-ほら見て!魚よ
その娘は古ぼけた橋の欄干から身を乗り出して深い緑色をした川面を指さした。後ろを歩いていた僕は慌てて彼女の指し示す方角に目線を走らせたが何も見つけられなかった。
-もう遅いわよ
娘はいたずらっぽい笑みを浮かべると後ろ手を組んで何もなかったようにまた橋の歩道を歩き出していた。僕は黙って彼女の後を追いかけた。
その娘は間もなくこの町から行先も告げずに去っていった。それから一年ほどたった秋のことだった。僕は同じ橋を一人で歩いていた。川面に目をやると小さなさざ波の下に無数に動き回る黒い影とそれが時々銀色に光るのが見えた。それは集団で複雑な軌跡をたどりながら自由自在に形を変えていた。
-魚影だ!
僕は家に引き返し、部屋から釣竿と魚籠を手にして再び橋へと向かった。そして橋の袂から河原に降りてすぐに釣り糸を垂らした。すでに夕闇が立ち込めていて、ひんやりとした風が時折、川面を揺らしていた。
しばらくして後ろから近寄ってくる砂利の音がした。僕と同じ年頃の青白い顔をした少年だった。学校が違うのか、見知らぬ顔だった。少年は魚籠の中を覗き込んだ後、釣り糸に目をやって横顔のまま聞いてきた。
-釣れるかい?
-今、始めたばかりさ
少年は無言で僕の隣に腰を下ろした。それから一時間ほど、二人はずっと黙って座っていた。魚も一匹も釣れないばかりか、かする程度の当たりすら一度もなかった。やがてすっかり日は落ちて対岸の家の明かりが川面に映え始めた。僕はあきらめて帰ることに決めた。
-さて、帰ろう
独り言のように言って河原の道を歩き始めた。まだ川岸にいた少年も立ち上がり帰ろうとしていた。そして僕の背中に向かってこう言った。
-知ってるかい?この川の水は魚には冷たすぎて魚は住めないんだ
それもずっと昔からね