★Beat Angels

君がすべきことはただ一つ、ニューヨークへ行くことだ -ジャック・ケルアック

男と女のいる風景

 夜は若く、その男も、そしてその女もまた若かった。

 男はトレンチコートを着たままひとりその店のカウンターに座っていた。店の一番奥の席、それが男のお気に入りだった。やがて扉が開いて女が現れた。いつもと同じように何も言わず、男のとなり一つ席を空けて座った。 これがいつもの二人の夜の風景であった。

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ービールをお願い。

 女は長い髪をかき分け横を向くようなしぐさで注文した。そのときに男と一瞬だけ目が合った。 男はすかさず話しかける。

ー今日はいつもより遅いんだね。
ーええ、月末はちょっと忙しいのよ。

 相変わらずの無表情で答える女。あなたにはわからないでしょうけど、というニュアンスを語尾ににじませていた。 

ーマスター、彼女にお新香をお願い。会計は僕のほうにつけていいから。
ーマスター?・・・はい、わかりました。
ービールだけじゃさびしいかなと思ってさ。
ーありがとう。いただくわ。

やがて他のお客もちらほら座り始めていた。男は椅子から立ち上がって言った。

ーじゃあ、一足お先に。マスター、お勘定。
ーだから、マスターって・・・

 男は支払いを済ませると女に背中で挨拶して店の外に出た。女は何も言わずに見送った。春先の冷たい夜風が吹き寄せ男はコートの襟を立てた。受け取ったレシートを覗き込むと「お新香、100円」と印刷してある。男は独り言をつぶやいた。

ーふう。これくらいの金額で彼女との距離が少しでも縮まるなら安いもんだ。100円?それにしても安いな。

 そしてふと店先の看板に目をとめた。オレンジ色か、俺と彼女のいる風景にはちょっと似つかわしくないかな。今度、マスターに言っておかなくちゃ。男はそうつぶやいて足早に店の前から立ち去った。店の扉が閉まる瞬間、先ほどまでマスターと呼ばれていた男の大きな声が通りまで漏れてきた。

 

ーお待たせしました!牛丼大盛りです!

 

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