★Beat Angels

君がすべきことはただ一つ、ニューヨークへ行くことだ -ジャック・ケルアック

荒場の月

 私は中央通路と呼ばれていたところに今でもおかれているベンチに一人腰かけていた。あたりには砂利、廃材、瓦礫などいくつもの山が無造作に積みあげられていた。日が暮れて月が瓦礫の山の向う側に上ると、その山々は黒い影となって私の座るベンチを取り囲んでいた。

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▮言葉の森の迷宮


 最初に中央通路を通りかかったのは白髪の老人であった。度の強い眼鏡をかけて手を後ろ手に組んで音も立てずに歩み寄ってきた。老人は瓦礫と廃材の山を見上げて私の前に立ち止まると静かに落ち着いた口調で話しかけてきた。

 -これはまた、派手にやったもんですねえ。
 -はあ。
 -それでお探し物は見つかりましたか?
 -・・・探し物?
 -私はてっきり、あなたが何かをお探しでここまでテッテ的に壊されたのかと思いました。

  私には彼が「テッテ的」と言ったように聞こえた。

 -まさか。これは私の仕業じゃありませんよ。壊されたのを見て呆然としているだけですよ。

  老人は私の隣に腰を掛けると語り始めた。

 -ここまで完膚なまでにやられると壊された方も本望って感じですかね。こんな瓦礫の山を見ていると私には一片ずつが言葉のように見えてくるから不思議です。ああ、私はこう見えても言語学者の端くれです。無名ではありますけどね。ここはどこなのか分かりませんが廃材の山をみると、製造工場があったのでしょうか。すでに破壊しつくされてエントロピーは最大値まで振り切ったように見えますけど、実は私のいる言葉の世界はこれよりももっと混沌としています。そこには秩序らしい秩序なんてないんですよ。そもそも言葉というのは一体全体何でできているかということなんですけど、こんな喩えはどうでしょうか。

  老人は私の返事も待つことなく語り続けた。

-あなたが今駅の改札を出たところで今まさに街中を歩き始めたとします。すると通りに沿っていろいろな建物が見えて来る。ビルに書かれた名前とか看板とか入口のドアとかに沢山言葉があってその建物が何なのか、どんな目的で建てられたものなのか、きっと小説を読み解くように歩いていけるはずです。これは銀行だ、これは学校だ、郵便局だというように。さて場面は変わり、あなたがどこか遠い山奥の深い森の中に迷い込んだとします。同じように道なき草深い道をかき分けるように歩いていく。すると今度は何が見えてくるか。いっこうに言葉は見えてこないでしょう。なんだかわからない混沌とした緑一色の世界です。あなたはきっと何も読み解けない。この差は一体何だろうと思いますか?

-人工物と自然の違いでしょう。街は人が作ったのに対して原生林は昔から勝手に存在しています。だから街は分かりやすく、原生林は分かりにくい、と。

-なるほど。こういうところで仕事をしている人ならではお答えですね。でもね、実は言語学者はそうは考えないです。どちらもちっとも差がないと考えます。人間というものは原生林についても黙ってそれを見ている訳じゃない。花が咲くか咲かないか、食べられるかどうかから始まり、被子植物裸子植物、広葉樹、針葉樹、シダ類、コケ類、ありとあらゆる言葉で人間は分類・細分化していき挙句の果てにすべてに名前を付けていく。これは都会で見られる看板とはなんら違いはないと私は思います。人間はこうして分類、区別していく習性・本能があります。この区別という行為こそが言葉そのものと言えるのではないでしょうか?人間は愛とか、正義とか、平和とか長い歴史の中で築き上げてきたと思い込んでおられるようだが、そんな愛とか正義も所詮言葉。言葉である限り区別という行為から生じただけのものです。なぜ、そんな言葉が生まれたか、それは最初に名前を付けた人が区別しないといけない事情に遭遇したからです。それは植物に関する言葉を見ればあきらかです。それが食べられるかどうか、毒があるかどうか、それが決定的に重要だった時代がある。その人はその情報を仲間たちにそれを伝えないといけなかった。そのために区別する言葉が生まれたんです。例えば愛という言葉もそうだと思います。最初に言い出した人が誰なのか、その人はなぜ、何と区別しないといけなかったのかもう今となっては分かりません。言葉とはそれほど素性が知れないものです。また区別が必要ない物事には言葉を当てません。こんなあいまいなものを使って人間は真理を語れるものなのでしょうか。なんだかそれを使って真理を語る以前に言葉が生まれた時にその概念はおのずと決まっている、そんな論理的な循環を感じませんか。人間はまるでこの瓦礫の山を作るように、ただ眺めていることができずに分解・裁断していく動物なんです。瓦礫の山をみてまるで言葉のようだと私が言ったのはそのことです。でも物理的に裁断することなどはまだ罪が浅い。また組み立て直せばいいだけの話です。でも、言葉での裁断はその時点で逆戻りはできません。例えば愛という言葉も概念も裁断の結果登場した時点で凍結されてしまう。そしてその時点で思考停止を決定づけるわけでさらに深刻な問題です。でも、あなたが言葉の森の中で迷路に入ったわけではないと聞いて少しほっとしました。まだまだ組み立て直せばいいだけの話ですからね。さて、話が長くなりましたね。それではこのへんで。

 老人はベンチから立ち上げると中央通路を来た時と同じゆっくりとした歩調で消えていった。 

  

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▮かくれんぼ


 -みーつけた、なんてね。

 中央通路からふと目の前に現れたのは顔なじみのはずの女性だった。長い髪には確かに見覚えがある。でも名前がなぜか思い出せない。ずっと一緒にいたような気もするし、かなり昔に別れたままのような気もする。

 -ねえ、覚えてる?子供の頃に住んでいた団地にはいたるところにここみたいな大きな土管とか、廃材とかの山があったね。町はずれの砂利山や置き場もあったけどみんなが遊ぶはずの公園でも同じようなものが置いてあった。今だったら危険だということで問題視されて撤去されるでしょうけど昔はそんなことはなかった。子供たちもそれを遊ぶ道具に代えて楽しく遊んでいたしね。私たち女の子たちはいつもそこでかくれんぼをして遊んでいた。かくれんぼが得意な友達がいていつもなかなか見つけられなかった。明日から夏休み、という日だったんだけど、私たちはいつものように通知表を親に届けて一言お小言もらった後で、そのまま公園に集まってかくれんぼをしていたの。その得意な友達も一緒にね。そしていつものようにかくれんぼをして遊んでいたんだけど、彼女だけがどうしても見つけられない。最後はみんなで心配になって鬼さんと一緒に全員が声を掛けながら探し回ったけどどうしても見つからないの。確か赤色のスカートをはいていた。いつしか日が暮れてきたので仕方なくみんな家に帰ったんだ。きっとその友達も家に帰ったかもしれないって思ったし。そして翌日から夏休みが始まってそんなことがあったこともみんなすっかり忘れてしまっていた。そして休み明けの始業式の日学校に行ってみると、彼女の姿が見えないの。授業が始まって先生が言ってた。『あの子の家はこの夏休み中に引っ越して行きました。皆さんにお別れの挨拶ができなくてごめんなさいと言うことです。』私たちは彼女はきっとまだかくれんぼをしてるんじゃないか、まだどこかにひっそりと隠れてるんじゃないかって話し合ったの。あれから幾年も年月は過ぎたけど今でもこうした砂利山とか瓦礫の山を見ると彼女がまだそこに隠れていて、そこから彼女が顔を出すんじゃないか、って思う時がある。あの頃と同じ顔、同じ赤色のスカートでね。あ、もうこんな時間、帰らなきゃ。お母さんに叱られる。じゃあまた明日ねー。

 彼女はいつもと同じように私に挨拶するとスキップをしながら中央通路を北の方角に消えて行った。街灯が彼女の長い影を映し出し、長い髪の毛の影も乱舞していた。私は後姿を見送りながら彼女も赤色のスカートをはいていたことに気が付いた。

 

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▮僕の隣にいない彼女


 月はすでに砂利山のはるか上にあった。中央通路の南側から走るズックの音が遠く聞こえたかと思うと、いきなりベンチの下の街灯の中に息せき切った青年が忽然と現れた。私は少し驚いて小さな悲鳴に似た声を上げてしまった。青年は言った。

-彼女を見かけませんでしたか?
-彼女?いいえ。

 男は残念そうな顔をして周りを見回した後でため息をついてこういった。

-ちょっとお話ししてもいいですか?

 男は私の隣のベンチに腰を掛けてきた。

-実は彼女らしき人を見つけたのでずっと追いかけてきたのですがここで見失いました。ここは色々なものがあって迷路みたいになっていますからね。僕はずっと彼女と一緒にいたんです。それがある日突然終わりを告げました。私はそれでいいと思ったんです。でも、あらゆるものが僕と彼女を終わらせてくれないんですよ。これで完全に終わりだからと新しい気持ちで生きて行こうとして一日を始める、すると次の朝の新聞の連載小説のように相変わらずそこには続きが記されている訳です。僕は幾度終わらせてほしいと願ったことでしょう。でもそれはかなわなかった。という訳で僕はいまでも「僕の隣にいない彼女」とこうして一緒にいるんです。彼女は欠点らしい欠点のない女性でした。いまでも欠点としいて言えばここにいないということ程度です。だから僕はそれを大目に見てあげています。ちょっと探し回らないといけないくらい僕にとっては取り立てて問題ではありません。では、それではそろそろ彼女を探しに出かけないといけないのでこのあたりで。え?なぜ、探しまわるかって?それは簡単なことです。僕が探し回っていないと彼女の方が僕を探して見つけてしまう。そうしたら終わるべきものも終わらせられないじゃないですか。お見受けしたところ、あなたも何かに追いつめられることを恐れているようですね。だったら、それを逆に追いかけてみることです。でないとそれに追いつめられますからね。それが唯一の方法です。それでは僕はご覧のとおり忙しいのでこれで失礼します。

 男はまた小走りで中央通路を北側に向かって消えて行った。足音はやがて遠く聞こえなくなった。月はさらに傾いた。遠くから電車の警笛の音が聞こえた。瓦礫の山で反響してどちらの方角にあるのかも判然としなかった。 

  

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▮三輪車の写真 


 やがて月は天頂から傾き始めた。あたりに充満していた昼間の暑さの名残はすでに消え去り、時折ひんやりとした風が通り過ぎていく。そして積み上げられた土砂から湿った土の匂いがあたりに立ち込め始めていた。ふいに左腕にかすかな温もりを感じたかと思うと、隣に彼女が座っていた。

 -この通路だってまっすぐな道に見えるけど、本当は違うって考えてみたことないかな?大昔にギリシャの哲学者が一本の直線を発見した。その時はもっとも単純な形だと思われていたけれど、その後、その一本の直線こそが数学における最大の迷路であることが証明されていった。でもね、先入観をなくして考えてみると実は迷路の方がずっと単純、ということがあるよね。時空というのはあなたが思うほど決して広大ではないの、ただ歪んでいるだけなんだから。

 彼女は続けた。

 -だから私は時空を超えてあなたのそばにいることができる。例えばあなたが大切に飾っていたあの三輪車の写真を思い出してみて。あれはあなたが初めて三輪車に乗れた日に、お母様が撮ってくれた写真だって話してくれたね。私はあの頃のあなたにだって会うことができるの。じゃあ、目をつぶってみて。そしてその写真が撮られた頃を思い出して少しずつその頃に帰っていくの。

 私は言われるがまま目をつぶった。暗い円筒のような中を落ちこんでいくめまいに近い感覚が私を襲った。やがて目の前が急にまぶしく晴れ上がったかと思うと目の前の映像が少しずつ焦点を結び始めた。晴れた日、私は低い位置から白い洗濯機の方を見上げている。手動のローラー式の単純な脱水機がついているかなりの年代物だ。そして私が乗っているのは三輪車。そして洗濯機の隣には大きなカメラを不器用そうに抱える割烹着姿の母。そして洗濯機をはさんだ反対側には父の姿もある。まだ、二人とも若々しい笑顔だ。でも、そこには誰かもう一人いる。二人の間で洗濯機に頬杖をついている。それは紛れもなく彼女だった。母親と友達位の年頃に見える。彼女は頬杖をつきながら声を出さずに何かを僕に伝えようとしている。ゆっくりと短い言葉を繰り返しているようだった。私は彼女の口の形をまねして何を告げようとしているか探った。

 -エンカン・・・円環?

 そう声を出して言った途端に私は目が覚めた。相変わらず私は夜のベンチに座っていた。隣を見るとすでに彼女の姿はなかった。

 

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▮邂逅

 私はまた一人ベンチに残された。さらに傾いた月明かりは砂利山の向こう側で何かの影を映し出していた。私は立ち上がりその正体を探ろうとした。歩きにくい砂利山を半分廻ったところに一台のオレンジ色をしたショベルカーが無造作に置かれているのを見つけた。そいつは月明かりの下で赤銅色に映えていた。

 -久しぶりだな。
 
 私は以前にこいつに出会った時のことを思い出していた。あのときは冷たい冬の夜で、川のせせらぎが聞こえる河原に私は震えながらこいつと朝まで一緒にいた。あのときも目の前には荒涼とした廃墟が広がり、夜空には今晩とまるで同じように月が冴えていた。そいつは私に語り始めた。

 -お前はきっと勘違いしていると思うが、俺がお前を追いかけているんじゃない。お前が俺を呼んでいるのさ。何のために壊すのかなんて大した問題ではない。俺にとって重要なのはどうやって壊すか、どこまで壊すかだけだ。大義名分などは誰かに任せておけばいい。俺はお前たちが作り上げたもの、作りあげたと勘違いしているものを、何もなかったことにしてあげているのだ。お前たちはきっと俺が夢とか、名誉とか、理想とかを破壊するだけと思っているだろう。俺はお前たちがそれを築くときに見て見ぬふりをしてきた虚栄、欺瞞、傲慢、そして怠惰、そんなものをひっくるめて無に帰してあげるのさ。お前たちは破壊された後の荒れ果てた土地を見渡すと絶望と共に一種の爽快感を感じるのはそのためさ。そしてお前たちはまた愚かしくも次なる空中楼閣を夢想してしまう訳だ。俺が破壊してあげたものの存在のことなんて全部忘れてね。でも心配しなくていい。俺はちゃんとそんなお前たちの虚妄の隙に居場所を見つけてずっと待ち構えている。必要になったらまた呼んでくれたらいい。俺はいつでもそばにいるから。

 私はそいつのそばに歩み寄りオレンジ色の機体に触れてみた。指先からかすかな温もりが伝わってきた。私は親愛の情を込めてそいつのキャタピラを思いっきり蹴飛ばしてやった。深まりゆく夜のしじまの中でそいつは自慢げな顔をして、短く鈍い悲鳴で私に応えたのだった。

 

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