★Beat Angels

サル・パラダイスよ!誰もいないときは、窓から入れ。 レミ・ボンクール

日本語、大丈夫?

先日、舗道を歩いていると電柱に青いタコの絵を見つけたので思わず近寄ってみた。


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「アオダコ運動」という小学校の挨拶運動のポスターであった。「オアシス運動」というのが一般的であろう。アオダコの「ダ」は「大丈夫」だそうである。怪我をしたひと、元気のない子がいたら「大丈夫?」と声をかけてあげよう、という思いやりの言葉である。ちなみに「コ」は「こんにちは」ではなく「ごめんなさい」である。

元来、オアシス運動というのは好きではなかった。どこがかというと、「ス」の「すみません」である。「すみません」は、謝罪のことばで使われているのであろうが、「ありがとう」という感謝の意の代用で使われることも多い。「すみません」は「ありがとう(感謝)」「ごめんなさい(謝罪)」のどちらにも使える都合のいい言葉であり、戦後急速に使われ始めた。とあるジャーナリストはこれが日本語の衰退を招くという論文も発表した。それを読んだ私は共感し、極力すみませんは使わず、ありがとう、ごめんなさいを区別して使うように注意してきた。しかし「ごめんなさい」には使い方に問題がある。目上の人に発するのが憚られる言葉だからである。「ありがとう」には「・・・ございます」とい敬語表現があるのでいいのだが、「ごめんなさい」にはそれがなく「御免つかまつる」というように時代劇化してしまう。これで悩んでいるうちに大人社会に入ると「申し訳ありません」というような免罪符的な言葉を使い始めるようになり現在に至っている。

最近、気になっているのは先に述べた「アオダコ運動」の「大丈夫」である。


これは2年ほど前の記事だが「大丈夫」の使い方の変質はその後も続いていると感じる。たとえばコンビニで買いものをするときの店員さんと会話。

-910円になります。
-(1,000円札を渡す、そして小銭の10円を探す、がなかなか見つからない)
-大丈夫ですか?

これが気になっている。この「大丈夫」は「アオダコ運動」が推奨しているものとは使い道はかけ離れている。しかし、いくどかこれを経験してくると、

-大丈夫です。

と返事をしている自分に気がつく。はいなのか、いいえないのかよくわからない状況で意思を正しく伝えるためには相手の言い回しを真似るのが一番だと自然に反応してしまうのである。さらに輪をかけたのが最近でくわしたレストランの会計の場面での会話。これは女子の高校生アルバイトである。会計で金額と割引のクーポン券を渡したのだが、クーポンは注文のときに渡してほしかったようで、

-今回は大丈夫です。次回は注文のときに券を渡していただければ大丈夫ですので。

これには思わず笑ってしまった。

言葉というのは常に変化し続けるものである。記号としての言葉にはその意味する内容(ラング)と実際に音として発せされる言葉(パロール)の2つ側面がある。ラングは崇高で言語全体を支配するパワーをもつ保守的な絶対君主のようなものである。これに対してパロールも黙って従うわけではない。変化することでラングに反乱をしかけ言語全体に対して揺さぶりをかけているのである。

「大丈夫」という言葉は大和言葉とは異なって強い語感を有し、相手に強い印象を与えることができる。それが現在、若者を中心にいろいろな形で使われ始めている理由のひとつであろう。千円札で支払う際には「小銭があればそのままでない」「小銭がなければそのままでいい」という肯定・否定がクロスしたいて「はい、いいえ」がどちらをさすのかが判然としなくなる。そこで「大丈夫」が切り札として登場する。「小銭がない+そのままでいい」ことを丸ごと表現させようとなるのである。

「大丈夫」がこの先どこに向かうのかはわからない。「ら抜き」と同じくしかつめらしく批判する人たちもたくさんいると思う。しかしそれが言葉の持つ進化という摂理だとしたらそれにあがなう事は如何ともしがたいかもしれない。もちろん、大切なものは守り続けていく必要があるだろう。深い関心を持ちながら見守っていくことである。

大切なもの、で思い出したのだが、日本語のあいさつのもう一つ「さようなら」についてのこんな逸話を紹介して締めくくりたい。

世界初のニューヨーク・パリ間の無着陸飛行で有名なリンドバーグは奥方と日本を訪れている。その旅も同じく北太平洋横断飛行の途上のことであった。1931年というから満州事変のかなりきな臭いころである。その当時、日本人と初めて交流した時の印象を夫人のアンが手記につづっているのだが、そこにこんな内容が書かれている。

『日本人は別れのあいさつに「さようなら(左様なら)」といいます。その意味は「本当はお引止めしたいところではありますが、そのような事情があるのなら仕方がありません」ということです。私は別れの場面でこのような細やかな哀惜の念を表現する人々を見たことがありません』