★Beat Angels

サル・パラダイスよ!誰もいないときは、窓から入れ。 レミ・ボンクール

板谷峠を越えて奥羽路

 福島駅からJR奥羽本線(米沢線)で30分ほどで板谷に到着した。そこで下車して隣の駅である峠駅まで歩いてみることにした。行程を下図に示す。

 

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 板谷駅を降りて歩き出すとすぐに急な登りの山道が続く。道路は一応舗装はされているものの車一台ががやっと通れる道幅である。車がすれ違うときはどうするのだろうと心配になったが歩いてみて大丈夫な理由がわかった。一時間半位の行程ですれ違った車はたったの1台だけだったからである。図の通り途中の三叉路は2カ所だけ、それ以外に他の交差する道、脇道、抜け道などは一切ない。道を踏み外すことはすなわち遭難を意味する。

 スタートポイントである板谷駅の道標。

 

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 峠駅まで5.8kmと書かれている。地図で見たときには直線距離は2km足らずであると思っていたので驚かされた。確かに途中には険しい板谷峠があり、山肌を縫うようなくねくねした山道が続いているためである。

 

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 まもなく5月だというのに山肌には根雪が残っている。

 

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 いたるところでコトコトという雪解け水のせせらぎの音が聞こえる。辺りには人家もなく、車も通らず静まりかえっているのでその音ははっきりと聞こてくる。遠くからウグイスの声も響いて山間の遅い春の訪れを告げていた。

 

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 道ばたではふきのとうが冬の凍土を突き破って顔を出している。淡い緑色が新鮮だ。 

 

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 板谷峠に近づくにつれて標高が上がってきた。自然と根雪も多い。板谷峠は標高が755m。板谷駅から200mほど上ったことになる。少し息が上がってきた。

 ちょうどこの峠にさしかかったあたりで後ろから車が一台やってきて隣に停車した。窓が開いて、若い男性が親切にも乗っていきませんかと声をかけてきた。ここから下り坂となり楽になるはずなのでお礼を言ってお断りした。よほど山道がしんどそうに見えたのか。

 板谷峠を越えると道は下り坂に変わり、息が整ったあたりで第1の三叉路に到着。

 

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 まっすぐ行けば大沢を経由して米沢に抜けられる。

 

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 ところが、そのルートは積雪で全面通止めとなっていた。この付近の住民はどうするのだろうかと心配になったがよく考えればこの山中、住民はほとんどいないのであった。

 さて、予定通りこの三叉路を左折して峠駅の方に向かう。

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 道幅はさらに狭くなり、道の両側にうっそうとした林が立ち並ぶ。

 

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 林の間から遠く隣の山々の尾根が見え隠れする。まさに木枯らし紋次郎の世界である。歩きながら頭の中には上条恒彦の「誰かが風の中で」の歌声がこだましていた。あたりは静かで誰もそれを邪魔をするものはいなかった。

 

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 このあたりは地名もついていない場所で目印もないので解説が難しい。

 そうこうしているうちに第2の三叉路に到着。

 

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 ここを右折して600mいけば目指す峠駅である。名物らしい「力餅」という看板がある。左の道をいくと姥湯温泉という温泉に向かう。そちらの道を見てみると、

 

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 またもやこちらも通行止めであった。結果的にただの一本道であったことになる。 

 

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 ここからはやや平坦な林道が続き、まもなくJR峠駅が見えてきた。板谷駅から一時間半ほどの道のりであった。

 

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 これが駅?山間の小さな集落にしか見えない。細長く続く三角屋根は養鶏場か、それとも養豚場か?それにしては眠ったように静かである。

 

 今回、峠駅を訪れようと思った動機は「力餅」ではない。この駅はかつて「スイッチバック方式」で有名な駅であった。小学生の頃、この路線を利用した時にこのスイッチバックを体験した。そしてその不思議さ、神秘さに憧れを抱いて、いつかその秘密を解き明かしたいと思っていた。しかし一度もこの駅で途中下車する機会がないまま時は流れ、1990年にそれが終了したことをニュースを知ってとても悔しい気分を味わった。それから20年以上が経過した今、スイッチバックの遺構は残っているのか、それを確かめに来たのである。次回、それをレポートする。

種まきウサギの季節

 大型連休を利用して福島市を訪れた。天候は晴れ。福島駅の西口にあるコラッセふくしまというビルの12階の展望ルームから望んだ吾妻連峰

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 こちらは窓に描かれた解説図である。できる限り、実物と構図を合わせたつもり。

 

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 吾妻小富士が相変わらず美しい。その麓には種まきの時期を知らせる「種まきウサギ」がきれいに顔を出している。毎年これを機に里には花と緑があふれ始めるのである。

 さて明日は珍しく山形県との県境の峠まで足を伸ばす予定である。今回はその峠の駅までの切符をすでに購入済みである。その峠の駅の名前は何かというと・・・

 

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 今夜から明日にかけて天気は下り坂、明日の予報は曇りのち雨である。山深いところを歩くことになるので少し気にかかるところである。

▮追悼:チャック・ベリー爺さん

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I'm Just a Kid of Rock'n Roll

あの頃のままだよ

路地裏で夢みた

チャック・ベリーのダッグ・ウォーク

Keep on Rock'n Roll

リッケンバッカー抱きしめて

涙でにじんたラジオから

夢しか見れない男のために

もう一度だけ聞かせてくれないか

 

I'm Just a Kid of Rock'n Roll

壊れかけたジューク・ボックス

コインをひとたび落とせば

あなたは今夜も切なく歌うよ

Keep on Rock'n Roll

変わらぬものだね夢見る心の色

ギターがなくたび震えるこの胸

あの日のまんまさ

 

I'm Just a Kid of Rock'n Roll

 

 ーロックン・ロールに別な名前を与えるならばそれは「チャック・ベリー」だ。(ジョン・レノン

 

デニーズ1号店

 アメリカのデニー。日本と同じく全米各地にあるレストランのチェーン店である。写真はサンタクララ市のエルカミーノ街にあるデニーズ。

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 典型的な朝食メニュー。

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 日本と同じくコーヒーは飲み放題。アメリカでのデニーズは白人の客は少なく、決して高級ではない。レストランの格としては中の下くらいであろうか。

 日本でデニーズの一号店が開店したのは1973年。今から44年前。そして記念すべき1号店は東京でも大阪でもなく、横浜駅近くでもない。上大岡という京浜急行線で横浜から10分ほどの郊外の町であった。 

 

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 イトーヨーカドー上大岡店の1階にある。

 このJR(当時の国鉄)でない駅を選んだのは来たるべきマイカー時代を予測したのであろう。その読みは正しく上大岡はその後も順調に発展をつづけ、地下鉄駅も開業して横浜市内有数のショッピングタウン兼ベッドタウンに成長した。

 そして残念なことにこの記念すべき1号店は今年の3月20日をもって閉店の運びとなった。

  

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 最後の日には多数の慣れ親しんだお客さんたちが押し寄せて満席であった。

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 定番メニューであるビーフハンバーグを注文。

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 こうして一つの使命とともに、一つの時代が終わったのである。

 「またお越しくださいませ」

 いつもと同じ挨拶を感慨深く聞き入りながら店を後にしたのであった。

6年目の春

 福島市内を歩いていると駅前と町中の広場にキャンドルの列がありました。 

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 今日は3月11日。6年目の今夜は、犠牲者の方の追悼と復興祈願のキャンドルナイトです。

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 思い思いのメッセージが色鮮やかに描かれています。

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 そして、 

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 強い絆の中できっと福島にも春は必ず訪れます。

小さな春のスケッチ

 神奈川県内のとある小さな駅の北口に駐輪場の大きな建物がある。その建物の周囲には30センチ幅程度の小さな花壇が設けられている。いつもならば通り過ぎるだけだったが、今朝はちょっと目を奪われて立ち止まった。きっと春のいたずらかもしれない。

 

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 日当たりのわるいところに健気に雑草が生えていてよく見ると小さな白い花も咲いている。こんなところにも小さな春はちゃんと近づいているのだ。看板があって何かを「捨てるな」と書かれている。きっとゴミとか、吸い殻の類だろう。マナーの悪い人はどこにでもいるのだ。近づいてみてみよう。

 

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違うようだ。なにやら難しそうな漢字が書かれている・・・

 

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 鉢植残土!?

戸塚駅周辺の歴史

▮1944年(昭和19年)

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戦時中。まだ昔の宿場町の印象を残した田舎町といった風情である。

 

▮1956年(昭和31年)

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時代は高度成長期を向かえようとしている。駅周辺には少しずつ民家が並び始めている。が、まだ川(柏尾川)の向こう側には水田が広がっている。

 

▮1966年(昭和41年)

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東口、西口ともに普通の民家が多くなった。戸塚は江戸時代は東海道の宿場町であり、近代においても東京、横浜のベッドタウンとして発展してきた。

 

▮1977年(昭和52年)

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 70年代を迎えると西口側では大きな建物が目立ち始める。駅周辺に商業施設ができ始め、住宅地はさらに郊外に広がり始める。写真左下にみえている広場のような場所がそれらをつなぐバスセンターである。

 

▮1988年(平成元年)

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 1982年頃、東口(写真では右側)が再開発に着手。1990年頃に完了した。いくつかのビルと2階の駅前広場が出来上がった。西口側はまだまだ雑然としている。

 

▮2015年(現代)

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 遅れていた西口の再開発が2010年に完了(着工は2007年)。巨大な駅ビル(トツカーナ)が完成し、駅周辺はさらに整然として現在に至っている。

 

●写真協力:国土地理院