★Beat Angels

サル・パラダイスよ!誰もいないときは、窓から入れ。 レミ・ボンクール

行き先

ある冬の寒い夜のことだった。

東京の都心から遠く離れた町で一人の男が道に立ってタクシーを探していた。すでに午前2時を回っていた時分だったのでこの郊外の町では人通りはとっくに途絶え、タクシーはおろか通り過ぎる車さえもまばらだった。タクシーを探している間に男の体は芯まで冷え切っていた。

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やがて一台のタクシーが道の向こうから来るのが見えた。空車なのを確認して男は大きく手を上げた。タクシーが横に停車すると男は大急ぎで後部座席に乗り込んだ。

-綾瀬まで行ってくれ。

男はそれだけ告げた。タクシーの運転手は、

-はい。

とだけ答えると夜の町中をタクシーは滑り出すように走りだした。すでに通りの街灯は消えていて、タクシーの窓から人家の玄関の明かりがはぽつりぽつりと見えるだけだった。後部座席に座った男はコートの襟を立てて小さく身震いした。

-ちょっと寒いな。もう少し暖かくしてくれ。

-はい。

やがて二人を乗せた車は山道に入っていった。男は運転手に向かって聞いた。


-どこに向かっている?

-綾瀬ですけど。

運転手は答えた。

-綾瀬という地名は、この辺りだと東京の下町と神奈川県の両方にある。普通はどちらかの綾瀬か聞くもんだがどうして聞かないんだ?

-行き先は乗ったお客さんが言うものだと思います。こちらがとやかく言う問題ではないと思いますが。

-行き先を知らないのにどうして走り始めてるんだ?

-走るのが私の仕事だからです。止まっていたらお客さんにも失礼ではないですか。

男は黙って座って目を閉じた。車はしばらく急カーブの続く山道を走っていたが、やがて車が下り坂に差し掛かった。すると運転手がまるで独り言をいうように語り始めた。

-そういえばこんなことがありました。私の女房は結婚したころから「越前に行ってみたい」というのが口癖でした。でも私は仕事が忙しくてなかなか休みが取れなかったんです。そしてやっとまとまった休みがとれたので女房と二人で出かけました。運悪くちょうど今頃の時節で越前は大雪の日でした。私たちは駅から降りてまっすぐに岬に向かいました。岬のあたりはさらに猛吹雪でした。私たちは吹き付ける雪の中を身を寄せ合うようにして岬の突端まで険しい道を歩いていきました。もちろん、私たち以外は誰もいません。そしてやっと岬のはずれまで来ましたが大雪で薄暗く何も見えません。崖の下に大波が岩に打ち寄せて砕け散っているのだけが見えました。

客の男は目をつぶっていて眠っているのか何も話さなかった。運転手は続けた。

-そこで女房に、なぜこんなところに来たかったんだ?と尋ねました。すると女房は「私はここに来たいなんて言ってませんよ」と言うんです。私は思わず耳を疑いました。女房が言うには「私は越前の町に行きたいといっただけです。この岬に連れてきたのはあなたですよ」

運転手はさらに続けた。

-私はそれまで越前に行ったことはありませんでした。女房が「越前に行きたい」というのを何十回となく聞いてきましたがそのたびに私の頭の中に浮かんだのは越前岬だったのです。それでてっきり女房はその岬に行きたがっていると長い間、思い続けていたわけです。

後部座席の男は何も言わなかった。


-行き先なんてそんなもんかな、と思いました。あれ?お客さん眠ってしまいましたかね。

-いや、起きている。

男はごそごそと居ずまいただして運転手に聞いた。

-奥さんは今どうしている?

運転手は答えていった。

-5年前に病気で亡くなりました。亡くなる直前、私は「きっとすぐにお前のそばにいくから」といいました。すると女房は「あなたのことだからきっとまた行き先を間違えると思いますけど」と笑って言ってくれました。

-そうだったのか。

-私はそれを聞いて考え直しました。あの世に行ったとしても訪れた行き先でまた偶然に女房に再会できればいいんだと思ったんです。だから約束なんてする必要はないんだ、と。そもそもこの世で女房と出会ったのだって偶然の出来事だからです。

それからしばらく沈黙が続いた。男は黙って窓の外を見ていた。

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空の色は少しずつ群青色に変わり、東の空の端にはかすかだが淡い朱色も見え始めていた。運転手は言った。

-お客さん、もうすぐ綾瀬につきますよ。

男はそれに答えて言った。

-ありがとう。綾瀬についたら適当な場所でおろしてくれ。熱いコーヒーが飲みたい気分だ。

呼び込み君

だれでもスーパーや商店街の店先でこのメロディを一度は耳にしたことがあるはずだ。

www.youtube.com


「呼び込み君」と呼ばれているらしい。譜面に書き下ろしてみた。

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メロディ・リズムともにシンプルなのにどこか耳に残る不思議な曲である。基本的に「ドレミソラ」の5音だけでできている。「ファ」は最後の小節で一つだけ登場する。これはダ・カーポ(始めに戻る)をスムーズにするためのつなぎ、いわば伴奏的な位置付けだと解釈できる。こうして「ファ」を使わないことでメロディラインに半音階進行が登場しない。これが曲全体の明るさを増幅している。これは童謡や雅楽でいう陽旋法に通じるものである。

先日、意外なところでこのメロディを耳にした。

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羽田空港国際線ターミナルで外国人老夫婦を乗せた電動カートがこのメロディを流しながら通り過ぎて行ったのである。なかなかどうしてグローバル製品なのである。空港内だとカートが音もたてずに走るので「ぶつからないように注意してください」という警告の意味で使われている。こういう用途も考えると「呼び込み君」というよりは「見て見て君」あたりがふさわしいように思う。

ぜひ、本格的な海外進出を図り、その底知れぬ明るさに満ちたメロディで世界にやすらぎと平和を運んでもらいたいと思う。複雑化する世界情勢の下、双方がにらみ合う一触即発の緊迫ムードでこの曲が流れたら事態は好転する、かもしれない。

アポロ宇宙船の推進力(付録)



前回までで、均一な媒質の中で表面から一定の圧力を受ける任意の形状の物体に対しては、圧力の合計の力ならびに並びに物体を回転させる力はゼロとなることを説明した。

しかし、実際問題として
地上では重力が存在するので圧力Pは均一ではない。ここではその重力の影響について計算してみる。

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について前回まではPは一定だとして積分の外にくくりだして容易に計算が進められたのだが、重力の影響によりPは空間位置の関数となりそう単純にはいかない。

重力の影響によってPは、

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z軸方向、つまり深さ方向で変化する。ここでρは媒質の密度である。これを用いて推進力Fを計算する。x、y、zの3軸の方向別に計算する。

まず、x軸方向だが、

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と、0になる。同様にして、

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が得られる。さて問題のz軸方向だが、

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となる。ここで、

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とした。ここでは物体の質量ではなく、物体と同じ体積を持つ媒質の質量であることに注意を要する。

以上を整理すると、

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というシンプルな結果が得られる。これはアルキメデスの浮力の原理に他ならない。

目黒川の桜

目黒駅から行人坂を下りたところ。橋の上から品川方面を見る。

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中目黒に向かって遊歩道を歩きだした。満開の桜が見られる最後の日曜日ということでかなりの人が訪れていた。


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遊歩道は散策というには道幅も狭く、川の近隣には工場や大きなビルが立ち並んでいてちょっと息苦しさを感じる。

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すでに1kmほど歩いたが、間断なく続く桜並木。人通りも絶えない。雪崩を思わせる圧倒的な量の花の波に目もやや食傷気味である。


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彼方にめざす中目黒のビル群が見えてきた。中目黒方面から川を下ってくる人たちも次第に増えてきた。


やがて中目黒駅に到着。人の波をかき分けるようにして電車に乗り込んだ。

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戸塚駅近くの柏尾川。川幅は狭いし、桜はすべて老木で枝ぶりも目黒川に比べればかなり見劣りする。でも、目黒川の混雑から逃れて、この開放感は格別である。河岸は家族ずれや恋人たちでにぎわっていて、桜も川も住民に愛されていることがよくわかる。桜と川と人とがちょうどいい距離感を保っている、そんな気がする。

仲間たちと川辺に座って日が暮れるまで酒を酌み交わし、春の一日は穏やかに過ぎていった。

アポロ宇宙船の推進力(後編)



物体がまわりの媒質から均一な圧力Pを受ける場合、物体を移動させようとする力、そして物体を回転させようとする力の合計がどうなるかを一般的な形状で考えてみる。

▮推進力F
物体の表面には、表面に垂直な方向に向かって大きさPの圧力が生じる。

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これを物体の全面について積分したものが全体の推進力Fになる。

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方向も含めて任意の定ベクトルをaとする。それと全体の圧力F内積を計算する。

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ここで、ベクトル解析のGaussの定理を適用する。 

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こうして見事に0となる。ここでベクトルaは任意であったので、結局、

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となる。つまり、物体に対する力の合計は0であり、物体は動き出すことはない。形状は任意である。つまりアポロ宇宙船だろうがどんな複雑怪奇な形であろうが同じである。

地上などでは重力が存在し、それにより圧力Pは位置によって異なることになる。それの影響がどうなるかについては付録として巻末に述べる。


▮回転力T

圧力Pによる回転力は、

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というモーメントとして計算される。一般に回転は回転軸を定義して計算されるのだがこの場合はそれを気にする必要はない。まずその理由を説明する。位置ベクトルAを回転軸としたモーメントを計算すると、

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となる。ここで最後の推進力の結果を使うことで、 

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となり、回転軸にはよらないことがわかる。推進力が0の場合は回転力は回転軸によらずどこでも一定になる。

次にこのモーメントと任意の定ベクトルa内積を計算してみる。

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この被積分の項は3つのベクトルからなる行列の行列式であるので順番を入れ替えることが可能であり、
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として、ここでGaussの定理を適用すれば、

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となる。ここで、

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を用いた。

定ベクトルaは任意であったので、結論として、

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となり、物体には回転力が働かないことが示された。

以上より、均一な媒質の中で表面から一定の圧力を受ける任意の形状の物体に対しては、圧力の合計の力ならびに並びに物体を回転させる力はゼロである。従って静止している物体は移動もしないし、回転することもない。


アポロ宇宙船の推進力(前編)

こんな夢を見た。

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どこかの研究所の実験室にいる。そこはNASAであるとなんとなくわかっている。大きな水槽の中にアポロ宇宙船が沈められている。

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一人の白衣を着た科学者が何やら英語で声をかけると、5人組の男たちが現れて、宇宙船を引き上げたかと思うとそれを横にしてまた水槽に沈めた。

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宇宙船はそのまま水中に浮かんでいたが、やがて、

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そのままの姿勢でゆっくりと動き出した。5人の男たちは歓声を上げて拍手を送った。博士は至極当然という顔をして黒板を使って説明を始めた。説明は英語で行われたのだがなぜか言わんとする内容は理解できた。

「この現象はアポロ宇宙船の構造によるものである。液体の中の物体には液体から圧力が加わる。パスカルの原理に基づき、その圧力は常に表面に垂直な向きにはたらく。アポロ宇宙船は円錐の形をしている。底面には面に垂直な方向に力が加わるのに対して、胴体部分にかかる圧力は斜めなので分散され弱まってしまう。


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こうして力の不均衡が生じて底面からの圧力の方が大きくなり、それが全体の推進力になるのである。つまりアポロ宇宙船は燃料がなくてもその形状だけで推進力を得ることができるのである。またこれを2つ繋げると、

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推進力は打ち消しあってなくなるので移動は起こらないが、今度は回転力を得ることができる。同じように燃料もないのに回転し続けるのである。

残念ながら地上や実際の宇宙空間では圧力が弱すぎるのでこのように動き出したり、回り始めたりすることはない。それが今後、解決すべき課題である」


説明を聞いた私はアポロ宇宙船の推進原理を理解することができてうれしくなった。でも円すいの形が最適なのかどうかは疑問に思った。最大の推進力を得ることができる形状は何なのだろうか。それらを博士らに質問しようとしたところ英語の問題に直面し、その瞬間我に返って目が覚めた。

このように物体のがその周りから均一な圧力を受ける場合、物体の形状によっては推進力や回転力を得ることがありえるのだろうか。

実はありえない。どんな複雑な形状の物体でも圧力の合計の力はゼロであり、物体を回そうとするモーメントも同じくゼロである。つまり均一の圧力がかかっている状態において、静止した物体は動き出すことも回転を始めることもない。次回はそれを証明してみる。

コリオリゴルフ(Coriolis' Golf)

J・P・ホーガンのSFの名作「未来の二つの顔」はスペースコロニーを舞台とした壮大な実験の物語である。

www.tsogen.co.jp


その実験と
人工知能を持ったコンピュータは人類と共存できるのか、はたまた破滅へと導くのかというテーマである。場所はヤスヌと呼ばれるスペースコロニー。それは最悪の事態を想定して宇宙空間に建設されたのであった。その中で人類の未来をかけたコンピュータとの手に汗握る頭脳戦が繰り広げられる。


ヤヌス全体構造図

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ヤヌスとはローマ神話に登場する二つの顔を持つ神である。ヤヌスの最大直径は約2.4kmであるから全周7.5km。地球を忠実に再現しており、農業・工業から商業・レジャー施設まで地球上のあらゆる産業が集約された自給自足型の社会を形成している。ロッキー谷という地区(上図の左側)にはスポーツ施設が並んでいるがその中の一つにゴルフ場がある。

ヤヌスは自転することで擬似的な重力を生み出している。回転する座標系の中で動く物体に対しては遠心力のほかに「コリオリの力」というやっかいな見かけの力が働く。小説では人々はそれと対抗するようにしてゴルフを楽しんでいる、と書かれているが具体的な説明はない。

本稿ではコリオリの力がゴルフのプレイにどのように影響するのかについて考察する。

まず、コリオリの力の一般的な説明とその影響について考える。

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回転速度ωで回転する地球の上で速度で移動する物体に対して、

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という式で表される力が働く。これは見かけ上の力であって「コリオリの力」と呼ばれる。この力による事象の一つ台風がある。台風が北半球では左巻きのようになるのはこの力の影響である。

速度vでなめらかな平面上を運動するゴルフボールを考える。ボールにはωのいずれにも垂直な方向に力が働く。緯度をθとすると、ボールの描く円の半径との関係式は、

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となる。これを整理すると半径rは、

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で与えられる。

このようにコリオリの力の影響は回転速度に比例する。またそれは北極点で最も大きい=ボールは曲がりやすく、逆に赤道付近では半径が無限大=ボールは全く曲がらない。

具体的な数値を用いて計算してみる。

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回転速度ωヤヌスの実際の回転速度と同じである。また速についてはゴルフのパットの場合の標準的なボールの速度とした。

この場合の軌道円の半径を計算すると、

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という地球上では考えられない値となる。これはヤヌスの自転速度の大きさによるものである。ヤヌスは自転させることで疑似的な重力を作り出している。この回転速度は地球の自転の回転速度と比べると1,000倍を超えるかなりの猛スピードであり、コリオリの力の影響は大きい。

これをもとにヤヌスのロッキー谷のゴルフ場でパターの際にどの程度の角度φをつけてボールを打たないといけないかを求めてみる。

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この図に示すように北半球においては左に曲がる傾向があるのでやや右方向に打つことになる。上図の作図に基づいて、

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となるので、パットの距離を10mとしてこれを計算すると、

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が得られる。

参考まで地球上においてはこのφは0.01°程度であり、気にかける必要は全くないのはゴルファーにとって幸いなことである。