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★Beat Angels

君がすべきことはただ一つ、ニューヨークへ行くことだ -ジャック・ケルアック

溶融

「聞こえる? ちょうど、この町ってお鍋の底みたいなところにあるでしょ?この石段を上り下りする人がいると、靴の音が響くの。今日、あなたが私の家に来るのも自分の部屋にいて、すぐわかったの。」

 石段におおいかぶさるように茂る大樹が明滅する水銀灯に照らされて複雑な影を落としている。初夏の日差しを一杯に吸い込んだ石段からは熱が染み出しているのがわかる。僕たちは狭い幅の石段を並んで上っている。振り返るたびに町は夜の底に沈んでいくようだ。

「この町の真ん中に中学校のプールがあるの。今夜みたいな満月の夜にはプールの水面に月がゆれるのがみえるわよ。ほら、見て。」

 彼女は、石段の一番上で振り返ってペタンと腰をおろした。僕も隣に腰をおろした。町のほぼ中央に黒いスペースが広がり、その中で月が映えて揺れている。その影は風もないのに、二つに分かれては一つになり、四散しては集結するのを漫然と繰り返していた。鍋の底のような群落の中で。 

「ここでビール飲もうか?」

 彼女は、そう言って闇の中にふいに姿を消したと思うと、缶ビールを二本かかえて再び現れた。ビールの缶を持つ白く細い腕。夜の暗闇を背景にくっきりとしたコントラストを見せている。肩越しに伝わってくる彼女の体温。 

 石段の下では水銀灯がちょうどスポットライトのように丸く地面を照らしている。ふいに三輪車にのった子供が音もなく現れ、スポットライトの中で器用に円を描いて廻った。続いて母親が現れて子供だけを抱えて、灯りの外に連れ去った。放置された赤い三輪車がやがてゆっくりと止まる。それは一瞬の出来事だった。まるで夢の中の世界のような。 

「ねえ、今・・・。」
「あ!花びら。・・・春の散り残りね。」 

 たった一枚の花びらが複雑な回転をして僕たちの視界を斜めに横切って落ちていった。水銀灯の明滅に合わせた断片的な残像を残して。

 僕たちは夜の闇に溶け出していく町を見下ろしている。水底に沈んだ群落が水に溶け出していくように薄れていく記憶。それは消えていくのではない。むしろ全てになっていくのだ。月をたたえたプールの水が鍋の底を少しずつ満たしていくように。

 

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『横浜望郷情念詩集('85~'95)』より