★Beat Angels

サル・パラダイスよ!誰もいないときは、窓から入れ。 レミ・ボンクール

ウルトラな街(世田谷区祖師ケ谷)

 連休を利用してウルトラな街である小田急線沿線の祖師ケ谷大蔵を訪れた。新宿から電車で20分ほどの世田谷区の閑静な住宅街である。

 

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 ウルトラな街は自称である。

 

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 どのあたりがウルトラなのかを報告する。まず、駅構内の柱には全兄弟の肖像写真が飾られている。すべて本人のサイン付きである。サイン?

 

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 北口の駅前広場には、

 

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 ウルトラマンの像が立っている。ちょうど交番の前である。次に駅周辺の案内板がどうなっているかというと、

 

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 スぺシウム光線でライトアップされている。商店街は駅を起点に南北の2方向に延びていてウルトラマン商店街と呼ばれている。駅の北側がウルトラセブン、南側がウルトラマンの管轄である。管轄というのは何かというと、北側商店街の街灯は、

 

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 すべてこれに統一されている。これの頭部を拡大すると、

 

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 ウルトラセブンをモチーフにした造形。そして南側商店街の街灯は、

 

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 こちらはウルトラマンのデザインである。

 

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 つまりウルトラマン達に照らされて警備されている、ということである。南北の街灯の柱の部分を比べてみると柱の部分もきちんとスーツの色合いにデザインされていることが分かる。ウルトラマン街灯の方には、

 

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 ちょうど目の高さにカラータイマーが設置されている。いったいこれの目的はなんだろうか。監視カメラか、警報機か。監視カメラということだとHAL9000を彷彿とさせる。

 駅から南に600mほど歩いたところに商店街の入り口があるのだが、そこには、

 

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 アーチがかけられている。商店街からも外れていて駅からも遠すぎる。

 

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 飛んでいるのはウルトラマン、但しスーツをよく見ると帰ってきたウルトラマンである。背中にとぐろを巻いている配電線が少し残念。

 最後に駅前に戻り、北口の交番の建物もじっくりと眺めてみると、

 

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 交番の2階部のデザインはウルトラマンの目の形のようである。なかなか洒落が聞いている。

 

 大事なことの説明が最後になってしまったが、かつて円谷プロダクションの本社が砧7丁目に、また円谷英二の自宅が祖師谷3丁目(ウルトラマン商店街内)にあったことでこの街はウルトラマンにたいへんゆかりの深い街なのである。

 

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 結論としてはこの商店街は昼夜を問わずウルトラマン達に警備されている安全・安心な街である、ということである。しかし、その真価は夜暗くなってからでないとよく分からない。時計を見ると午後2時、残念だが夕暮れ時まで待つことはできないのでこのあたりでお暇させていただいた。

峠駅スイッチバック遺構

 奥羽本線板谷駅から歩いて1時間半、目的地である峠駅までやってきた。


■JR峠駅(新ホーム)

 

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 駅を探して細長い三角屋根の建物に近づいてみると、

 

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 峠駅の看板と入り口らしきものが見えた。養鶏場とおぼしきこの建物がまさしく駅舎なのであった。

 

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 中は真っ暗で何も見えない。中に入って見ると、

 

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 まるでヨーロッパの駅を思わせるような空間が広がっていた。ちなみにこの駅は山形新幹線の通過駅でもある。まさにこの線路を下りの新幹線が通過していく。正面のトンネルから新幹線が顔を出したと思った瞬間、同時に私ははじき飛ばされていることだろう。当然のことだが、そうならないようにここには踏切と警報器が設置されている。この駅に停車する各駅停車が3時間に1本というペースなのに対して新幹線は20~30分に1本なので結構気ぜわしい。

 

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 この駅舎の中の明るさは電気を使った照明によるものではない。屋根に施した採光の工夫による自然の照明による。この写真のように屋根には半透明の帯の部分が等間隔で並んでいてそこから散乱する光がこの駅舎の不思議な雰囲気を作り出している。

 

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 現在の峠駅の全景。右下のシマヘビのようなところが現在の峠駅のホームである。シマヘビの白い縞が採光のための屋根の半透明帯である。

 さてこの駅全景の写真からも明らかなように峠駅は複雑な形をしている。これがかつてのスイッチバックの名残なのである。左上に向かって二股に分岐しているのが特徴である。

 峠駅のホームからこの分岐部を見てみると、

 

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 これは下り方向を見ていることになる。右側が本線であり米沢に向かっている。そして左側が行き止まりの分岐線である。スイッチバックは1990年に廃止されたのですでに左方向に分岐する線路は撤去されている。写真ではわかりにくいが、右側の本線は駅に向かって傾斜を上ってきているのに対して左側の分岐線は水平になっている。この本線、分岐線の傾斜の違いがスイッチバックの大きな鍵を握っている。

 まずはスイッチバックの原理から説明する。

 

スイッチバックの原理

 スイッチバックの原理を説明する看板が峠駅にあった。

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 ・・・さっぱりわからないのであらためて解説図を作成した。

 

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 米沢から福島に向かう本線は①から④に抜ける必要がある。ところが傾斜が厳しいために列車は通り抜けることができない。そのため一度水平方向の②に停車しそこから引き返して同じく水平の③に向かって停車する。③から再出発した列車は水平であることを利用して加速したのちに④に乗り入れるのである。昔はこの水平な場所である③の場所に駅のホームがあった。スイッチバックはかつての重厚な蒸気機関車の馬力不足を補って急な傾斜を上っていく巧妙な技術であった。米沢から福島までこのスイッチバックは連続する4駅で採用されていてこの4駅の総合力で県境の厳しい峠を乗り越えていたのである。奥羽本線の開通は明治時代だったから、この技術はその頃すでに確立されていたことになる。 

 乗客から見ているとそれまで走ってきた汽車がいったん停止し、引き返していく。すると後方から駅のホームが現れるということになる。それは子供心にもまるで手品のような不思議な感覚であった。

 さてこの原理に基づくと、②の待機場所があったはずである。まだ残っているだろうか。ホームを福島側の端に向かって歩いて行った。すると、

 

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 左側になにやらトンネルらしきものが見えてきた。ホームの端までいってみると、

 

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 ②の待機部分の線路はすでに撤去されているがトンネルだけが遺構として残っていた。そう言われて記憶をたどってみると、確かにとある駅では折り返し地点が暗いトンネルの中だったことを思い出した。それがまさしくこの峠駅であった訳である。

 引き続いて③の峠駅の旧ホームを探索することにした。

 

■JR峠駅(旧ホーム)

 新ホームから分岐線にそって歩いて行くとまずは屋根付きの建屋がある。

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 すでに線路はないが建物だけは残っていて、現在は駐車場として利用されている。この建物は同じく三角屋根であり、これは実は雪のシェルターだったのである。屋根の部分を見上げると、

 

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 雪崩でも大丈夫なように頑丈な作りをしている。

 

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 これがシェルターの全景である。シェルターから外に出て前を見てみると、

 

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 何もない。さて旧ホームはどこなのか。下調べして見つけた写真はこれである。

 

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 この写真だけを頼りに道を進んでいった。すると、電柱に赤いペンキで「立入禁止」と書かれている場所まで来た。そこから先は誰も入ったことがないように荒れ果てている。立入禁止は見なかったことにしてさらに進んでいった。そこにはむき出しの有刺鉄線などが地面に放置されていて確かに危険である。やがて、

 

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 なにやら建物が見えてきた。そして足下を見てみると段差がありこれは荒れ果てているが、かつてのホームなのでないか?と気がついた。

 

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 これはまさしく駅舎の屋根を支えていた支柱の礎石であろう。建物に向かってさら進んだ。

 

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 とうとう目的地にたどり着いた。かろうじて線路も埋もれているが確かに残っている。

 

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 屋根を含めて木造部分は完全に崩壊して鉄骨だけが残っている。しかしそれも今にも倒壊しそうである。厳しい風雪の中での20年を越える歳月の流れの厳しさを実感した。

 

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 もう一方のホームの遺構。こちらに待合室があったという記録が残っているが無残な姿である。これがかつては急な上り坂を登るきるために力をためて加速するための重要な出発地点だったのである。私は寂しい気持ちで旧ホームを後にした。

 

■峠の茶屋と力餅

 さて、ここまで来たのでやはり力餅である。

 

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 峠の茶屋。明治時代、奥羽鉄道の開通に向けた工事者たちに疲れを癒やすために振る舞った頃から営業している老舗である。

 

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 これが力餅。

 

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 きめ細やかでまろやかな餅と甘さを抑えた少なめのこし餡、コーヒーにもよくあった。こうして、すこし沈んだ旅心も少しは慰められたのち、この思い出深い峠駅を後にしたのであった。

 峠駅から福島駅に向かう各駅停車に乗車した。運転士も車掌も若い女性であった。もちろんスイッチバックはもうない。かつての列車とは比べようもないくらい若くスマートな電車は苦もない顔をして軽々と峠を越えていった。

 

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板谷峠を越えて奥羽路

 福島駅からJR奥羽本線(米沢線)で30分ほどで板谷に到着した。そこで下車して隣の駅である峠駅まで歩いてみることにした。行程を下図に示す。

 

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 板谷駅を降りて歩き出すとすぐに急な登りの山道が続く。道路は一応舗装はされているものの車一台ががやっと通れる道幅である。車がすれ違うときはどうするのだろうと心配になったが歩いてみて大丈夫な理由がわかった。一時間半位の行程ですれ違った車はたったの1台だけだったからである。図の通り途中の三叉路は2カ所だけ、それ以外に他の交差する道、脇道、抜け道などは一切ない。道を踏み外すことはすなわち遭難を意味する。

 スタートポイントである板谷駅の道標。

 

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 峠駅まで5.8kmと書かれている。地図で見たときには直線距離は2km足らずであると思っていたので驚かされた。確かに途中には険しい板谷峠があり、山肌を縫うようなくねくねした山道が続いているためである。

 

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 まもなく5月だというのに山肌には根雪が残っている。

 

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 いたるところでコトコトという雪解け水のせせらぎの音が聞こえる。辺りには人家もなく、車も通らず静まりかえっているのでその音ははっきりと聞こてくる。遠くからウグイスの声も響いて山間の遅い春の訪れを告げていた。

 

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 道ばたではふきのとうが冬の凍土を突き破って顔を出している。淡い緑色が新鮮だ。 

 

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 板谷峠に近づくにつれて標高が上がってきた。自然と根雪も多い。板谷峠は標高が755m。板谷駅から200mほど上ったことになる。少し息が上がってきた。

 ちょうどこの峠にさしかかったあたりで後ろから車が一台やってきて隣に停車した。窓が開いて、若い男性が親切にも乗っていきませんかと声をかけてきた。ここから下り坂となり楽になるはずなのでお礼を言ってお断りした。よほど山道がしんどそうに見えたのか。

 板谷峠を越えると道は下り坂に変わり、息が整ったあたりで第1の三叉路に到着。

 

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 まっすぐ行けば大沢を経由して米沢に抜けられる。

 

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 ところが、そのルートは積雪で全面通止めとなっていた。この付近の住民はどうするのだろうかと心配になったがよく考えればこの山中、住民はほとんどいないのであった。

 さて、予定通りこの三叉路を左折して峠駅の方に向かう。

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 道幅はさらに狭くなり、道の両側にうっそうとした林が立ち並ぶ。

 

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 林の間から遠く隣の山々の尾根が見え隠れする。まさに木枯らし紋次郎の世界である。歩きながら頭の中には上条恒彦の「誰かが風の中で」の歌声がこだましていた。あたりは静かで誰もそれを邪魔をするものはいなかった。

 

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 このあたりは地名もついていない場所で目印もないので解説が難しい。

 そうこうしているうちに第2の三叉路に到着。

 

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 ここを右折して600mいけば目指す峠駅である。名物らしい「力餅」という看板がある。左の道をいくと姥湯温泉という温泉に向かう。そちらの道を見てみると、

 

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 またもやこちらも通行止めであった。結果的にただの一本道であったことになる。 

 

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 ここからはやや平坦な林道が続き、まもなくJR峠駅が見えてきた。板谷駅から一時間半ほどの道のりであった。

 

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 これが駅?山間の小さな集落にしか見えない。細長く続く三角屋根は養鶏場か、それとも養豚場か?それにしては眠ったように静かである。

 

 今回、峠駅を訪れようと思った動機は「力餅」ではない。この駅はかつて「スイッチバック方式」で有名な駅であった。小学生の頃、この路線を利用した時にこのスイッチバックを体験した。そしてその不思議さ、神秘さに憧れを抱いて、いつかその秘密を解き明かしたいと思っていた。しかし一度もこの駅で途中下車する機会がないまま時は流れ、1990年にそれが終了したことをニュースを知ってとても悔しい気分を味わった。それから20年以上が経過した今、スイッチバックの遺構は残っているのか、それを確かめに来たのである。次回、それをレポートする。

種まきウサギの季節

 大型連休を利用して福島市を訪れた。天候は晴れ。福島駅の西口にあるコラッセふくしまというビルの12階の展望ルームから望んだ吾妻連峰

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 こちらは窓に描かれた解説図である。できる限り、実物と構図を合わせたつもり。

 

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 吾妻小富士が相変わらず美しい。その麓には種まきの時期を知らせる「種まきウサギ」がきれいに顔を出している。毎年これを機に里には花と緑があふれ始めるのである。

 さて明日は珍しく山形県との県境の峠まで足を伸ばす予定である。今回はその峠の駅までの切符をすでに購入済みである。その峠の駅の名前は何かというと・・・

 

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 今夜から明日にかけて天気は下り坂、明日の予報は曇りのち雨である。山深いところを歩くことになるので少し気にかかるところである。

▮追悼:チャック・ベリー爺さん

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I'm Just a Kid of Rock'n Roll

あの頃のままだよ

路地裏で夢みた

チャック・ベリーのダッグ・ウォーク

Keep on Rock'n Roll

リッケンバッカー抱きしめて

涙でにじんたラジオから

夢しか見れない男のために

もう一度だけ聞かせてくれないか

 

I'm Just a Kid of Rock'n Roll

壊れかけたジューク・ボックス

コインをひとたび落とせば

あなたは今夜も切なく歌うよ

Keep on Rock'n Roll

変わらぬものだね夢見る心の色

ギターがなくたび震えるこの胸

あの日のまんまさ

 

I'm Just a Kid of Rock'n Roll

 

 ーロックン・ロールに別な名前を与えるならばそれは「チャック・ベリー」だ。(ジョン・レノン

 

デニーズ1号店

 アメリカのデニー。日本と同じく全米各地にあるレストランのチェーン店である。写真はサンタクララ市のエルカミーノ街にあるデニーズ。

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 典型的な朝食メニュー。

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 日本と同じくコーヒーは飲み放題。アメリカでのデニーズは白人の客は少なく、決して高級ではない。レストランの格としては中の下くらいであろうか。

 日本でデニーズの一号店が開店したのは1973年。今から44年前。そして記念すべき1号店は東京でも大阪でもなく、横浜駅近くでもない。上大岡という京浜急行線で横浜から10分ほどの郊外の町であった。 

 

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 イトーヨーカドー上大岡店の1階にある。

 このJR(当時の国鉄)でない駅を選んだのは来たるべきマイカー時代を予測したのであろう。その読みは正しく上大岡はその後も順調に発展をつづけ、地下鉄駅も開業して横浜市内有数のショッピングタウン兼ベッドタウンに成長した。

 そして残念なことにこの記念すべき1号店は今年の3月20日をもって閉店の運びとなった。

  

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 最後の日には多数の慣れ親しんだお客さんたちが押し寄せて満席であった。

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 定番メニューであるビーフハンバーグを注文。

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 こうして一つの使命とともに、一つの時代が終わったのである。

 「またお越しくださいませ」

 いつもと同じ挨拶を感慨深く聞き入りながら店を後にしたのであった。

6年目の春

 福島市内を歩いていると駅前と町中の広場にキャンドルの列がありました。 

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 今日は3月11日。6年目の今夜は、犠牲者の方の追悼と復興祈願のキャンドルナイトです。

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 思い思いのメッセージが色鮮やかに描かれています。

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 そして、 

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 強い絆の中できっと福島にも春は必ず訪れます。