★Beat Angels

君がすべきことはただ一つ、ニューヨークへ行くことだ -ジャック・ケルアック

下町横丁的リアリズム

 東京都内人形町に小さな居酒屋が立ち並ぶ甘酒横丁という通りがある。夕暮れ時に歩いてみると安普請の低い軒の焼鳥屋が所狭しと立ち並んでいる。時にソウル五輪の真っ最中だったので店の中ではテレビを流していて開け放たれた入り口から時折歓声が上がる。酔った学生たちが通りを並んで歩いている。僕は看板がはげかかって「やきとりや」とぎりぎり読み取れる店の暖簾をくぐった。

 

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 将棋盤を持った浴衣姿の二人が今日の勝負の反省をしている。ベレー帽をかぶったおじいさんが身ぶり手ぶりで若者二人にうんちくを語り二人は神妙な顔つきをして聞いている。戦後間もなくの国体で陸上選手だった人がTV中継をみながらかつての武勇伝を語っている。店のおばさんが忙しく手を動かしながらもそれに応対している。片隅にはコップ酒をあおりながら店内の騒がしさに顔をそむける人がいる。

 見知らぬ人たちの見知らぬ会話がとても暖かく胸に響く夜だった。同じ場所に集う人たちの顔が一人ひとり奇妙によく見える。僕はここで様々な人生を見つける。居酒屋の人いきれは人生の人いきれだ。暖かいのに少しだけ寂しいひといきれだ。そして居酒屋を取り巻くあらゆる感傷の基調となっているのはおそらく郷愁である。僕たちは故郷を離れ船出している。何が待つともしれぬ荒波の果てに。ふと立ち寄った港町の片隅で遠い故郷を思うのだ。希望に燃えて家を出た時にはいていたはずの靴の底は絶望の歯で削り落とされ、凍える魂は癒されることなく波間に漂泊する。

 さて江戸の頃、下戸というのは最大の野暮であった。だから酒の飲めない人も無理に酔ったふりをしたそうである。そんな強がりの風潮は今でもこの界隈に残っている気がする。この若者二人と語る近所の左官屋さんらしいおじいさんも、野暮な仕事の話はしないようにしているけれど、表情の中に仕事中の厳しい顔が時々横切るのがわかる。元来、世間には用事という下世話な話がひしめいていてその一つ一つに多くの人間が集まっている。その用事の周りに集う人間の集団が本質的でありえないのは用事なんてものが本来的でないからだ。僕たちの考える社会なんて貧弱だ。社会というものの概念的な部分を除去していくと最後に残るのは普段身の回りにいる一握りの人間たちとそれをかろうじてつなぐ止めている用事だけである。

 この居酒屋に集う人間たちには用事がない。気が遠くなるくらい偶然に出会った人たちである。だからこそ彼らの言葉は真実でありそれがゆえに優しくそして厳しいのだ、

 ここに書いてきたことはおそらく料簡が狭い、社会的でない、世界を見ていない、小市民的である。そんなことは百も承知だ。僕にとって世界に目を向けるよりも今日一日を元気で生きることの方が大問題だからである。

 さて、今宵もどこかの町の居酒屋に行ってお互いどこの馬の骨とも知らぬ同士で「人生の真実」のような話題で酒を酌み交わしたい。

  

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