★Beat Angels

サル・パラダイスよ!誰もいないときは、窓から入れ。 レミ・ボンクール

朝のテムズ川

いつものことであるがロンドンの朝はあいにくの曇り空である。今朝は風も穏やかで、薄暗い雲の下をテムズ川は音もたてずに滔々と流れている。 

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ここはブラック・フライヤーズ橋。

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かつて「シティ」と呼ばれたロンドンの中心街に近いところにあるのだが、川沿いには中世の古城を思わせる煉瓦作りの城壁をもつホテルが立ち並んでいる。そして遠くセント・ポール寺院まで見渡せる。

 

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平日ではあったが朝の6時を過ぎたばかりなので都会の喧騒にはまだ時間がある。河岸の遊歩道におかれたベンチには杖をもった老人たちが並んで座り、新聞を片手にして何やら語り合っている。その前を色鮮やかなウェアを着た若いジョガーたちが走り抜けていく。川面には何艘ものボートやフェリーが浮かび、朝の出発の時を待っている。鉄柵には水鳥がとまって羽を休めている。

 

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この朝の時間、何をするでもなくテムズ川の遊歩道を歩くのは楽しい。

歩きながら『ボートの3人男』というイギリスの小説のことを考えていた。作者はジェローム・K・ジェローム

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3人の男と一匹の犬を乗せたボートがテムズ川を上っていく。何か目的があるわけでない。ちょっと人生に退屈したから。それだけが理由である。2週間の船旅の中で何か大事件が起こるわけでもない。登場人物たちはどうでもいいようなことを話して笑ったり喧嘩したりする。エピソードがすべてゆるいので記憶に残らない。それで何度でも読み返してしまう。登場人物たちが魅力的で人生を楽しんでいることが読み返すたびに何度でも心地よく伝わってくる。最近ではいい加減に開いたページから読み始めることにしている。どこから読んでも素晴らしい。こういう小説があるからイギリスには重厚な純文学が存在しない、要はいらないということだと思う。

この小説が書かれたのは今から130年前の1889年、日本で大日本帝国憲法が発布された年である。

同時代の日本の小説はなんだろうかと考えた。格段の差があるような気がしたからである。頭に浮かんだのが夏目漱石漱石の作品で『ボートの3人男』に一番近いニュアンスの作品はなんだろうと考えてさらに浮かんだのが『草枕』であった。主人公(漱石)は名も知らぬ山里にある旅館にいて本を読んだり、絵を描いたりしてのんびりと過ごしている。ある晩、旅館に住む謎の女が部屋にやってきたときの会話である。

 

-勉強じゃありません。ただ机の上へ、こう開けて開いたところをいい加減に読んでるんです
-それで面白いんですか?
-それが面白いんです
-なぜ?
-なぜって、小説なんか、そうして読む方が面白いです
-よっぽど変っていらっしゃるのね
-ええ、ちっと変ってます
-最初から読んじゃ、どうして悪いでしょう
-最初から読まなけりゃならないとすると、しまいまで読まなけりゃならない訳になりましょう 

こうしてみると漱石も決してジェロームに負けてはない。そう言いえば漱石もロンドンに留学していたのであった。彼の作品にも触れていたと考えるのが自然である。『坊ちゃん』『吾輩は猫である』などの初期の作品は同じ系統に属すると言ってもいいかもしれない。

などと考えているうちに気が付けばウェスト・ミンスター寺院まで歩いてきてしまった。

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 ビッグベンは残念ながら改装工事中。でも時計の文字盤だけは市民から見せるように工夫されている。遊歩道から少し外れて寺院の周辺を散策した。

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塔の内部。
 

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細部のレリーフも精緻で素晴らしい。

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ここまでくる途中でふとみつけたものがある。

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墓碑に刻まれた文字をよく読むと、これはオリヴァー・クロムェルの墓碑である。

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舗道から鉄柵越しにしかみることができず、看板やパネルがあるわけでもないので大半の人は気が付くことなく通り過ぎるであろう。

先の『ボートの3人男』には次のような一節がありそこにクロムウェルが登場する。 

今が19世紀であると思わせるものは、見渡す限り何一つ見えない。朝の日ざしを浴びている河を見やると。あの、永遠に忘れることのできない1215年6月の朝と現在の間の数世紀が消え失せ、ホームスパンの服を着たイギリス独立自営農民の息子たちであるわれわれが、腰に短刀をたばさんであの素晴らしい歴史の一頁が書かれるのをここで目撃するため待っているような気がしてくる。その歴史の意味は約400年後オリヴァー・クロムウェルによって一般庶民のために翻訳されたのである。

 

 1215年6月15日はイギリスでマグナ・カルタ(大憲章)が発布された年である。国王といえども法に従う必要がありそれに基づき権利も制限される、という当時としては画期的な内容で、法治国家の先駆けとして今の英国憲法の礎ともなっている。

オリヴァー・クロムウェルは国教会の圧政に反抗し1642年に勃発した清教徒革命を主導し、1649年にイギリスで初めて共和制国家を樹立したイギリスのヒーローである、という文脈で世界史の教科書を読んだ。それなのにこの墓碑はあまりにも寂しい。すぐ隣には不愛想な建物がすぐ隣にまでせり出していて、まるで邪魔だから立ち退いてほしいと言わんばかりである。墓の傍らを見るとそこには無造作に廃材が放置されている。

ここウェスト・ミンスターには国会議事堂があり、目貫通りには歴代の首相の銅像が立ち並んでいる。その筆頭はもちろんこの人、チャーチル

 

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威風堂々とはまさにこれ。クロムウェルの墓とはあまりに差がありすぎる。

共和制国家樹立後のクロムウェルのことを調べてみた。するとその死後も波瀾万丈のドラマが展開されていた。

1958年、クロムウェルは病死したが国葬級に取り扱われ、ここウェスト・ミンスター寺院に丁重に埋葬された。あとを引き継いだクロムウェルの息子はいたって普通の人だったので共和制は長続きせずわずか2年後の1660年には王政復古となってしまう。新国王は処刑された前国王の無念をはらすべく、クロムウェルの遺体を掘り出して、再度絞首刑にしたうえで斬首した。クロムウェルの首はウェスト・ミンスター寺院の一角にその後しばらくの間さらしものにされたが、ある晩、ロンドンに大嵐が吹き荒れて、首は台座から吹き飛ばされ、それを拾い上げた守衛はだまって持ち帰り家に隠したという。その後、首は大勢の人の手から手へと渡って転売され、その過程で偽物も登場してどれが本物かわからない状況に陥った。最終的には母校のケンブリッジ大学に埋葬されたと主張する人もいれば、そもそもこういう状況が予想されたので埋葬されたのはウェスト・ミンスター寺院ではなかったという説もあり、調査は今でも続いているというがおそらく真実は今後もやぶの中であろう。

ウェスト・ミンスター宮殿のとなりにビクトリア塔庭園がある。芝生の清冽な青が美しい。

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そろそろ散歩も終わりの時間である。古都のムードに浸って、時間を忘れてしまっていた。ウェスト・ミンスター駅から地下鉄に乗って現代の都会の喧騒の中へと戻ったのであった。

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ウェスト・ミンスター駅はこの建物の地下にある。