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★Beat Angels

君がすべきことはただ一つ、ニューヨークへ行くことだ -ジャック・ケルアック

ビーテ狩りの夜

 それは僕が小学校3年生の時のことである。学校の昼休み、関先生が赤い実が沢山入ったかごを持って教室の入り口から入ってきた。先生はそれを教卓におくとこう言った。
「秋山君のお母さんがビーテを届けてくれました。みんなでいただきましょう。」
 先生はその果物を僕たちの机の上に一つずつ置いていった。ビーテ?僕はその果物の名前を聞くのが初めてだった。林檎を小さくしたような形をしている。秋山君の父親はPTA(教師・父兄の会)の会長をしていて、とびきり大きな家に暮らしている。どこにも顔を出すので僕らの中では知らない者はいない。秋山君はまるまると太った弱いものいじめをするやつでクラス中の嫌われ者だった。

「うわ!」
 窓側の席の生徒がひとり大きな声をあげた。声をあげた生徒は顔全体をしかめてすごい形相だった。クラス全体が何事が起きたのか?とざわめいた。先生は振り向いて言った。
「静かに。全員に配り終わるまで食べてはだめです」
 全員に配り終わると先生は言った。
「はい、それではいただきましょう。」
 僕たちは一斉にその赤い実にかぶりついた。クラス全体に、
「うわー」「うー」「やー」
などの声があがった。それはとても酸っぱい実だったのだからだ。秋山君だけは、
「やっぱりうまいなー」
と言って、一気に食べ終えると先生に向かって、
「先生は食べないの?」
と聞いた。先生はかごから一つ実を手にして、小さくかじった。そして、ちょっと困ったような表情で、
「うん、おいしいですね」
と言って力なく笑っていた。

 その日の学校の帰り道は、太田君と野崎君の二人と一緒だった。
「今日のビーテ、まずかったなあ。」
「なんであんなものを学校に持ってくるんだろうなあ。」
 僕たちは口々に文句を言いあった。すると太田君がこんなことを言い出した。
「なあ、あのビーテって秋山君の家の庭にある池の上になってるんだよ。俺、前にあの赤いのを見たことがあるもん。」
「へえ、じゃあ、あれはその池の上から採ってくるんだ。」
 僕は池の上、というのがピンと来なかった。そこで野崎君が、
「なあ、今晩、秋山の家のビーテを全部とって捨てちゃおうよ。そしたら、もう二度と学校に持ってこれないし。」
「いいね!」
 僕たち3人はすぐに決めた。そして夕食を食べたあとでこっそり空き地に集まることにした。

 さて、午後8時に空き地に集まった僕たちは並んで歩き、秋山君の家を目指した。
玄関の門は少し空いていた。音をたてないように門を開けて僕たちは庭に入った。
とても広い庭だった。家には灯りがともっていたがカーテンが閉まっていたので、僕たちがすぐに見つかる心配はなかった。僕たちは芝生の上を音をたてないように歩いて庭の隅にある池の方に向かった。その池、というよりも貯水池で小さなプールのようだった。その上方3mくらいのところに棚が作られていてそこにうっそうと植物が茂っていてその葉の間からあの赤い実が沢山なっているのが見えた。

 僕たちは声を殺してお互いに目配せしてみつけたことを確認した。さて、どうやってその実を摘むのか。とても手は届かない。まして下は池である。太田君は4本の金属製の支柱を指さした。そこから上って取ろうというのだ。僕たちは3つの支柱にしがみついて登り始めた。みんな音をたてないようにゆっくりと登って行った。棚に手が届くところまで来て、棚を探ってみるとそれは30cmの格子状にがっしりとした金属のパイプが張り巡らされていることが分かった。
 僕たちはそのパイプにぶら下がる形で3つの角から進み始めた。ぶら下がってもはるか下に池の水面がある。落ちたらけがはしないかもしれないが大きな音で家の人に見つかってしまうだろう。
 太田君は片手でぶらさがりながら、器用にビーテをもぎとり、それをジャンパーのポケットに入れ始めた。野崎君も僕も同じように作業を開始した。

「ぽちょん・・・」
 野崎君が手元を間違えてビーテを一つ池に落としたのだ。しーんと静まりかえった庭にその音はこだましているようだった。僕は心臓が止まりそうになった。そして野崎君の方を見た。野崎君はぶら下がりながら、声を出さないまま首を縦にふって謝っていた。しばらくして、また静けさを破る音が。

「ぽちょん・・・」
 今度は僕だった。ポケットが一杯になってきてはいりきらずに落ちたのだ。今度は僕がみんなに謝る番だった。ふとみると、太田君も野崎君もパイプに必死にぶら下がっているが同じくポケットが満杯になったのか、ビーテをとる手を休めてただぶら下がっていた。その時、僕の頭には、僕を入れたこの3人の姿ははたして廻りからみたら、どう見えるのだろうという想像だった。
 しんと静まり返った夜に何もいわずに苦しそうにぶら下がっている3人。3人は手を止めてお互いをしばし見つめあった。

「ぽちょん・・・ぽちょん・・・」
 立て続けに音がした。今度は太田君だ。体を少しよじっただけで、ビーテがポケットから落ちたのだ。その音を聞いて、僕は自分の中で何かが限界を超えて爆発するのを感じた。思わず、大声で笑いだしてしまったのだ。声を殺しながら腹の筋肉は苦しく痙攣した。それが同時なのか、伝染したのかはわからないが、太田君も野崎君も同じように声を押し殺して笑い始めていた。そして一目散に支柱に戻って地面まで下りて玄関を目指して走り去った。走りながらも僕たちはまだ笑いを押し殺していた。そのまま3人は、空地までなだれ込むように走り、そこで大きく深呼吸したあとで、同時に声をあげて腹を抱えて大笑いした。それまで我慢していたのが一気に爆発したマグマのようにそれは簡単には収まらず、3人の笑い声はいつまでも澄んだ夜空に響き渡っていた。