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そんなことはどうでもいい、道路こそが人生だ

ダ・ポンテの生涯

かなり前のことだが、とある本で「アメリカにおける最初のイタリア語の大学教授はニューヨークに住んでいて、彼はモーツァルトの3大オペラの劇作家でもあり、実はロンドンにも住んでいたことがある」という話を読んだ。その並外れたスケールの波瀾万丈さに胸が躍った。

ロレンツォ・ダ・ポンテ(1749~1838)、その人である。

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これだけの偉業を成し遂げた人物であるにも関わらず、彼の生涯を伝える本は少なくとも日本にはほとんど存在しない。大学の図書館に通って数少ない文献を少しずつ解読してきたのだが、最近、その全貌がほぼ明らかになったのでここに彼の年譜として示す。

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破天荒、の一言では語りつくせないつかみどころのない人である。反発を感じるわけではない。うらやましいわけでもない。同情するというのとも少し違う。しかし、彼の生きざまにはどこか憎めない何かを感じる。

彼の生涯のピークはウィーンでモーツァルトと仕事をした時代である。寵愛を受けたヨーゼフ2世の死去に伴って彼の人生は暗転し、流浪ともいえる旅が始まった。彼はいつでも何かに追われて逃げている。それは宿命的なようにも見えるが大半は自己責任のようにも見える。そして逃げた先の新天地で自分の夢を実現させようと努力している。それがどうもうまくいかない。ひとつはっきりしているのは女性観・家族観の変化である。ナンシーという素晴らしい女性との出会いが彼を変えたのは明らかである。それ以前は出会う女性にことごとく手を出していたのに、結婚後にはまったく浮名を流していない。晩年は子煩悩であったとさえ聞く。

彼が忘れられてきた理由の一つはモーツァルト自身の評価にも依存する。モーツァルトが神格化されて評価されるようになったのはごく最近のことである。当時の評価ではモーツァルトサリエリと同格の扱いであった。ダ・ポンテさえもそうだったかもしれない。最近のモーツァルトの再評価に同期してダ・ポンテの戯曲や業績も再評価されニューヨークには彼のモニュメントが建設された。1987年、彼の死後150年後のことであった。