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サル・パラダイスよ!誰もいないときは、窓から入れ。 レミ・ボンクール

大瀧詠一氏の早すぎる死を悼む

 去る12月30日に大瀧詠一氏がなくなった。享年65歳。

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 大瀧氏との出会いは高校時代、ゴーゴー・ナイヤガラの頃。アメリカのヒット曲満載、大瀧さんの広範な知識と解説は魅力的だった。60年代ポップスが大好きになったのはこの番組のおかげである。そしてミュージシャンとしての彼を認識したのは当時発売された『ナイヤガラ・カレンダー』。

 

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 1月から12月までの12曲からなるこのアルバムには衝撃を受けた。大瀧さんといえばそれまでは三ツ矢サイダーなどのCMソングでしらなかった。それまで僕は作曲というと四畳半フォークに傾倒していてそんな孤独な場所で、辞書を片手に悩みながら作るもの、と勝手に思い込んでいてそういう世界にあこがれていたからだ。大瀧さんは全然違っていた。自身の中にある音楽がリズムが勝手に湧き出してくるのを楽しそうに掬い上げているだけ、そういう印象のアルバムだった。特に2月の『ブルーバレンタインデー』、6月の『青空のように』、10月の『五月雨』。
 僕は番組でこのアルバムの感想として「あなたには悩みというのはないんですか?」とはがきを書いた。それは番組で読まれることはなかったがその後のインタビューで「当時、高校生のリスナーから、あなたには悩みというのものがないのですか?といわれて、音楽やめようかと本気で悩んだよ。」と述懐されていた。申し訳ないことをした、かもしれない。が、大瀧さんのことなのでそんなのは本心ではないだろう。
 たしかに大瀧さんがそう言いたくなるように、このアルバムは一部マニアには好評だったものの、セールス的には惨憺たるものだった。このアルバムから3年後、大瀧さんは満を持して『ロングバケーション』を発表、これが日本ポップスの集大成、金字塔となった。このアルバムについは様々に語り継がれているので多くは語らないが、ここではこの『ナイアガラカレンダー』から『ロングバケーション』にいたる音楽の萌芽がすべて『カレンダー』にあったことを話したい。
 『青空のように』は、あきらかに二ール・セダカの影響を受けた御機嫌なラブソングだが、後半部のコード進行は、『ベルベットモーテル』、『カナリア諸島にて』『スピーチ・バルーン』にほぼそのままの形で現れていて、『ロングバケーション』のメロディ的な主題ともいえると思う。それもニールセダカが思いもつかなかったような巧妙な仕掛けがほどこされている。そして11月の『思い出は霧の中』。これがなければ『シベリア鉄道』は生まれなかった。こうして『ロングバケーション』に至るエッセンスはすべてこの『カレンダー』に内在していると言っても過言ではない。
 こうした分析そのものが大瀧さんから教えてもらったものだ。番組の中で繰り返される楽曲の緻密な分析と、細かいことをさておいて音楽大好き!、というコントラストが大好きだった。それはきっと彼自身の生き方そのものだったのだと思う。私事になるが私も大瀧さんに習ってまさに今年は60年代ポップス大全なるものを編纂しようと思っていた矢先だったので今回の訃音は大変驚きとともに残念である。これからも天国でもヒットチャートを聞きながら御機嫌なヒット曲を満喫されることを切に祈りたい。彼の口からこの世で語られることがもうないのがこの世に残された我々として残念なことではあるが。

 大瀧詠一、「御機嫌」という言葉が世界で一番似合う人だった。
 そして、これからもずっと。