★Beat Angels

サル・パラダイスよ!誰もいないときは、窓から入れ。 レミ・ボンクール

蚕糸試験場跡地にて

 夏休みを利用して福島市飯坂温泉を訪れた。翌日、旅館の周りをふらふらと歩いていた時に、とある風景に目をとめた。温泉街の中心から福島市街に向かう飯坂街道沿いの風景である。

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 緩やかな登り坂の桜並木道が、一般道路からやや斜めの方向に続いている。この道を進んでいくと、 

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 すぐに断崖となって行き止まりであった。そこからは並木道と桜ごとえぐり取られた小さな谷のような地形となっていて、谷を越えた向こう側を見ると公園らしきものが見える。

 なぜ、この風景がひっかかったかというと、幼稚園生時代にこの付近に住んでいたことがあり、だいぶ様相は変わったものの、ここは紛れもなくが僕たちの遊び場であったからだ。もうかれこれ半世紀前のことになってしまった。

 当時は桜の木が道を覆うようにうっそうと茂り、薄暗くなっていた。僕たちにとってはかくれんぼには格好の場所だった。道幅も当時はこれの倍くらいあった気がするが、それは単に印象の違いだけだろう。そして何よりこの桜並木道はもっとずっと奥まで続いていたはずだった。そしてこの並木道の果てには・・・

 えぐり取られた先に歩いて廻ってみると、 

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 確かに乙和公園という名前の公園となっているが、桜の並木があるのが見える。道は途中は切り崩されても桜の並木だけは続いているのかもしれない、と期待した。

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 公園側からみると、確かにこの道と駐車場を作るために斜めに切り取られたことがよくわかる。 

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 公園内にもかつての桜並木の一部の桜が残っていた。

 かつてここは農林水産省の蚕糸試験場があった場所である。蚕から強い品質の高い生糸を取る方法の研究機関である。そしてこの桜並木道の突き当りに蚕糸試験場の入り口の正門があったのはずだった。当時、幼稚園の同級生にエリという女の子がいて家が近所だったので一緒にこの並木道で遊んでいた。当時から蚕糸試験場自体はすでに機能を停止していたのか誰も利用して気配はなかった。入り口の門には大きな南京錠が下されていて、鉄製の柵の隙間からはレンガ作りの大きな建物と丸い池、そして雑草の生い茂る広大な敷地が見渡せた。当時親からはその門から中に入ることはきつく禁止されていた。

 この付近を航空写真で見てみると、

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 桜並木道の途中から切り取って公園としたのである。昔の並木道に沿って公園内の桜の木も保存されている。なんと難しい造成をしたのであろうか。

 当時、蚕糸産業は日本としての重要な産業であり、全国各地に蚕糸試験場があった。しかし戦後になると産業自体が衰退して閉鎖・整理されていった。生糸のほとんどを輸入に頼る方針のためだ。当時は全国で2万戸以上あった養蚕農家も今ではほとんど存在していないだろう。

 一度だけエリにお願いされて門の中へ二人で忍び込んだことがある。見たことのない赤い花を摘むためであった。エリが入り口の柵から遠く目ざとくそれを見つけたのだ。まだ幼稚園生の僕たちは柵の隙間から簡単に中に入ることができた。まだ昼下がりだというのにあたりは薄暗く、シーンとしていて怖かった。エリも一緒に忍び込んで僕の後ろからついてきたが、僕のシャツの端をしっかりと握って離さなかった。結局、その日作戦は成功裏に終わり、その小さな冒険は二人だけの小さな秘密にすることにした。僕はやがてその年の冬に市街地に引っ越してしまった。その後のエリの消息は分からない。 

 さて、街道沿いからの並木道については行き止まりであることをいいことに、その入り口部分は、付近の住民のごみの収集場所として利用されている。

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 あと数年もすればここも完全に壊されて住宅地に変わっているのであろう、そんなことを考えながら懐かしい飯坂の街を後にしたのである。