段数を次々と生み出すことができるように「九九」から並べることにしていた。なのでその愛称は当たり前のように「九九」なのである。この考え方は現代のコンピュータサイエンスに対しても十分威力を発揮する。為憲、恐るべし。