★Beat Angels

君がすべきことはただ一つ、ニューヨークへ行くことだ -ジャック・ケルアック

駅のホームから覗く深淵(『バベルの塔』展)

 その晩、私はとある地下鉄の駅のホームにいた。すでに終電に近い時間だったのでホームには2,3人連れの酔客たちが何組かいてその話し声が響いているだけでとても静かだった。その駅のホームにはクリーム色のホームドアが両側に設置されていたのでそれに仕切られたホームはまるで小さなホールのように明るい空間となっていた。私は階段の下にあるホームドアの前で電車を待っていた。
 

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 するとホームの階段から駆け下りてくる一団の気配を感じた。その中には駅員もいる。その一団は私の前のホームドアのところにやって来た。どうやら乗客の一人が何かを線路に落としたらしい。マジックハンドを手にした駅員はポケットから鍵を取り出してホームドア横の上のふたをあけて鍵を回して、手動でホームドアを開けた。駅員は注意深く線路を覗き込んだ後で、財布らしきものを手際よくマジックハンドで拾い上げてそれを乗客に手渡した。乗客は駅員にお礼を言って何かを話しているようだがその間、私は一つだけぽっかりと空いて暗闇が広がるホームドアの扉の前に立っていた。
 
 そこではクリーム色の柵の合間から深い暗闇が広がっている。普段開いてはいけないもの開いている。このままドアが閉じないままの状態で電車が来たらどうなるのか、それはとてつもなく危険なことのように思え私は一人狼狽していた。でも考えてみれば少し前まではホームドアなどは設置されていなかった。となるとその場合はいたるところが危険だったとも言える。でもその時には存在せず、感じなかったはずの闇、そして深淵が今、目の前に確かに出現しているのである。
 
 この深淵の不安、恐怖の根源は何なのかを考えてみた。ホームドアを設置する前にこの深淵がすでにあったともなかったともいえない。しかし安全のために作った柵が、そしてドアが同時にこの深淵を作り出してしまったのである。それは言い方を変えると本能的に安全を追い求める人間の本能がこの深淵を作り出したとも言える。光を求めようとする我々の所業が同時に闇を作り出してしまうとはなんと皮肉なことか。そしてその所業は我々人間の本能に根差すものであるからこれからも止むことはない。つまり、我々人間はずっと自らが作り出す闇におびえ続けていく宿命にある、ということである。そしてさらにたちの悪いことに人間は向上心なる悪徳をも備えていて、いつでもその上を、その先を目指してしまう。こうして愚かしくも人間の悲劇・喜劇は未来永劫拡大していく訳である。
 
 以上がバベルの塔』展に赴き「バベルの塔」の壮大な絵の前で私が抱いたとりとめもなく、愚ともつかない感想である。私が絵を前にして聴いたのは描かれた1,400人もの愚かしくも愛すべき人間たちへの人間賛歌、そして哀歌の声だったのである。
 

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